第十一章 封印された神話(3)
それから数年の時が流れ、変わらないふたりの傍で、人々は成長し、または老いていった。
部落の王も年配と呼ばれる歳になり、蓮華は美しい少女へと変わる。
時の流れは人を変える。
憧れでしかなかった蓮華の気持ちも、しっかりとした愛情へと変わりつつあった。
その頃には惺夜も彼女の気持ちには気づいていた。
気づかないフリもできないほど、蓮華の気持ちは強く、まただれが見てもあからさまなほど惺夜のことしか見ていなかった。
これで気づかなかったり、無視できるほど惺夜は冷たくなれなかった。
それに蓮華はこれまで惺夜が受け止めてきた、どんな想いとも違う真摯な愛情を向けてくれた。
惺夜は自分自身を見てもらった経験がほとんどなかったのである。
今までは兄の身代わりだったり、皇帝の実弟としか見てもらえなかったり。
個人的な愛情など向けられたことがない。
それだけに余計に蓮華の真摯な気持ちを無視できなかったのである。
この当時、すでに惺夜には人に言えない苦しみがあった。
それから逃れたいと、本当の自分の気持ちを取り戻したいと焦ってもいた。
だから、間違えてしまったのかもしれない。
気持ちには嘘も本当もない。
感じたものがすべて。
たとえきっかけがなんであれ、揺るぎない不動の気持ちなら、間違いだなんて決めつける権利は、本人である惺夜にだってありはしないのだ。
なぜなら気持ち……つまり心だけは、当人にもどうにもできない唯一の領域なのだから。
禁じられた想いだろうと気持ちには嘘も本当もない。
自分の気持ちから目を背けても、なにも解決はしない。
だけど、惺夜は知っていたから。
すべて知らされてしまっていたから間違いだという考えから、どうしても抜け出せなかった。
なにを感じても、なにを思っても、すべて過ちにしか思えなかった。
だから、間違ってしまった。
現代にまで続く過ち。
それはある意味で必然だったのかもしれない。
今は惺夜ですら知らない悲劇の源。
動きはじめた運命は加速度をつけていく。
悲劇が終焉へと向かう直前。
紫苑は最近、様子のおかしい惺夜を大木の影から見ていた。
惺夜が木陰で蓮華と喋っている。
とても幸せそうな風景だった。
座り込んだまま彼を見上げた蓮華が、それは幸せそうに笑っているのが、ここからでも見える。
それを見下ろす惺夜もお世辞や付き合いではない、本当の笑顔を彼女に向けていた。
いつ頃からだろう?
ふたりがあんなふうに過ごすようになったのは。
最初は蓮華が惺夜を追いかけて、惺夜が彼女を避けて逃げ回るという、これまでにも見慣れた風景だった。
それがいつ頃からか、惺夜は逃げることをやめて、蓮華と向き合うようになった。
紫苑以外との繋がりを断とうとするように、周囲とは距離を空けていた惺夜が、初めてこちらの人間を傍に近づけた。
それが蓮華だったのだ。
当然のように周囲はふたりを特別な目で見ている。
だれもが付き合っていると信じて疑っていない。
紫苑もこれが自然なことなら祝福したい。
本当に惺夜が彼女を選び、特別な関係になりたいと思って付き合っているなら、別に反対する気もないのだ。
それでも憂いが消えないのは、やはり彼の態度に違和感を感じるからだろう。
惺夜は確かに優しい。
付き合っている相手をなによりも優先し、常に気遣う。
それはごく当たり前の彼の特徴だが、発揮される相手がとても限定される特徴であることもまた事実なのである。
衛に言わせても絶対にこう断定するだろう。
───惺夜は付き合う相手をより好みする付き合いにくい性格だ、と。
ほとんど表面だけで付き合っていて、本心をさらけ出して付き合う相手は限りなく少ないのだ。
彼が真実、蓮華を愛していて特別だと認識しているなら、特に不思議のない態度なのだが、それにしては急激な変化すぎる。
それが消せない違和感として紫苑を悩ませていた。
いつ、どこで見ても彼は微笑んでいる。
蓮華に向ける笑顔は、人が羨むほど優しいが、紫苑には白々しく見えた。
上滑りする演技のようにぬくもりの感じられない笑顔。
水樹と綾乃のやり取りを間近で見てきたせいだろうか?
そういう関係になったとき、優しいだけの態度を取ることは、ほとんどありえない現実。
だれかを優先すれば怒りたくもなるだろう。
優しいだけではいられない。
水樹が紫苑と出逢ってから、綾乃より紫苑を優先することで、彼女が見せる怒り。
それが当たり前だとわかるぐらい、紫苑もふたりのやり取りを見慣れ、綾乃の嫉妬を向けられることにも慣れているのだろう。
なのに惺夜にはそれがない。
いつも、どんなときも笑ってる。
優しいだけの笑顔を蓮華に向けている。
「惺夜。おまえ、気づいてるか? 上辺だけで笑ってる。そこに心はない。気づいてるか、おまえ?」
問いかけても答えないと知っている。
惺夜自身、意識していないのだ。
言ったところでわからないだろう。
曇り空。
紫苑が感じる彼の今の雰囲気は、そんな曖昧な感じだった。
「本心から選んだのなら、たとえ衛が反対しても、おれは賛成してやるけど……」
これ以上、口にすると気が重くなりそうで、紫苑は口を噤んだ。
水樹と同じ態度に見えるのは、紫苑の気のせいなのだろうか。
こんなことは惺夜には言えないけれど。
「おれはこういう問題で苦労するようにできてるのかな。これが故郷ならまだ気は楽だったんだろうけど」
少なくとも最終的な問題調停には、衛が乗り出すだろうし、紫苑の負担も減っただろうから。
「ふう」
軽くため息をもらすと紫苑はその場を後にした。
それまで蓮華と楽しげに会話していた惺夜が、ふっと視線を向けた。
実は気づいていたのだ。
紫苑は気掛かりそうにこちらを見ていることには。
気づいていて知らないフリをした。
これ以上、彼に近づいてはいけない。
それは本能が伝える警鐘。
でも、彼が見ていないとき、惺夜は自然と彼の姿を眼で追ってしまう。
切なさで胸が焼ける。
愛しさで胸が一杯になる。
そんな彼を蓮華が下から見上げていた。
とても不安そうに。
「惺夜?」
こうしてふたりきりで過ごすようになってから、呼び捨てにするようになった蓮華に名を呼ばれ、惺夜はハッとして振り返った。
取り繕うような笑顔が返る。
そうしてまた不安を感じる蓮華だった。
いつもフラリときてしまう湖。
敵のテリトリー内だから、ここには来るなと、いつも惺夜にクギを刺されている場所でもある。
なんとなく足が向いてしまうだけだが、ここにきてしまう理由は、認めたくないが心当たりはある。
ここにくれば絶対に逢える。
そう信じている。
自分でも認めたくないし、そんなことを意識しているつもりもないが、きてから自然と視線が彷徨う。
いないのだろうかと探している。
いつまでも独り立ちできない子供だなと、我ながら呆れる。
子供の頃から頼ってばかり。
ここへきてしまうのも、そのせいだなんて認めたくないけれど。
でも、この湖が気に入ってるのも本当のことだ。
初めて見たときから豊かな自然に包まれたこの星が好きだった。
この湖は特に綺麗だ。
継承者として気に入るのも当然の話である。
そこで敵のテリトリーであり、紫苑にとっては危険な場所だと知ったのは、お気に入りになってしまった後だった。
「……」
いないのかなと思って知らずため息が漏れる。
どうでしたか?
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