第十一章 封印された神話(1)
第十章 まどろみの中で
事件が起きた3日後、遠夜は普通に登校した。
学園では隼人と蓮がかなり心配してくれていたようだった。
「遠夜っ!! やっと出てきたねっ。よかった。心配していたんだよ」
海外暮らしの長かった隼人は、名前で呼ぶ習慣がついているのか。
出逢って2日目だというのに、すでに遠夜を呼び捨てにしていた。
それでもいやな感じはしないが。
教室に姿を見せるなり、隼人は嬉しそうにそう言ってくれたのだ。
それでいやな気分になったりしないだろう。
一部始終を見ていた隼人なのだ。
かなり心配してくれていたことが予測できる。
遠夜は近づいて笑いながら答えた。
「嗅がされた薬が強力でさ。なかなか起き出せなかったんだけど、ようやく薬が抜けて出てくることができたんだ。心配をかけたよ、隼人」
「いいんだよ。無事だったのなら。七瀬先生まで休んでいるから、どうしたのかと思ったよ」
「海里先生ならおれの家にいたよ」
「え?」
「まだ内緒なんだけど、すこし前から同居してるんだ。先生の双生児の弟さんと一緒に」
「そうなんだ?」
「それで海里先生はおれが寝込んでいるあいだ付き添ってくれたんだ。そんな必要ないって言ったんだけど、結構、心配性でさ」
あっけらかんとした遠夜に、隼人はすこし憂鬱そうな顔をしている。
何故かというと事件のときに海里に言われた科白で悩んでいたからだ。
海里の言葉はあまりにも謎めいていた。
それに彼はあのとき、聞き間違いでなければ間違いなく「惺夜さま」と言った。
その名には聞き覚えがあった。
そんなバカなことと思うが、夢に出てくる登場人物の名前なのだ。
といってもその中のひとりという意味に過ぎないが。
夢にしてはその境遇、人間関係などがあまりにはっきりしていて、疑似体験を夢でしているような、不思議な印象を覚えていた。
その夢に出てくるだけの少年の名を、あのとき海里は口走った。
当人に自覚があったのかどうかは謎だが。
小さな頃からずっと見ていた不可思議な夢。
あの夢と海里の科白とは、なにか関係があるのだろうか。
それに夢を見る回数が増えるほど、記憶が曖昧になって自分がだれなのか、そんな当たり前のことにさえ、自信が持てなくなってくる。
夢を見る回数が増えるほど、小さいころから大きくなっていく違和感。
今自分がいる位置が間違っているような、ふしぎな苛立ち。
冬馬に可愛がられても、どうしても拭いされなかった違和感。
だって冬馬は「彼」ではないから。
生命さえ捧げ尽くすほどに大切な人。
生命よりも大切な「少年」
彼ではないから冬馬ではダメなのだ。
心が受け入れない。
そして遠夜と出逢ってから、彼に対して愛情を感じるようになっていた。
抑えきれないほど深い愛情を。
だから、あの事件以来休んでいる彼の身が心配でしかたなかった。
元気に出てきてくれてホッとしている自分と、奇妙な夢に悩む自分が同居している。
それが今の隼人だった。
「遠夜っ!! やっと出てきたのかっ!?」
溌剌とした声に思わず隼人が振り返ると、今登校してきたばかりいった姿の蓮が、嬉しそうに遠夜に駆け寄るところだった。
「心配かけたよな、蓮。ごめんな、連絡も入れずに」
「そんなことはいいけどよ。3日も休むんだもんな。心配で仕方なかったぜ。七瀬も休んでたし、なにかあったのか? あの野郎、どこか変だと思ってたけど」
「そうかな? 優しいしいい先生だよ」
「遠夜は人が善いからなあ」
蓮は苦笑しながらカラの鞄を肩に背負っている。
蓮は教科書を机に放り込んでいるタイプだ。
遠夜は必ず持って帰るが。隼人もそうだ。教室に置きっぱなしにはしない。
ふたりのほうが今時、珍しい高校生なのかもしれない。
ふたりとも礼儀正しいのだ。
型通りのことをきちんと守る。
最近では数少ないタイプの少年である。
