第十四章 痛みの記憶(1)
第十四章 痛みの記憶
深夜、樹も遠夜も寝ついてしまった頃、5階にある別宅では、海里と大地が向かい合って座っていた。
これからの相談をするためだ。
一度に色んなことが動きだして、どうするべきなのか、今一度話し合おうということになったのだ。
今回の任務についているのは海里と大地のふたりだけ。
なにが起こっても自分たちで対処するしかなかった。
それだけに近衛士官としての実力を試される任務でもあったのだが。
この任務を見事努めてみせれば、ふたりにはちがう未来が待っているだろう。
樹が想像したとおり、近衛士官の将軍とその副官という未来が。
だがそれまでの道程は遠く険しかった。
「結城隼人君のことだけどね。大地。きみはどうするべきだと思う?」
「彼のことか。確かに難しい問題だな。彼のことを知れば皇帝陛下の長年の心労が取り除かれる。だが、同時にそれは皇帝陛下に新たな心の傷を与えることでもある。どうするべきなのか難しいところだ」
「うん。でも、知らせないわけにはいかないだろうね。皇帝陛下はそれがどんなに辛い過去でも逃げ出したりなさらない方だし。
それにこれ以上、彼のことで心を痛める姿を見たくない。陛下をご安心させてさしあげたいんだ。そのために新たな心の傷を与えることになっても。でも、本当にそれが陛下のためになるんだろうか……」
珍しい海里の弱気な態度に、大地も難しい表情をしていた。
海里は明朗快活な性格で、わりと周囲に合わせるタイプだから、迷うことが少ないと思われがちである。
リーダーシップの取れる性格をしているのだ。
だが、その海里も万能というわけじゃない。
迷わないわけじゃない。
遠夜が言ったように自分の苦労を人に打ち明けないだけなのだ。
兄の珍しい姿に大地はかける言葉を探していた。
自分が慰めの言葉も言えない不器用者であることを呪いながら。
「真実から逃げることがなにを意味するか、これまでの歴史が証明している。陛下はそれがどんな現実であれ、受け入れられる方だし。そうじゃないのか?」
苦労して言えたのはその程度の言葉だった。
海里はそれもそうだなと言いたそうな失笑で応えた。
「じゃあ久しぶりに陛下に連絡を取ろうか。おふたりが再会されてからは一度も連絡を取っていない。こちらの動向をきっと気にしていらっしゃるだろうから」
そう言って海里は樹にも内緒で用意した水鏡の前に立った。
これは皇帝陛下から頂いた物で、これで遠い故郷にいる皇帝と直に連絡を取るのだ。
この異例の事態が成立したのは、衛がそれを望んだからである。
第三者を介して入ってくる情報ではなく、生の情報が欲しいと彼が望んだ結果なのだ。
皇帝本人と直に話せる機会をもらえたふたりは、とても幸運だったと言えよう。
事実この任務は極秘任務だが、この任務につくことを知っている者からは、かなり羨ましがられた。
皇帝に直に接することが許される。
それは故郷ではひとつの勲章なのだ。
連絡の際に主に話をするのは海里である。
大地は光栄なことだとわかっているし、それが皇帝に好印象を与えるいい機会だともわかっているのだが、やはり不器用な面が災いして直に話したことは数えるほどだ。
衛が樹のことを、つまり実弟の惺夜のことを知りたがったときに、ぽつりぽつりと答える程度だった。
衛も諦めているのか、大地が相手のときは必要最小限なことしか訊かない。
それ以上のことを知りたいときは、惺夜絡みでも海里に訊ねる。
それだけ海里が信頼されているということである。
ある意味で海里はこの任務を、もう半分は成功させているも同然なのだ。
後はふたりを連れ帰ることができれば、皇帝の信頼は揺るぎないものとなる。
海里の昇進は間違いないのである。
兄のそんな面を知る度に、自分にも海里の半分でもいいから器用さがあったらと思わずにはいられない大地だった。
大地だって皇帝と直に話すという栄誉にあやかりたいし、陛下に信頼された近衛士官として任務を全うしていることを報告したいのだ。
