第十三章 紫苑一SHION一(4)
「紫苑?」
お茶会の席で優雅にお茶を楽しんでいた(あくまでも表面上は)惺夜は、突然、馴染んだ気配がして顔をあげた。
皇子に振り向かれ令嬢たちが頬を染めている。
皇子の心を射止めるのは自分だと、だれもが張り切って装っていた。
今、感じたのは確かに紫苑の力の波動だった。
紫苑は滅多に力を使わないが、その分、覚えやすい。
馴染みのある気配と馴染みのない気配が同時にするからだ。
力を行使することは禁じられている紫苑である。
今の紫苑にとっては身体に負担をかけるだけのことだからと、衛に禁止されているのだ。
そのせいで馴染んだ紫苑の気配と、馴染みのない力の波動を感じる。
紫苑がなにかしている?
力を使うようなことを?
感じたのは王宮とは全然、方角も違っていて遠くから響いてきたような感じだった。
紫苑は宮廷にいないのだろうか?
外出だって一度も認められたことがないのに。
一度考え出すと不安が止めどなく溢れてくる。
「申し訳ありませんが、お茶会はここで退席させていただきます」
「惺夜さまっ!!」
「皇子。それはすこし礼儀から外れているのでは?」
たしなめる声の伯爵に惺夜は短く答えた。
「皇子である前にぼくは紫苑の守護者ですから」
「世継ぎの君になにか?」
コクリとうなずく惺夜に伯爵もそれ以上は止めなかった。
どうぞ、と、仕種で退席を促し、令嬢たちはガックリしてしまった。
これだけ努力しても惺夜の瞳には、紫苑にしか映っていないのだ。
令嬢たちはひとり残らず継承者に産まれたかったと、紫苑に羨望を寄せた。
同じ頃、衛と翠も反応していた。ふたりきりの執務室で。
「今のは紫苑の力だな。紫苑は王宮にいないのか? ずいぶん離れたところから感じたが」
「すぐに調べさせましょう」
そう言った矢先だった。ふたりの元に侍従が駆け込んできたのわ。
「申し訳ございませんっ!! 世継ぎの君が王宮から抜け出されましたっ!!」
やはりと顔を見合わせるふたりである。
それから衛が苦い表情になった。
「今の力の波動……公爵家の方向から流れてきた。まさかっ!?」
慌てて立ち上がった衛の後を追おうと翠も駆けだした。
屋敷の中は吹き抜けの広間。
中央には2階に上がるための階段がある。左右、どちらからでも上がれるように作られている。
天井には埃を被ってしまっているが、見事なシャンデリアがあった。
そしてその壁一面に大きな肖像画がある。
見たことのない男性と女性、そして紫苑によく似た少年の姿が描かれている。
女性の腕には嬰児が抱かれているようだった。
よくよく見てみるとネームが入っていた。
よく見なければ見過ごしてしまうような小さい文字で。
―――次男、葉月、誕生の祝いに。
「葉月? それがおれの名前なのか?」
兄が水樹だとすれば兄弟の名付けとしては変ではない。
むしろごく当たり前の名付けだ。
兄の名に似せて名付けるということわ。
それから紫苑の視線はまっすぐによく似た顔立ちの、けれど優しい印象の強い少年を見た。
大好きだったあの人だと胸が震える。
「どうしてっ!!」
埃だらけの床を片手で殴りつけて紫苑は泣いた。
「どうして待っていてくれなかったんだっ!! おれを置いて行くくらいなら、どうして連れていってくれなかったんだっ!! 兄上っ!! 水樹兄上っ!!」
透明な雫が埃を被った床を濡らしていく。
「「紫苑っ!!」」
衛と惺夜が駆けつけてきたのは同時だった。
ふたりとも力を使って紫苑の居場所を探したのだ。
衛は継承者としての力を。惺夜は守護者としての力を。
力の質では継承者の方が勝る。
だから、紫苑の守護者である惺夜と同じくらいの時期に見つけることができた。
翠と惺夜が競ったのなら、まちがいなく惺夜が勝っただろうが。
慟哭だけが果てしのない暗闇の深遠へと墜ちていく。
紫苑の嘆きを前にしてふたりともなにも言えなかった。
その日、紫苑はどうやって宮廷に戻ったのか記憶がなかった。
気がついたらあの日から1週間も経ってしまっていたのである。
つまりそれだけの日数を寝込んでいたというわけだ。
受けた衝撃が強すぎて、紫苑はあの後すぐに昏倒してしまったのである。
そんな彼を連れて戻ったのが、惺夜と衛のふたりだった。
最初は守護者として惺夜が抱いて戻ると言ったのだが、責任を感じているからか、衛が自分で抱いて戻ると譲らなかった。
そうして紫苑の意識が戻るまでの1週間のあいだに、惺夜は大体のことを兄から聞いた。
兄が隠していた紫苑の生い立ちについて。
「紫苑は今では名も消されてしまっている公爵家の次男だったんだ」
「そうだったんですか。紫苑の出生については、兄上はなにもおっしゃらないから、言いたくないのではないかと思っていたのですが」
「ああ。言いたくなかった。わたしはな、惺夜。紫苑の実の兄と親友なんだ」
「兄上」
兄の寝室に呼ばれふたりきりで向かい合い座っているふたりは、お互いに相手を労る目をして見ていた。
「悲運に見舞われた親友だった。彼は紫苑が産まれたことが原因で家族を一度に亡くしているんだ」
「どういうことですか?」
「生まれた次男が継承者だと知らなかった公爵たちは、息子が無事成長するようにと、大陸の中央にあるアルト神の神殿まで祈願に行ったんだ。そしてその旅先で盗賊に襲われ一家はすべて帰らぬ人となった。館に残されていた幼い兄弟を残して」
どう相槌を打てばいいのかわからなかった。
言い換えれば衛がもっと早くに紫苑が継承者だと見抜き、引き取るための手続きを踏んでいたら、公爵一家は死なずに済んだのだ。
そのことも衛の心の傷になっているのだろう。
兄が紫苑の出生について語りたくないと思う気持ちがよくわかった。
惺夜でもためらうだろうから。
「彼はひとり幼い弟を抱えて残されて、途方に暮れていたようだった。わたしも当時は即位したばかりで、執務にも慣れておらず、あまり庇ってやれなかった。だが、それでもわたしが庇おうとすると彼に止められた。自分で乗り越えるから、と。紫苑の存在が唯一の心の支えだったんだ」
「そんな状態で紫苑を引き渡したいわけがありませんよね。なにかあったのですか、兄上?」
「わたしがお忍びで彼の様子を見に行ったときのことだ。紫苑と出逢ったのわ。その頃、彼は何故かたったひとり残された家族である弟を、わたしに紹介するのをきらっていた。何度誘っても断られた。今、思えば継承者だと知っていて近づけることを避けていたんだろう。出逢えば奪われるとわかっていたから」
「それでどうなったんです?」
「出逢ってしまえばわたしの取る道はひとつだ。それはわかるだろう?」
「ええ。でも、兄上の本意ではありませんね。兄上は非道な行いを平気で行える方じゃない」
惺夜の言葉には衛は「買いかぶりすぎだ」と笑った。
「現にわたしは彼から唯一の心の支えを奪ったのだから」と。
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