蓮といえば隼人が見ている奇妙な夢に同名の人物が出てくる。
この場合、人物と言っていいのかどうか、ちょっとためらうものがあるが。
夢に出てくる蓮という名の少年は、精神生命体で神とも魔とも呼ばれる幻族の長、幻将なのである。
姿形はこの蓮とはまるで違う。言葉遣いも。
それでも奇妙な一致には違いない。
そしてもうひとつ隼人の夢には奇妙なところがあった。
生徒会長、栗原紫が出てくるのである。
今と寸分変わらぬ姿で魔将、紫と呼ばれている。
魔族を統べる長だった。
違うところといえば、黒い瞳が紫色をしていることくらいだろうか。
いくつもの符合。
海里はあのとき「ぼくが教えるんじゃない。君が自分の力で知るんだよ」と言った。
今の隼人はその言葉の意味を説明してもらいたくてしかたなかった。
だから、遠夜を心配するのとは別の次元で、同じように休んでいる海里が出てくるときを待っていたのである。
「はい。おしゃべりはそこまで。久々の教室だね、みんな元気にしていたかい?」
いきなり扉が開いてそんな声が響いた。
女生徒たちが黄色い声をあげている。
蓮の予想どおり海里は今では紫と人気を二分するほど女生徒に人気があった。
蓮も慌てたように自分の席へと移動してしまい、遠夜と隼人も自分の席に腰掛けた。
遠夜は昨日まで毎日逢っていたので、教室で彼と逢うと奇妙な気分になった。
それが顔に出ていたのか、海里は遠夜を見てすこしおかしそうに笑った。
「さあ、それじゃあH/Rをはじめようか。もうすぐ創立祭だね。なにか出し物は決まったかい?」
「無難に喫茶店なんてどうですか?」
女生徒がそう言って、男子生徒も賛成の声をあげた。
「喫茶店ねえ。みんな結構、堅実なタイプなんだね。お金が儲かる出し物にしようとしてる。まあその分、元手もかかるけど」
海里が笑いながらそういって、黒板にチョークで 出し物は喫茶店、と書いた。
こうしてH/Rが進む中で、隼人はじっと海里の言動を目で追っていた。
あのときの科白の意味を問うように。
隼人がなんとか海里を捕まえることができたのは、結局、放課後になってからだった。
人気のないところで話したかったので、彼の周囲に人がいるときは、あまり近づかなかったのだ。
ふたりきりで話したいのに、彼は遠夜と一緒にいることが多かった。
遠夜との同居がふたりの距離を縮めたのか、以前よりずっと親しげに過ごすようになっていた。
隼人はできれば遠夜には知られたくなかった。
自分の中で整理できるまで、だれにも知られなかったのである。
放課後になって遠夜と待ち合わせでもしているのか、帰り支度を急いでいる海里を、ようやく捕まえることができた。
今度こそふたりっきりだ。
内緒話にはうってつけである。
「七瀬先生」
「やあ、結城君じゃないか。悪かったね。学校にも馴染んでいないのに、転校して2日目にして休んでしまって」
「そのことはいいんです。それよりすこしお話があります。付き合ってもらえませんか」
「深刻そうだね。遠夜君との約束があるから、あまり時間は取れないけど、それでもいいかい?」
「構いません」
「じゃあ、向こうで話そう」
そう言って海里が隼人を連れ込んだのは、廊下の片隅だった。
彼も大体の予想は立てているのだろう。
海里の発言が夢に対して疑惑を抱かせたのだから、ある程度予想できて当然である。
「それで用件はなにかな?」
「先生は遠夜の事件のときに、すべてはぼくの力で知るんだと言いました。その意味を教えてもらいたいんです」
「だから、そのことについては言っただろう? きみが自分の力で知るんだと。ぼくからなにを聞いてもきみにとっては、ただの物語に過ぎないよ」
「ぼくは昔からもしかしたら物心つく前から、ずっと見ている奇妙な夢があります」
「奇妙な夢?」
