3.始まり
目的地の生徒会室には、数名の役員メンバーが集まっていた。今年からの新編成にはなるけど、まだ見慣れた人達しかいない。
「お疲れ様です。何か仕事ありましたか?」
「いーや。特に」
答えたのは会計の橘千彩。今は、詳細は省くが彼も攻略対象の一人で、チャラい会計と先述した人。ソファーでくつろいでいるあたり、本当に何もしていないらしい。
私や会長と同級生で2年生だ。先輩にもなるんだから、せめてちゃんとして欲しい。
「暇なのね……」
私がわざとらしくため息をつきながらそういえば、彼は心外だと顔をでアピールする。彼も彼でわざとらしい。
「いやだなー。談笑中だよ。仕事してないからって、暇呼ばわりは聞き捨てならないけど?」
「別に暇と大して変わらないじゃない」
「えー」
軽い調子で話す彼の態度は私も他のメンバーも、もう慣れた。 橘は4人の攻略対象の中で唯一高等部からこの学校に入ってきている。中等部からのメンバーが多い中で、時間という関係値は少ないのに、この学校や生徒会室での馴染み様は尋常じゃない。
「本当に仕事はないよ。会長だって来てないんだ。会議もできないし、橘だけじゃなく、皆も帰って構わないよ?」
「清水先輩……」
その場に居た、もう1人の役職持ち、副会長の清水先輩が声をかける。ちなみに攻略対象じゃありません。
平凡よりはやはり優秀で、でも個性が強すぎず、温和な先輩はこの部屋の癒しだ。
「じゃあ、お先に失礼しますよ」
「俺もお先」
清水先輩の声に答えて、立ち上がったのは、机周辺の整理をしていた庶務の先輩2人。双葉先輩と三ツ矢先輩だ。
家族ぐるみで仲が良く、幼なじみらしく、よく行動も共にしているので一部女子から絶大な人気があるとかないとか…。
「おつかれです」
挨拶すればヒラヒラと手を振って答えて出ていく。清水先輩も、この2人の先輩も攻略対象じゃないからか、穏やかでありがたい。
「僕ももう帰ろうと思うけど、鈴城と橘は?帰らないのかい?」
橘と顔を見合わせてちょっと考える。来るのが少し遅すぎたらしい、することないなら別に帰ってもいいかもしれない。先輩達が片付けてくれていたおかげで部屋も綺麗だし、普段常備されているティーセットも新学期ということでまだ準備されていない。
「まあ、暇ではあったし、みんな帰るなら俺も帰ります」
「そうですね。私も帰ろうと思います。今来たばっかで何もしてないんですけどね」
「うん。了解。また来週から顔合わせ含めて会議始まるから、それから頑張ってもらおうかな」
3年生の清水先輩に懐いてる橘がちゃんと敬語を使うのを、ちょっとギャップに感じる。この2人の絡みが原作には多分なかったので(そもそも何も覚えてないけど)、これはこの世界での新しい発見のひとつだった。
本当に何もしなかった罪悪感もあって、生徒会室の鍵を職員室まで返す役を申し出たので、結局誰かと一緒にもならず1人で帰宅することになった。
通学は電車+徒歩だ。迎えが来る人たちもいるけど、前世の感覚もあって、私は自ら電車通学を志願した。高校生として、寄り道とかできないのはつまらないという理由だ。
友達がみんな車通学で、そもそも一緒に帰る友達はいないのに、自分から言い出した手前撤回できないなんてことは無い。家族は最初から車通学を推奨してるから、撤回して車にするのが負けたようで悔しいなんてことはない。
今だって決して寂しくないし。
――――――
長い長い始まりの一日はまだ終わらなかった。
『我が家は古来から武家の一族だ』
幼い頃に言われたその言葉に納得がいく古めかしい豪邸に帰宅する。敷地は広く、それを囲む築地塀にはなかなか威圧感がある。昔はこの要塞に帰っていくのに、人目を気にしたものだった。
