須尚正(1)
難しい選択に直面していたのは最上だけではなかった。プロになろうと誘われていたが、それが正解だとはとても思えず、返事を保留したままメンバーに内緒で就職活動を始めていたのだ。
都内にあるレコード会社すべての入社試験を受けるつもりでいた。
しかし、現実は厳しかった。残酷なまでに厳しかった。なんでこんな目に合わなきゃいけないんだと、恨み節が口を衝いた。厳しい環境を作り出したモンスターを心底恨んだ。
そのモンスターは『オイルショック』という名で呼ばれていた。
それは第四次中東戦争がきっかけだった。ペルシャ湾岸の産油国が原油価格を大幅に引き上げたため、世界は大混乱に陥り、経済を直撃した。原油価格の上昇は製品価格の上昇につながり、悪循環が重なった結果、狂乱物価と言われるほどになった。
庶民は日用品の確保に走り、それが品切れを引き起こした。大混乱の中で日本経済は疲弊し、企業は防衛一辺倒になった。その結果、コストカットがすべてに優先された。
人件費も例外ではなかった。当然のように多くの企業で新卒採用は中止された。中止しなかった企業でも、その採用人数は大幅に絞り込まれた。
レコード会社も例外ではなかった。というより、ほぼ全滅といった状態だった。軒並み新卒採用の中止を決定したのだ。先行き不透明な中で増員に踏み切る企業があるはずはなかった。
そんな状況だったが、幸運にも若干名募集というレコード会社を1社見つけた。エレガントミュージック社。新宿区に本社がある新興レコード会社で、洋楽に強みを持ち、ここ数年ヒット曲を連発していた。
応募が殺到するだろうし、大変な競争倍率になるのはわかっていた。
それでも、躊躇うことはなかった。構想中の卒論の概要を履歴書に添付して速達で郵送した。
そして、その足で神社に行って書類選考通過を願って祈った。何度も祈り続けた。
履歴書を送った翌日から毎日郵便ポストを覗き続けた。そんなに早く返事が来るはずはなかったが、そうしないわけにはいかなかった。
電話が鳴ったら真っ先に受話器を取った。授業などで外出した日は必ず母親に確認した。しかし、電話も手紙もない日が続いた。
締め切りから1週間経った頃、ダメだったのかもしれないと思い始めた。希望は萎んでいき、心が重くなり、夜中に何度も目が覚めるようになった。そのうち食欲も無くなっていった。
10日経っても連絡は来なかった。それでもまだ完全に諦めたわけではなかったが、ダメな時のことを考えて大学の就職課へ行った。留年するわけにも就職浪人するわけにもいかないので、今からでも応募できそうな会社を紹介してもらおうと思ったのだ。
しかし甘かった。多くの企業では募集が終わっていた30代くらいの男性担当者が応対してくれたが、「今頃になって頼まれてもどうしようもないだろ」と苦言を呈された。「1社しか応募しなかったなんて信じられない」と呆れられた。「甘えたことを考えるんじゃない、人生はそんなに甘くない」と叱られた。
その通りだった。何も反論できなかった。うな垂れるしかなかった。しかし、落ち込んでいる姿を可哀そうに思ったのか、「探しておくから明日の午後来るように」と手を差し伸べてくれた。
でも、ホッとするという気持ちにはならなかった。深く頭を下げて就職課をあとにしたが、頭の中では答えのない堂々巡りが始まった。
それは、これからの人生についての堂々巡りだった。例えどこかに就職できたとしても、それが希望する仕事でないことは確かだった。ただ生活のためだけに仕事をすることになるのだ。
それでいいのだろうか?
最寄り駅で降りて自宅へ向かいながら問いかけたが、答えはなかった。いいはずはないが、就職しないという選択肢もないのだ。
でも、それは自分の人生とは言えないのではないか。
いや、そんなことを言っていたら生きていくことさえできないぞ。
そうだとしても夢を捨てるべきではない。
いや、夢で飯が食えるか?
それはそうだが……、
希望の見えない人生を選択せざるを得ないという初めての経験に打ちのめされた。
まだ22歳なのに……、
嘆きがアスファルトに零れ落ちた。
それを通りかかった自転車が轢いていった。
その亡骸を風がさらって空へ舞い上げた。
呆然と見送っていると、誰かの憐れんだ声が耳に届いた。
「ご愁傷さま」
それは耳に纏わりついていつまでも離れなかった。