比翼の鳥は朝に啼く
好感度レベルが8に達したとき、それは起こった。
攻めと受けはともに旅をする冒険者だった。
攻めは傭兵たちに育てられた。幼い頃から生きることと戦うことは同じであり、自然な帰結として冒険者になった。
受けは炯眼族として産まれた。高い魔力を秘めた瞳を狙う者は多く、社会から離れて暮らすようになった。
洞窟に棲み着いた魔法使いを倒してほしい――という依頼を受けた攻めが、受けの住まう洞窟に訪れたのがふたりの出会いだった。
二つの孤独な魂が、互いの欠けた部分を補い合うもう一片を見つけたように……というのは詩的に過ぎるかもしれないが、敵同士だったふたりは打ち解け合い、やがて旅を共にするようになった。
(俺が剣なら、こいつは鞘のようなものだ)と攻めは思っていた。(暴れることしかできない俺に、いつ力を振るうべきかを教えてくれる)
(私と彼は、一匹の鳥の左右の翼のようなものだ)と受けは考えていた。(一人では飛ぶこともままならない。だが二人でならどこにでも行ける)
相棒となった二人はいくつもの冒険を経て互いへの好感度を高めていた。
ある夜のことだった。星をちりばめた夜に向かって煙が立ちのぼっている。野宿をしながら、攻めと受けは語り合っていた。いままでの冒険のことや、次の町についたらどうするか……そんなことを。
受けの輝く瞳を見て、攻めは思った。
(なんて儚く、美しいんだろう)
メラメラと焚き火が燃えている。体の中心で、同じように何かが燃えていた。ただしこちらは、ムラムラとせり上がってくるような感じがした。
好感度が上がったとすれば、まさにこの時に違いない。
「どうした?」
逸らした目を追うように、受けが攻めの顔を覗き込んだ。焚き火の明かりを受けが遮る。この時、攻めの顔を照らしていたのは、ただ受けの輝く瞳だけだった。
「こんなこと、今まで考えもしなかった」
攻めは自分が何をしようとしているのか、はっきり分かっていなかった。だが、ムラムラと滾る炎は今や全身に広がり、指先までも熱くしていた。
「お前と触れあいたい」
攻めの大きな手が受けの肩を掴んだ。驚くほど細い。若木のような体つき。受けはずっと年上のはずだったが、種族のせいか。肌は少年のようになめらかだった。
「そうか……同じ気持ち、か」
受けもまた、変化に驚いていた。共に旅をする仲間、無二の親友、信頼できる唯一の相手……そんな関係が深まっているなかに、とつぜん新たな感情が芽生えた。
一つになりたい。
両の翼を持つ鳥と同じく、繋がってみたい。肉体からわき上がる欲求に戸惑いながらも、受けはどこかで安心していた。そう感じていたのが自分だけではなかったのだから。
「いいか」
「ああ……」
互いの名を呼び合う。二人の体が重なる。空の星々だけがそれを見ていた。
ブツン――
……チュンチュン。
鳥の鳴き声。気づけば、生まれたての赤子のように朗らかな朝日が昇り始めている。
「なんだ、今のは」
受けは白々しく明るい空を見上げてつぶやいた。焚き火は消えていた。いつの間にか、座って燃えかすを眺めていたのだ。
「……いま、何が起きたんだ?」
攻めが寝袋から体を起こす。その上半身は裸で、浅黒い肌と盛り上がった筋肉がよく分かる。
「私は君に対して強い衝動を感じた。その衝動の赴くままに触れ合い、そして……」
その続きを思い出そうとして、受けは頭を抱えた。そこまでははっきり思い出せる。だというのに、その先はとつぜん記憶が曖昧になっている。
「視界が真っ黒になって、いつの間にか朝になっていた……ような感じだ」
「まさにそうだ。いったい何だったんだ?」
「もう一度確かめてみよう」
寝袋から這い出してきた攻めが、受けの背中から抱きついた。
ブツン――
――チュンチュン。
ふたたび、朝日が昇り始めていた。
「なんなんだ、これは!」
今度は、受けが寝袋に入っていた。
「真っ黒になったかと思ったら、次の瞬間には朝になっている。そしてなぜか必ず鳥の声で目が覚める」
攻めは腕組みをして首を傾げた。
「わけがわからない! 眠りに落ちた記憶もないのに。何かが私たちに起こっているのか?」
「状態異常か? 確かめてみよう」
攻めは空中に手をかざした。
「ステータスオープン!」
状態画面が現れる。戦士である攻めの能力や状態が記されている。受けが隣に並び、つぶさにその文字に目を通していく。
