夫の死に対する疑惑
聞き込みを終え、木嶋は署に戻った。
緑川が聞き込みした内容を聞いても、あまりピンとくるものはなかった。
木嶋はもう一度、永田がまとめた例のガードレール付近にあったコンビニの報告書を読み返すことにした。
コンビニの夫婦が死んだとして、今、問題の不審死を引き起こしている犯人は誰なのか。
木嶋はふと考える。
どちらかが、遺体をすり替えるなどして、死んでいないとしたら……
その場合、犯人であるコンビニ夫婦の動機は何だろうか。
妻の場合は、夫が浮気した原因が若い女性だと考えて、ガードレール沿いに並ぶ女性たちを逆恨みしての犯行となろうか。だが、夫はガードレール沿いにいた女を買ったわけではない。だから、この場所に集まる女性を殺しているとしたら、夫の件とは無関係の、なんの縁もゆかりもない女性を殺していることになる。
夫の場合は、コンビニを失い、金も失ったが、まだ女遊びがしたいというところだろうか。コンビニも、土地も、金もないから、女性と遊んだあと金を取り戻す為に、殺しているのかもしれない。
どちらにせよ、人を殺す動機にしては弱い。弱すぎる。
「だが可能性はゼロではない」
ありえないような理由で人を殺す者が、過去、いなかったわけではない。
わずかな可能性であっても調べてみる価値はあるかもしれない。
妻が殺された件については、保険金の話もあり、特に本人かどうかは相当詳しく調べただろう。
先に調べるとすれば夫の死だ。
そもそも、夫の死は『愛人』に殺されたというものだ。人生を弄ばれたのだから殺したくなるのも納得だ、というものではない。
妻の保険金殺人がうまく行き、警察も事故死だと認めざるを得ないところまで来ていたのだ。愛人側はそこに乗っかっていれば良かったのだ。
このコンビニの件と、ラブホでの連続不審死事件が最終的に繋がるのかも怪しいが、聞き込みで得た証言や、菜々子が監視カメラに見た映像などから、事件の鍵を握っているのがこのコンビニの件であることは間違いなさそうだった。
木嶋は報告書をもう一度、読み直し、夫である三上紳助が、本当に死んだのか。なぜ殺されたのかについて、調べてみようと考えた。
その為、三上の愛人だったという服役中の女性を訪ねることにした。
服役中の刑務所へと向かう道で、木嶋は女性がなぜ三上を殺した動機を思い返していた。
『この男はどうせ私も捨てると思うと今殺してやる必要があると思った』
安いドラマにあるような理屈だ。と木嶋は思った。
世界は意外にもそんな感情で動いているとも言えるが、今回に関して言えば、夫の死に不審な点があるかどうかが問題であって、この愛人にされていた女性の動機は問題ではない。
今回で言えば、この女性は三上を刺した後、現場を離れている。
遺体の処理を知り合いの男に任せているのだ。
この女性が、三上に致命傷を与えられて居なかった場合、三上が別の死体と入れ替えていたら、知り合いの男にはそこに転がっている遺体が三上のものとは分からないまま処理をしてしまうだろう。
遺体が三上だと判断した我々警察の調査に何か抜けがなかったか。
それを考えるための第一歩として、彼女からもう一度事件について聞き出し、抜け落ちたポイントがないかを探す。
木嶋は面会場所に着くと、常盤佳子がやってくるのを待った。
遠くでインターロックのドアが解錠され、その警告音が聞こえた。
おそらく慣れていないとこの音を聞き逃してしまうだろう。
いよいよだな、と思い木嶋は気を引き締める。
すると扉が開き、受刑者である常盤が部屋に入ってきた。
グレーの上下をきた彼女は誰、と言った表情で木嶋をみるとあっさり椅子に腰を下ろした。
視線を合わせようとせず、床を見つめたままだ。
「誰?」
「私は刑事で、木嶋というものだ。はっきりいうと、コンビニ店長殺害の件で聞きたいことがあってここにきた」
「もう実刑受けてるのにまだ聞き足りないの? まだ罪を被せようというの?」
常盤が見ているわけでもないのに、木嶋は手を振って否定する。
「そうじゃない。本当にコンビニ店長が死んだのかを知りたいのだ」
「どういう意味よ。死んでないなら私の罪はもっと軽くて済んでるでしょう?」
「君は遺体を確認したのか?」
常盤は急に顔を上げて、木嶋を見つめる。
「そんなの警察の仕事でしょ!」
「刃物で刺した時には確認しただろう。その後だ。男友達に遺体の処理を頼むまでの間、三上紳助の遺体をしっかり見たのか、ということだ」
「……何が言いたいの?」
木嶋は二人を区切る仕切りに顔を近づけた。
「三上が生きて、今も次々と犯罪を起こしているのではないか。そう考えている」
「生きてるって!?」
「ラブホで女性の連続不審死が発生している」
彼女は急に笑い出した。
「とてもらしい話だわ。とても、あの人らしい犯罪。女を食い物する、最低の犯罪ね。けど、女性は殺せても、あの人に男は殺せないんじゃない?」
「らしい犯罪? そうか、それは参考にさせてもらう。男は殺せないというのは、三上の身代わりとなった遺体のことか。まあ、本人に腕力がなくても計画的に実行し、殺したのなら、絞殺でも毒殺でも、なんとでも出来ると思うが」
「……私の持っていたナイフについていた血液でDNAの鑑定をしたって聞いてる。それはどうしたのかしら。あの人そんなに頭良くないのよ」
木嶋は考えていた答えを口にした。
「妻の三上幸子を殺した時のアリバイが完璧なことから考えて、あれはネットか何かで依頼した『交換殺人』ではないかと推測している。それであれば、さっきから言っている通り、交換として紳助が殺した遺体が存在する」
「遺体が出なければ保険金は出ないでしょ」
「交換条件の殺人が、必ずしも同じ『保険金目当て』とは限らないだろう」
常盤は視線を逸らした。
「あいつが生きている思うだけで、気持ち悪いんだけど」
「裁判で罪を反省したのではないのか」
「あの男を気持ち悪い、と思うことは別にいいでしょう。それに『殺してやりたい』までの感情ならね。本当に殺してはダメだというのは、この中で何度も繰り返し考えてそうだ、と思うようになったけれど」
彼女は指を組んだ手を見つめながらそう言った。
「三上が、妻を殺す時の話を聞いていないか?」
「調書に書いてないの? 何度も話したわよ」
「足がつかないように殺した、と聞いたとは書いてある。さっき言ったように『交換殺人』だったとか、それを仄めかすようなことはなかったか」
彼女は何か思い返すように目を閉じた。
しばらくすると、ゆっくり首を振りながら言った。
「何もないわ。本当に、思い出せることにも限界がある」
「わかった。じゃあ、お前の共犯者、死体遺棄に協力した男の方に話を聞くとするか。何か伝えたいことがあったら話してやる」
「そっちもクソ男。何も話す事なんてないから」
木嶋は顔だけ笑ったようにみせる。
「なら何も話さないでおく」
「……そうして」
木嶋はメモを閉じて上着の内ポケットに入れた。
常盤がいる方の扉が開き、面会の終了を告げる声がかかる。
彼女は立ち上がると、無言で出ていく。
誰もいなくなってから、木嶋はため息をついて静かに立ち上がった。