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これはこれから行くところで、後で聞いたことなのだが、この国の王族は自己の生命に対する危機察知能力がずば抜けて高いらしい。彼女たちも何度もすんでのところで、始末することを取り止めたそうだ。
そのため、王、さらにはリーゼに至るまで、今回の事態を重く受け止めていた。だから、今回、トーマのことを護衛にしたいなどと言い出したのでは?と力説された。
まあ、こんな知りたくもない事実、それを知ることはあまり喜ばしいとは言えない。まさか無意識とは言え、打算込みだったとは…とそれを聞いた時、騙されたというわけではないにしても、呆然としたトーマ。
しかし、まあ、それはともかくとして…あの場面、あんなふうに言われてしまえば、トーマとて空気の一つくらい読みはする。
結果から言おう。
トーマはリーゼをしばらくの間、護ることになった。
イングラム神皇国の例がある以上、本来、勇者であるトーマが、国や王侯貴族などの権力者とあまり関係性を築くのは、よろしくないのだろうとは思うのだが、まあ、バレなければいいだろう。バレなければ。
…要するに、そちら…リーゼのことの方…は正直、面倒だけど気をつけなきゃ!くらいの感覚だったのでまだ後悔などないと言い切れるのだが、付随してくるであろう、自らの身に危険が迫りかねない実害ある存在には、正直溜め息が絶えない。
「…はぁ…。」
それはトーマがツララのお守りを引き受けることになったということなのだ。
やはりこれはキツい。
ツララはマイペースで気分屋、トーマが見たところ悪い人物ではないのだが、キレたら何をするのか見当もつかない。
確かに彼女の戦力があれば、魔王でも相手取らない限り何が相手だろうが関係ないのだろうが、むしろその戦力が被害の最大化という結果を導くことも十分にあり得る。
トリギースですら勝てなかったということは、それより弱いトーマも同様ということ。
つまり、彼女がなにかをして止めるなどということは、選択肢から外す必要があった。
となれば、まずはトーマが護ることになったリーゼに付随して近くにいる彼女の逆鱗に触れるであろう相手のことを調べなければなるまい。
相手がピンポイントでリーゼのみを狙うなんてことは、トーマがいる以上できはしないのだから。
なので、トーマは明後日からと口にしたのだ。
いや、もちろん依頼を受けたくないから、最後の抵抗というわけではない。
トーマはあの暗殺者自身や背後関係を調べるため、一日ほしいと思ったのだ。…本当に。本当に本当だ。
よって、トーマは現在、1人である。
昨日、迸る氷によって威圧し、同じ部屋に泊まるなどという暴挙をしたツララは、途中で【隠蔽】を使い、撒いた。
おそらく今は昨日同様、本来の下僕たるトリギースのところあたりだろうか?…まあ、トリギースならいいか…もともと面倒を見るのは、アイツの仕事なんだから。
それにしても…。
久々…本当に久々である。
ここは不夜城…暗殺者ギルドの本部だ。
国一番の娼館にして、おそらく世界でも有数なここ。
夜になると、普通なら月明かりに反する魔力灯がまるで馴染むかのように幽玄にそこを照らし、幻想的ながら、ほのかに淫靡に、そして、まるで誘うかのように、この大きな店構えを照らし、男を釣るのだとか…。
まあ、そんな異界の如き空間も、現在は真っ昼間、そんな雰囲気など欠片もなく、華に群がるハエ…いや、蝶もまた餌を取るため、労働に勤しんでいるからか、ただ立派な店構えを持つ休業中の大型店舗くらいの印象しかトーマは抱かない。
本当にあの本部なのか?と疑ってしまいそうになるが、少し注意して気配を探ってみると、やはりかなり強く、厄介そうな奴らがゴロゴロいるようで、また溜め息を吐きつつ、現実を受け入れた。
「…はぁ…。」
ここに来た理由、それは、つまり、餅は餅屋へということ。
まあ、ここは暗殺者ギルドという、誰であれ、要件がなければ絶対に来たくないところ。
いや、トーマとしては要件なんてものがあっても、今回のような非常事態でもなければ、絶対に…。
トーマがここをそれほどまでに嫌う理由。
それは彼がかつて王都に来た道中、偶然このギルドのボスと出会い、そしてすぐに気に入られ、スカウトを受けたことにあった。
なにせ相手は暗殺者ギルドに入らないかという、後ろ暗い世界にトーマを誘い込もうとして来たのだ。
彼は当然それを断り、また誘われる度に断り続けたのだが、最終的には知り合いが人質に取られたことで、ボスとの一騎打ちに負けたらという条件でそれを受け入れざる負えなくなった。
