2.始まり
「お久しぶりですね。鈴城さん。」
式典行事特有の長々としたありがたい挨拶を拝聴した後、各クラスに向かう私に声がかけられた。
足を止めてその声の方を向くが、私以外の人達も足を止めたのが聞こえる。声でももちろん分かるけれど、周囲の反応に確信する。彼だ。
「ええ、成瀬会長。お久しぶりです。」
振り向きながら私が挨拶を返すと、彼は何も言わずに隣並び一緒に教室に行こうとする。そこで今度は周囲の息を飲む音が聞こえた。
無理もない。在校生にとっても新入生にとっても、彼は王子様のような存在に見えるでしょうから。
成瀬恵。
彼は、この秀光学園高等部の現生徒会長であり、古くから変わらず繁栄する成瀬家の長男。そして、イケメン攻略対象その1だ。
才色兼備。眉目秀麗。質実剛健。『かっこいい四字熟語を並べれば大概彼に結びつく』というのは全校生徒の総意だと勝手に思っている。
生徒はもちろん教師陣からの信頼も厚い彼とは、実に10年近い付き合いになってきた。出会いは初等部の頃パーティーだった気がする。
しかし、それなりに仲良くしていた気がする私は、中等部に上がった頃から、先程の挨拶を含め、他人行儀な彼の態度に距離感を測りかねていた。
去年で少し元に戻れた気もしたんだけどな。
なんて。私の一方的な勘違いだったようだ。深い関わりはしない!と意気込む私には好都合だけど、それでも気まずい。
「鈴城さんと生徒会長が一緒に行動なさってる」
「めずらしい」
周囲も私たちがそこまで親交があるように思ってなかったらしくて、正直な反応が伺える。
ちなみに私が1番驚いてた。
人前で私と一緒に行動することは、事務的な用事以外ほぼ無かったのに。
これもゲーム開始の影響か。と、1人納得した。
――
クラスへ向かう廊下で、成瀬がようやく口を開いた。
「今年の書記。忙しくなるでしょうけど頼りにしています。僕ももう、中等部の頃のように助けて貰うばかりでもないので、荷は軽くなると思いますよ。」
激励の言葉だ。優しく微笑む爽やかな笑顔を見ながらありがたく言葉を受けておく。別に、お互い愛想はいいんだ。会話がなく気まずいだけで。
成瀬会長優秀すぎて助けた覚えほとんどないけどうまく言うなー。なんて言う本音は気まずさと共に表情の下に隠す。
中等部の頃に同じく成瀬会長の元で生徒会書記職を経験していて、この高等部でも2年生から書記をやらせてもらうことになった。
余談だけど、今期は会長、会計、書記が2年で、ほかの職が3年生という割り振りだ。この学校は割と家柄もものを言うので、2年が要職に着く構図は珍しくなかった。
「ありがとうございます。成瀬会長。またご一緒できることを嬉しく思います。」
成瀬会長を真似て、こちらも愛想良く微笑むとまた会話が止まる。『助けるなんて…そんなそんな!』とか、謙遜の言葉を出さなかったのはちょっとした反抗だった。
成瀬会長ってもしかしたら会話下手だったり……。
まず有り得ないような想像をしてるうちに、すぐクラスに着いたので、
「では、これで」
と、彼に別れを告げ、私は一気に気まずさから解放された。
正直。1番気まずいのは、間の空いたときの成瀬会長の心情を慮ることより、何も喋らず歩く私たちにつられて周囲も静かなことだ。
別に合わせなくていいのに。と、少しうらみがましく思ってしまった。
そういえば、私と成瀬会長は違うクラスだ。思えば、同じクラスになったことは今までにない。
あれだけ完璧な人がクラスに1人居たらまとめる時とか苦労しないくて楽でしょうに。
――――――
「今年の1年の特待生に、可愛いくて、相当頭のいい子がいるらしいよ」
そんな言葉が聞こえてきたのは、入学式後のホームルームも終わった帰りがけのことだった。
毎年の特待生がどうだったという話は別段珍しくなく行われている。“特待生”という少しばかり異質な存在はどうしても他の生徒の関心を買うからだ。
かくいう私も、特待生の話に興味がある。