慣れとは恐ろしいもので、庶民の感覚が抜けきった訳では無いが、もう何も気にしなくなっている。
バカ広い敷地ではあるが、その大半は道場と、我が祖父母ご自慢の庭に占められている。だから、家自体にそこまでの広さはない。
まあ、これも成瀬や進藤などの一流の家と比べるとだ。
「ただいまー」
やっと要塞本部の入口である玄関に辿り着けば、我が家のお手伝いさんである怜子さんが出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ。このあとはどうなさいますか?」
第2の母のような存在の怜子さん。両親は仕事等の都合上で私が家に帰る時にはだいたいいない。もはや両親より長い時間会っているだろうか。
「道場に行こうかな。おじい様は?」
「弓道場にお出でです」
「ありがとう」
今日は考え事ばかりだし、稽古ごとに時間をつかってもいいかもしれない。おじい様がいるの言うならちょうどいい。
「お荷物お部屋に置いておますね」
気の利く怜子さんに再びお礼をしてから、弓道場へ向かう。
弦音が聞こえた。
おじい様が弓道場に行っているとは聞いたけれど、実の所彼が弓を引くことはほとんどない。きっと誰か稽古中だと思う。
そうなると、これまた間が悪い。急に鈴城家の一人娘がやって来たなんて、相手も気まずかろう。少し覗くぐらいで退散しようかな。
ターン
ターン
立て続けに的に命中する音がする。うちのおじい様が教えるのは、筋のいい人ばかりだが、最近はあまり印象になかった。
誰なんだろう。
覗こうと思った好奇心が一層膨れ上がる。
静かに入り、おじい様と弓を引いていた誰かがいるであろう射場に近づく。
「…鈴城?」
冷静で動揺しない彼が、珍しく驚きをその顔に見せた。タイミングが悪く、振り返ったその人と目が合ってしまったのだ。
本当に今日の間の悪さはなんなんだろう。
「こんばんは。柿原先輩。稽古…ですよね」
こちらはできるだけ平然を装う事に意識を集中させる。
「あぁ。なるほど、そうか、同じ鈴城だったか。お前の家だったんだな」
今度は納得したように言う。
「ええ。おじい様が弓道場にいると聞きましたので、立ち寄ったのです。お邪魔して申し訳ありません。退散しますわ」
ついでで「ただいま帰りました」とおじい様に声をかければ、
「あぁ」
と素っ気ない返事が返ってくる。あれで孫Loveのおじい様なので、内心は喜んでいることでしょう。
弓を引きたかったのはあったが、お邪魔するのは本意ではないので、言葉通りに退席しようとする。
「待ってくれ」
短い言葉に引き止められ、軽く首を傾げる。
「なんでしょう」
「本日から君の祖父にお世話になる。顔も合わせることもあるだろう。よろしく頼む」
柿原先輩が律儀に礼をする。洗礼されたその所作は綺麗だった。
「はい。こちらこそよろしくお願いします。有意義にお過ごしください」
それだけ言って今度こそ退席する。
よろしくお願いしますなんて言葉とは裏腹に、もう当分道場には来ないようにしよう。と決意を固めた。
柿原先輩。フルネームは柿原直人。最後の攻略対象で、ツンデレ風紀委員長その人だ。端正な顔立ちに細いフレームのメガネは、凛として時に気難しい印象も与えるが、道着姿はとてもよく似合っていた。流石と言うべきだろうか。
風紀委員と生徒会という関係でお互いに面識があるが、こうして学校外で会うのは初めてだった。
生徒会メンバーは仕方ないとして、柿原先輩と進藤先輩には極力関わらないでいきたいのだ。今回はだいぶ嬉しくない誤算だったと言える。
乙女ゲームの裏ではこんな設定もあったのか。
蒼唯視点を知らなかった私は脇役が意外と攻略対象との交流があり、ただ驚いていた。