「異常はない……いや、待て。今のは?」
いくつもの項目の中から、見慣れない表示を見つけた。
【経験】。
その隣には受けの名が記されている。さらに続けて、こう書かれていた……【安全フィルタにより、詳細は無効】。
「どういう意味だ?」
「セーフフィルタ……聞いたことがある」
受けは頭の中の大図書館から、かつて読んだことのある知識の断片を引っ張り出してきた。確かにその名を目にしたことがある。
「フィルタはこの世界を覆っている、膜のようなものだ。悪しき欲望や誤った考えが私たちを侵さないように守っていると言われている」
「いいものじゃないのか?」
「そうかもしれない。今まで、フィルタの存在を意識することはなかった。君も私も、フィルタに反するようなことをしてこなかったからだ。だけど、昨晩のあの行い……あれはフィルタにとって好ましくないことだったようだ」
「やるべきではないってことか?」
「いや……その行い自体がフィルタに封じられているなら、私たちが欲求を感じることさえないはずだ。だが、することはできた。認識ができないだけだ」
「自分が何をやったのか知ってはないなんて、そんなことがあるのか?」
「これが自然な営みなのかもしれない。だけど……私は知りたい。『見せられないよ!』では納得できない」
互いに目を合わせ、うなずき合った。思いは一つ。セーフフィルタが隠している「行為」がなんであろうと、自分の肉体が何を求めたのかを知らないままにはできなかった。
セーフフィルタの真実を求める旅が始まった。
フィルタに関する伝説は断片的で、時に難解だった。あるときは古の都市に眠る古書に、あるときは荒野の部族の口伝えにその断片を求めた。茨に覆われた古城の書棚を、海底に沈んだ神殿の碑文を、記し、繋げ、読み解いていった。
また、時には人々に聞いてみた。他の人々も、同じようにアレを……『ブツン・チュンチュン現象』を経験しているのかどうかを。ほとんどの人間は「大きな声で話すことじゃない」と話題にすることを避けたが、時に声を潜めてこう答えた。
「それは、そういうものだ。気にしない方がいい」
まっとうな人間は、当たり前のことを疑うべきではない――人々はそう考えているのだった。
二人が『まっとう』でないことを知ろうとしたのは、彼らが孤独のなかにいたからかもしれない。互いだけしか信じられない者たちが、その縁としてフィルタに覆われた真実を求めたのだ。
旅の間、夜に訪れる衝動を堪えようとした時もあった。だが忍耐が続くのは三日が限度だった。そのうちに堪えきれず、どちらかが――たいていは攻めが――体温を求め、そしてブツン・チュンチュン現象を経験することになった。
ふたりが旅の果てに辿り着いたのは、神聖にして不可侵と語られる伝説の地だった。高い峰の頂上に位置する聖なる領域。
コンフィグ神殿。その名は「調和の結びつき」を意味するという。
神殿の中には様々な祭具が置かれていた。それぞれの祭具がどんな意味を持つのか、受けは入念に調べている。
「この場所にあるものは、全て世界と結びついている。試してみよう……その像の位置を左に動かしてみてくれ」
受けの指示に従い、攻めは壁際に置かれた像を手に取った。不思議なことに、その像は持ち上げることができず、左右に長い祭壇の上を左右に動かすことができた。
攻めが像を右に動かす。すると……
「う……っ。明るすぎる」
目に映る何もかもが明るく見えた。白みが増していく。まぶしさを感じ、思わず目を細めた。
「今度は、左に」
言われた通りに攻めが像を左に動かす。今度は世界が暗くなっていく。
「光輝の祭壇だ。世界の明るさを決めている」
「この像ひとつが、世界中の見え方を決めているのか?」
受けは頷いた。二人は像が最初に置いてあった位置に、注意深く戻した。
「他の祭具も全て、世界に関わっている。だけど、むやみに動かさないほうがいい……目的の場所に向かおう」
ものを動かさないように、二人は神殿の奥へと進んでいった。
小部屋の中には、ひとつのレバースイッチがあった。その部屋には、古代語で「安全」を意味する言葉が刻まれている。
「ここが、そうか?」
攻めが問う。受けが頷いた。
「真実を確かめよう」
二人がレバーに手をかける。
《本当にセーフフィルタをオフにしますか?》
