第19話
「リュウ」
広大な首都の地下で建てられた研究室。
少女はそこでここにいない名前を呟きました。
真っ白な袖なしワンピースにその上には少女にとってはぶかぶかの茶コート。
血液のような色をした瞳は感情がありません。
かつての聖女のような微笑はどこかへいってしまいました。
手には白銀の刀を大切に持っています。
「聖女の微笑みは安らかな死を、涙は平穏を……なんて聖母の能力、ある意味核兵器より危険だわ。なるほどね練成の影響で隠れた覚醒能力が反応して一気に解放した為に聖女様は感情を欠落したと」
少女の声など聞く耳をもたないとばかりにブツブツと結果を口に出しているだけの変わった少女。
茶髪のロングストレートに茶色の瞳、周りより少し小柄な身長に白衣姿。
ポケットに手を突っ込んでは目の前にいる聖女様を下から上、上から下を何回も往復して視界を動かしてます。
「アリアン」
耳を貸してくれないアリアンを呼びます。
自身の名前を呼ばれたことでようやく視線が合いました。
つり目で聖女様を睨んでいるようです。
「リュウがどこで死のうがどうだっていい、ドイゾナーなんて殺そうと思えばいつでもできるわ」
さらっと言い放ったアリアン。
「エリスもついでに消えてしまえば危険なクローンが減るし、アタシはクローン迫害運動に協力してんのよ」
「……」
聖女様から散らばった書類に視線を変えて、イスに座り込みました。
1枚1枚に目を通しては、破り捨てています。
「だけど、さすがにこの都市を巻き込んで死者を生き返らそうとするドイゾナーを止めてもらわなきゃ困るわ」
「リュウを助けにいかないと」
聖女様の言葉にアリアンは一笑。
「聖女様、そういえばお腹に生命反応があったんだけど、誰の子なの?」
「……知らない」
「知らない? リュウではないことは確かだけどそれ以外ならレヴェルのボスでしょ。保住健児っていう倭人に無理矢理? 違うわね、合意のもと」
「知らない」
「アタシがなんでこんなこと知ってるか、全部脳内に情報が入り込んでくるのよ。聖女様の脳内から得られた情報全部。セツナも保住もあんなに迷って結局すれ違ったのも聖女様が愛されたいから」
「違う」
「違うことなんて無い、誰かに甘えたい、もたれていたい。独りぼっちは辛いかしら、自分だけが独りぼっちだって思えるのはいいわよね……贅沢」
もう一度、聖女様を睨んだアリアン。
「本当の孤独は変わり者で誰からも理解されない存在よ!」
テーブルを叩きつけた勢いで用紙があちこちに散っていきました。
怒りを露にしているアリアンに聖女様は無言で見つめています。
そして、
「……自分も変わらないといけないのは知ってる。でも私はひとりじゃないっていうのも知ってる。エリスもリュウさんも大事な友達だから、前を向いて歩けばいつだって変われる。アリアンだってひとりじゃない」
徐々に血液のような瞳が薄れて、青く澄んだ空のように変わっていきました。
表情も少し穏やかになっています。
「だから、助けに行こう、一緒に」
「アタシはクローン迫害に協力してるのよ!」
「クローンも人間も関係ない。今からでもその気持ちは変われる。リュウさんを助けたのも都市に入れてくれたのも内心クローンが悪いなんて思ってないからじゃない?」
アリアンは力強く首を横に振って否定しますが、顔は真っ赤で照れているようにも見えました。
「ああもう! さっさと行くわよ!!」
立ち上がっては聖女様より前をどんどん進んでいきます。
深い地下へと続く真っ暗な世界の扉。
「ほら、アタシは聖女様と違って体が弱いんだから」
「うん、それとカナンって呼んで。私は本当の聖女じゃないから、聖母でもないから」
不機嫌そうな表情を出しては真っ赤な顔のままアリアンは、
「か、カナン」
呟くように言いました。
「うん」
アリアンをお姫様抱っこにして躊躇なく闇の世界へと飛び降りていきました。
数秒間の真っ暗闇に目をきつく閉ざすアリアンとしっかり目を開けて確認しているカナン。