…結果は知っての通り、現在、トーマは暗殺者ギルドの一員となってはいない。
トーマは彼に勝利したのだ。ジャイアントキリングと言えば、そう言えないこともないが、言葉の綾というような曖昧な表現がぴったりなそれだった。
まあ、当時…いや、おそらく今でも、このギルドにはSランク相当がそれなりにおり、まともにそのボスとやり合えば、十中八九トーマが負ける。
しかしながら、その時のトーマはツイていた。
いや、ボスたるドワンがツイていなかったのだ。
トーマはどうせ負けるのなら、少しでも食い下がろうと、せめてもの嫌がらせとして、1本の【魔力糸】をトーマに向かう際通るであろう膝のあたりに張るという簡単な罠を張った。
もちろん【隠蔽】でわからないようにはしていたが、仕掛けはそれと、これからするもう一つの、計2つのみ。
これは勝利を望む者からすれば、あまりにも少な過ぎる策に労力だったのだが、どうせ他のことをしても余計に警戒をさせるだけだからと諦めの念込みでの、全てを省いた一撃だったので、これ以上するのはあまりにも蛇足だろう。
程なくして、勝負が始まる。
トーマが何かをしてくるのではないかと、警戒するドワン。
彼はじりじりと距離を詰めてきた。
だが、トーマにはなんの反応もない。いつものように表情も変わらず、殺気もない。それは見込んだ通りにしても、まさかの戦意すらなかったため、ドワンはどうしたのだ?と訝しみ、さらに警戒心を強めた。
そして、ドワンが一定距離詰めると、トーマは魔術を放ったのだ。
魔術が発動したのだ。当然、警戒するドワン。
しかし、その魔術は最低クラス水魔術の第一位階魔術【水球】。
それが、ポカーンとするドワンとトーマの真ん中あたりに落ち…バシャッ!!
……。
これはある種の決闘である。そして、ドワンはトーマのことを弱者ではないと認識していた。
…にも関わらず、トーマがしたのは、ドワン視点では最下級魔術を使い、水溜まりを作ったのみ。
死力を尽くし、自分に挑んでくると思っていた対戦相手たるトーマがしたのはそれだけだった。
っ…っ〜〜〜〜〜っ!!!!
おそらくドワンはバカにされたと思ったのだろう。
頭に血が上った、腕に自身がある彼は一直線にコチラへと駆けてきた。…全速力で。
すぐに真ん中の水溜まりを超え、もう殺しても構わないとばかりにトーマから少し離れたところから全ての力を込め、技の入りを起こした。おそらくそれが振るわれていれば、トーマは消し飛んだだろう。
すると、なにもないと思われていたところで、ドワンは…ツルッ!
っ!?
ドワンの目は驚愕により、大きく開かれる。
実は【魔力糸】を張ったあたりにも、【隠蔽】で隠して使ったもう一つ【水球】の残骸たる、見えない水溜まりがあったのだ。
そして、ドワンは予想外のことに硬直した影響か為す術なく地面へと真っ直ぐ向かい、ようやく正気を取り戻したあたりで手を着こうとしたのだが、驚きで霧散した魔力で覆われていない、伸ばした彼の手の平は真っ二つに…。
瞬間、ドワンはヤバいと思い、魔力による強化を行おうとするが、最大威力の技を叩き込もうとし、キャンセルしたからか、反動で魔力が全然走らない。
っ!?
…また、手を通り抜けていく感触が、今度は彼の首の辺りへ…。
そして、首が半分ほど裂かれたあたりで、ようやく魔力による身体強化が始まるが、もう遅かった。
ブチュ…ブシュ…シューー……パタン。
そうそこにはトーマが配置した殺傷力のある罠、当時鋼の剣の鋭さをようやく超えたあたりの【魔力糸】が配置されていたのである。
『『『『『『えっ?』』』』』』
…こうして、まさかの必殺の一撃となってしまったというわけだ。
ドワンの死亡により、結果はトーマの勝利。
暗殺者ギルドは長を殺した者が長になるという掟があり、トーマがそれになることが決定となってしまう。
なんとか自身で認めず、暗殺者ギルドのマスターなどという称号が正式に授けられてはいないのだが…。
「邪魔するぞ。」
「ちょっとお客さん、今は………っ!?」
早速出会ったのは、ドワンをゴミ同然に認識していた彼の娘にして、現暗殺者ギルドの纏め役ドライ。
トーマを開店時間内ではないのに、やって来た迷惑客だと思い、追い払うために出てきた彼女は、トーマを見るなり、固まった。
「久々だな、元気か、ドライ?」
なんの反応もないので、そうトーマが声を掛けると、ドライは無言のまま、【縮地】を使い、トーマに突撃をプレゼントしてくれた。
「……ボスーーッ!!」
ひしっ!!
「グハッ!!」
彼女たちはトーマのことをボスと呼ぶのだ。