頭が良くて可愛いか……。それはヒロインとしか思えないな。
酷評される年もある中で、この評価はなかなか見かけることは無い。何より、沢山の素晴らしいご令嬢達と普段から関わってる人達の中でこの評価。
初めて知るヒロインの客観的な評価は、意外だった。
優秀な特待生とは、こんなに簡単に受け入れられるものなのか。それともヒロイン補正か。なんとも分からない。
――
少し生徒会室を覗いてから帰ろうかな。と、廊下を歩いていた時、
「…きゃあっ!」
近くで悲鳴がした。
目に見える範囲ではない。声がしたのは廊下の突き当たりにある階段からだった。
階段から落ちたとかだったら洒落にならないと、一目散に階段まで走った。
「おい。邪魔だ」
今度は威圧感のある男子生徒の声が聴こえて、突撃する足を急停止させる。
「なっ!?邪魔って…今この子、あなたにぶつかられて転んだんですよ?」
さっきの悲鳴とは違う声。
「り、りささん…!!」
“りさ”と呼ばれた女子生徒の声は高くて、力強かった。当事者の人達と目が合うのも気まずく、廊下で立ちつくしながらことの成り行きに耳を傾ける。
「あなたが謝ってください!」
やけに気が強いセリフに、数秒の間の後に男子生徒が答える。張り詰めた空気を感じ、息を呑む。
「……俺にそんな口を聞く奴もいるんだな。」
ぼそっとつぶやかれた。
「名前を教えろ。そしたら、謝ってやる」
「… 貴宮梨沙」
不満げに答える声を聞いて満足したのか、男子生徒は「悪かったよ」と言いながら上の階へ消えていく。
少しして、お互いに声をかけたり、謝ったりしながら、女子生徒達もその場から離れた。
「今の……」
騒動の両者が去った後で、盗み聞きがバレなかった事に安堵して息をつく。
それほど長くはない時間だったが、男子生徒は声と威圧、立ち向かった女子生徒はその名前から、誰かというのが分かった。
なんせ、男子生徒は攻略対象の一人。俺様御曹司の進藤綾人だ。成瀬と並ぶほどのお家柄で、現在学校内では何にも属していないが、その権力や人望は計り知れない。
そしてもう一人。貴宮梨沙と言った女子生徒は、紛れもなくヒロインだ。多分原作のヒロインの初期ネームと一致する。
今みたいに、彼になりふり構わず反抗できるのは、きっとヒロインしかいないだろう。
しかし、想像以上に気が強いタイプなようだ。
「貴宮梨沙……。」
本当にヒロインがいた。
決定的な人物の登場に、嫌でもゲームの始まりを実感してしまう。出会いイベントなど、カケラも覚えていないけれど、さっきのがそうだったに違いない。
進藤綾人は完全にヒロインを気に入った様子だった。
そんなヒロインと攻略対象の出会いのシーン。壁にでもなって、ちゃんと目に焼き付けたかったと思う自分がいる。二人のこの先の絡みが楽しみなのは、紛れもなく前世から今を含めた私の私的な好みと好奇心からだ。
逆に、公的な立場、校内の権力者と関わることが多く、生徒会の役職持ちである鈴城蒼唯として考えよう。
可愛くて、勉強もできる特待生。その社会的後ろ盾は、他の生徒からしたらありんこ程度。
最初こそ、物珍しさもあってか評判はいいが、彼女がこの先も実力を見せ優位に居続けたら…。優良男子生徒達とお近づきになり始めたら…。
どうだろう。
人格者達が集まっているはずとしても、普段社会的に優位にいる者たちが、たかが庶民に下剋上された時、その妬みほどはわからない。
女子生徒の嫉妬の方が強いかもしれないし、どんなにヒロインの人柄や実力が優れていても、避けられないだろう。
それを気にしなければならない立場になるか、はたまた、憎き特待生をわからせたい方々に、その筆頭として担ぎ上げられるかもしれない。
私としては、少しでも気にかけてあげたいが、それが贔屓だと批判を増加させる可能性だってある。
発言力があるというのも考えものなのだ。
しかし、現状はまだヒロインが出会いイベントをこなしたばかり。
今は一原作ファンとして、ヒロインの幸せを祈るだけだ。