「うぎゃ」
両脚を軽く曲げてしゃがみ込むように着地した衝撃でアリアンは軽く呻きます。
カナンから解放され、アリアンはポケットから何かを取り出しました。
何かを弾く様な音と同時に明かりが灯されました。
少しの範囲内ですが先ほどより視界ははっきりとなります。
アリアンの手には短い棒状の機械。
その先端から光が出ています。
「この道真っ直ぐ行けば次に右曲がってまた直進、そうしたら広いホールがあるわ」
「知ってるの?」
「当然、ここはお父さんが設計した地下通路だもの」
複雑な地下通路を知っているアリアンを頼りに目指す場所へ向かいます。
「ドイゾナーを倒したらどうするつもりなの? 特にお腹にいる子供」
「ちゃんと、産んで育てるよ、大事な子供だから」
まだまだ膨らんでもいないお腹に手を当てました。
「だからエリスもリュウさんも助けないと」
カナンの青い瞳は強く前を見つめています。
しばらく続く長い通路を進んでいくこと数分。
既に開かれていた鉄製の扉と対面しました。
その先に見える明かり。
「リュウさん!」
真っ白な天井、その下は血液が飛び散っています。
カナンはただ広いホールの中心へ。
水溜りのような血も気にせず踏み込む。
真ん中には血を流した青年が1人。
彼には左腕がありませんでした。
「……くっそ、か、カナ、ン?」
苦悶の表情。震えた右手をカナンの頬に当てます。
「セツナに、腕を、意識で」
何を言っているのでしょう。
この世にセツナはもういません。
「意識の中にセツナさんが?」
なんとか答えを聞こうとしますが、リュウは口を動かすだけで声が出ていません。
「カナン! リュウから離れて! ドイゾナーが近くにいるわよ!!」
何かを察知したのでしょうか、アリアンは瞳を収縮させて辺りを見回します。
しかし何も視界には映ってきません。
カナンはリュウをその場に白銀の刀身を鞘から抜き取りました。
「ハハハハ、哀れだなぁ。セツナに拒絶され結局戻ってきたのだ」
カナンの背後から不気味な声が。
「カナン、精神が戻ってしまったのか。ちょうどいい、愛しいヘレナの体となれ」
振り返れば2mは超える巨体の男。
真っ黒なローブで体を隠し顔も見えません。
そして、
「エリス!」
ドイゾナーの手には襟首を掴まれて宙に浮いた少女の姿。
「え、えり」
茶髪のツインテール、深緑の瞳をしたエリスは力なくうな垂れています。
リュウは必死に体を起き上がらせます。
立ち上がろうとするリュウに手を貸したカナン。
「まだそんな気力があるとは……最期は愛しいこの小娘に殺されるがいい」
エリスを解放した途端、彼女の周りには白い円が描かれます。
「我は錬金術師の継承者なり、神の代弁者なり」
呪文のような言葉を口にすれば、エリスは動き始めました。
地面から浮き出てきた細い両刃の剣。
その武器を手にしたエリスは2人に切っ先を向けます。
まるで操られているような、眠たそうな瞳。
「エリス、やめろ」
リュウは短期的に続く激痛を堪えて刀を握り締めました。
ですが彼の声は届きません。
何も言わないエリスは走り出します。
「危ない!」
カナンに右腕を引っ張られてそのままリュウは後退。
あと寸前で胸を貫かれるところでした。
「くそ、エリスに何をしたんだ!?」
「覚醒だよ、殺意識の覚醒。5年前にセツナが起こした殺意識、この力があれば愚民も、クローンも全て終わる」
ドイゾナーの口元から不気味な笑みが。
「さぁカナン、我と共に」
手を差し出されますが首を振って拒否します。
「……セツナの代わりに私がこの手で貴方を消滅させます」
「ならば無理にでも」
ドイゾナーの手には分厚い教本。
カナンから離れたリュウは、しっかりとエリスを見つめて刀を構えます。
そしてカナンもまた白銀の刀を構えて戦闘態勢に入りました。
その様子を扉の近くで眺めているアリアン。
「クローン同士が殺し合いなんて、変なもんね」
腕を組んではその成り行きを守っていました。