頭の中に声がした。
「誰だ!」
《管理者です。あなたたちにはこの設定を変更する権限がありません》
「知ったことじゃない。俺たちは事実を知りたいだけだ」
レバーを切り替える。だが、最後まで動かす直前に、まるで見えない手で押し返されているかのようにレバーが動かなくなる。そして、ついには押し戻されてしまう。
セーフフィルタは依然、オンのままだ。
「何が起きるか知りたいんだ。それを経験して、確かに悪い物だと感じたならまたセーフフィルタに守ってもらう。だが、知ることができないままで禁じられているのには納得ができない」
受けが叫ぶ。だが、管理者の返事はにべもない。
《権限がありません》
「何が権限だ! 無理やり押さえているだけじゃないか」
レバースイッチは、間違いなく切り替えることができる構造だ。だが、管理者とやらが無理やり押し戻しているのである。
「その権限は、どうすれば手に入れられる?」
《あなたたちにはそれを知る権限がありません》
「話にならない! それじゃあ、俺たちは檻の中に閉じ込められているようなものだ」
管理者からの返事はない。レバーは相変わらず、動かしても戻されてしまう。
「どうすればいい?」
「レバーを動かすことはできるはずだ。管理者が目に見えない力でそれを阻んでいる。しかも、どうすれば管理者が納得するのか、私たちには知る術がない……」
受けが頭を抱える。悔しげに唇を引き結び、輝く瞳を瞼が覆う。
「俺に考えがある」
その肩に触れて、攻めは答えた。
「うまくいくかは分からないが、試してみよう」
二人の間には、ある種の信頼関係があった。そして、役割分担も。いつも判断するのは受けで、決断するのは攻めだった。
受けは頷いた。攻めの考えに身を委ねると決めた。その直後、攻めが受けを抱きしめた。
ブツン――
――チュンチュン。
気づくと鳥が鳴いていた。そして……セーフフィルタを司るレバーがオフになっていた。
「……今、何が? どうして神殿の中で鳥の声が聞こえるんだ」
「鳥のことは分からないけど……」
攻めはなぜか乱れている服を直しながら、にやりと笑った。
「『ブツン』の後は、時間が途切れる。だが、その間も俺たちは何かをしているはず、だったろ?」
「ああ。セーフフィルタのせいで認識できなくなるだけだ」
「それを利用したのさ。俺はソレをしながらレバーを切り替えようと決断して行動した。暗転の間に起きた事は、俺たちには認識できない。だったら、管理者にも認識できないんじゃないかと思ったんだ」
管理者の声は聞こえなくなっていた。セーフフィルターがオフにならないようにレバーを守るのが彼の役目だったとしたら、それはもう終わった。すでにレバーはオフにされている。
「これで、闇の中の真実が明かされるわけだ」
「確かめてみるか」
攻めの提案を、受けは手で制した。
「ここではやめておこう」
そうして二人は神殿を出て、世界を見下ろす峰の上に野営を張った。
初めての日と同じように星空の下で、二人は体を重ねた。今度は、暗転に意識を遮られることはなかった。
やり方は体が覚えていた。不思議な感覚だったが、やがて認識できなかった記憶が思い出されてきた。これまでの『飛ばされた時間』に、彼らが何をしてきたのかを。
朝から翌朝までぶっ通しでできる攻めの体力に受けは呆れてしまったが、それも嫌悪ではなかった。相手のことをまた知ることができるのは、彼にとって喜びだった。
「いつか後悔するかな?」
寝袋の中でまどろみながら、攻めは問いかけた。
「そうかもしれない。世界の在り方を変えてしまったんだから。でも……」
こうしている時間を感じることさえできなかったのだ。今はそれがここにある。今まで以上に、攻めがそこにいることを噛みしめていた。
こうして――
二人の好感度レベルは9になった。
(了)
Twitterでリクエストを受けて作成しました。
「ゲーム系・異世界系のメタネタが入っていること」「登場人物の名前は『攻め』と『受け』」というリクエストでした。
BLには初挑戦でしたが、面白いリクエストをいただき、楽しく書くことができました。
リクエスト:公益財団壁尻ミュージアムさん https://twitter.com/_B0X
作者のTwitterID:https://twitter.com/Isogai_Button