それができないのが悔しかった。
自分の性格のせいだとはいえ。
「お久しぶりでございます、皇帝陛下」
そんなことを考えているあいだに、海里は準備を終えていたらしい。
そんな声がして目を向ければ水鏡に衛の姿があった。
海里は皇帝に対する礼儀として、片手を胸に当て片足を引いている。
皇帝に対し敬意を払うときの常識だ。
慌てて大地もそれに倣った。
紫苑と惺夜が出ていってから、そんなに姿が変わっていない衛がそこにいる。
苦笑を浮かべて。
紫苑や惺夜の死後どれほどの時間が流れようと、それは皇帝である衛には短い時間なのである。
事実衛にしてみれば海里の「お久しぶりでございます」という挨拶は苦笑を誘うものだった。
海里にしてみれば連絡を取るのは2年振りなのだが、衛にとってはつい1週間ほど前のことなのである。
時間の流れに関しては、かなり曖昧な点があるが。
『また時間の流れに差があるようだな。わたしの方では1週間ほどが過ぎただけだが、そちらは違うのだろう? あれからどのくらい経った?』
「ちょうど2年ほどになります。色々とございましたので、陛下にご連絡をしている余裕がございませんでした」
姿勢を正した海里がそう言って衛は意外そうな顔をした。
『もうそんなになるのか。2年も連絡を入れられなかった理由を聞こうか?』
「3年前和宮一門の追手の追求が激しくなり、わたしの方は大地とも連絡を取れない状態でした。大地の方も惺夜さまの今生でのご生母さまのことで問題が起きていたらしく、かなり忙しい状態だったとか。現在はすべて落ち着いていますが、順を追ってご説明致したいのですが?」
『ああ。そうしてくれ。わたしもふたりのことなら、どんな些細なことでも知りたい』
衛が気遣う目をしてそう言って、この人はまだふたりが戻ってくる日を待っているのだと海里は思った。
それはどんなに深い愛情だろう?
ご正妃を迎えられ実子を得られた今も、衛の心の中で長男であり愛すべき息子は紫苑なのである。
そこまで愛されているという現実を、紫苑が、遠夜が受け入れてくれないものだろうかと、海里はそんなことを思った。
「3年ほど前から紫苑さまに対する一門の追求が激しくなり、2年ほど前についに今生でのご両親が亡くなりました」
『紫苑はどうしていた? それほど危険な状態の中に、力の目覚めていない紫苑がいたのだろう?』
「こちらには馬車の発展した形の自動式の移動法として、車、というものがございます」
『くるまとはなんだ?』
「馬のない独りでに動く馬車だとお考えください」
『不思議な物があるのだな、そちらには』
感心した素振りを見せる衛に海里は苦笑する。
「その車でご両親と共に追手から逃げていたのですが、スリップ事故、つまり馬車が滑って事故を起こしたようなものとお考えください。
そういう事故を起こして、ご両親は帰らぬ人となりました。わたしの力では紫苑さまをお助けするだけで精一杯だったのです。車というのは人には追跡不可能なほどの速度で走りますので」
『それほど危険な状態から紫苑を護ってくれたのか。感謝する、海里よ』
「勿体ないお言葉です。身に余る光栄に感謝致します。その事故の直後です。紫苑さまと惺夜さまが再会されたのわ」
『ふたりが出逢ったのか?』
意外そうに目を見開く衛に海里が頷いた。
「現在は義兄弟としてご一緒に住まわれています」
『それはよかった。これから警護もしやすくなるだろう。それですこしは紫苑の記憶が戻ったか?』
「いえ。そちらの方は全く」
言いにくそうな答えに衛はため息をついた。
紫苑の記憶が何故戻らないのか、その理由を衛は想像することもできずにいる。
それが気掛かりだった。
なにか思い出したくない理由でもあるのだろうかと。
水樹のことを知らない衛には、理由は自分にあるのではないかと思えていたのだ。
今からその思い違いを正されるわけだが。
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