「大昔の日本の夢です。魔物とか神様が出てきたりする」
ここまで言うと海里の表情が変わった。
なにかを確認するように隼人の瞳の奥を覗き込んでくる。
「その中でぼくはいつも同じ名前で呼ばれます。あのときに先生が言った惺夜という人物も出てきます。それに生徒会長にそっくりな魔族とか、クラスメートの蓮と同名の精神生命体とか。
ぼくにはそれがなんらかの意味があるような気がして仕方がないんです。教えてもらえませんか? この夢はなにを意味しているんです?」
「そこまで思い出しているのなら、きみがすべてを知るときも遠くないと思うよ」
「思い出す? じゃああの夢は現実だって言うんですかっ!!」
ぎょっとした隼人に海里はコクリと頷いた。
「これ以上のことはぼくには言えない。きみが自分で知る必要のあることだから。さっきも言ったけど、ぼくがなにを言っても思い出していない君にとっては、ただの物語にすぎないんだ。それでぼくに答えを求めても無駄なんだよ、結城君」
「七瀬先生」
「答えを知りたければ自分に起きること、それが夢だとしてもすべてを疑わずに受け入れるべきだ。ぼくに言えるのはそれだけだよ。それじゃあ遠夜君と待ち合わせているから、これで」
短く告げて海里は踵を返した。
なにも言えずにいる隼人を残して。
あの夢は現実なのだという。
ではどんな現実だ?
あれは少なくとも現代じゃない。
隼人の知るかぎり、あんな時代は存在しない。
では考えられるのは前世の記憶だということだ。
そうだとしたら海里の科白の意味がすべて飲み込める。
でも、魔物とか神の存在を受け入れるほど、隼人は夢見がちな少年ではなかった。
それはすなわち紫の存在そのものを疑うことだからだ。
あの夢が現実なのだとしたら、そっくり同じ顔をしている魔将、紫と、生徒会長の紫は同一人物だというになる。
もしそうだとすれば隼人自身も人間ではないということになってしまう。
少なくとも夢に出てくる隼人は、純粋な人間ではなかった。
知るのが怖い現実に隼人は動き出せないまま、遠くなる海里の背中を見送っていた。
同じころ、遠夜との待ち合わせ場所に急ぎながら、海里が複雑なため息をついていた。
「覚醒のときは近い、か。すべてを思い出したら、彼はなにを思うんだろう? 皇帝陛下。ぼくはどうするべきなのですか? 彼のことをあなたにお知らせするべきなのか、未だに迷っています。
彼の過去を知ればきっと陛下は傷つかれる。そのことを思うと決断できないのです。それがどんな悲劇でも、陛下はお逃げにならず受け入れる道を選ばれるのですか?」
答えのない問いかけをして、また海里はため息をついた。
「海里先生?」
校門のところで海里を待っていた遠夜は、彼の独り言を聞いて怪訝な顔になった。
今、皇帝とか陛下とか言っていたような気がするのだが。
現代にそんなものが生き残っているのだろうか?
いや。
独立国家はあっても皇帝なんて呼ばれる支配者はいないはず。
どういうことだろう?
「お待たせ、遠夜君。じゃあ、帰ろうか。きみのお兄さんも心配しているだろうし」
「別にボディーガードなんていらないのに。おれひとりでもなんとかなるから」
「そういって誘拐されかけたのは、どこのだれだったかな?」
「痛いところをつくなあ。それより海里先生、なにか悩んでるのか?」
「どうして?」
「なんかさっき暗かったから」
本当は他にも聞いてしまった科白があるのだが、遠夜はそんな言い方をした。
「ちょっとね。ぼくも色々と大変なんだよ、遠夜君。教師も楽じゃないってね」
軽く受け流す海里に、これは聞かれたくないのだなと判断して、遠夜はそれ以上突っ込まなかった。
人間生きていれば知られたくないことのひとつやふたつはあるものだ。
遠夜にしたって過去を聞かれるのはいやだし。
「海里先生ってだれにでも優しいけど、自分の苦労は内に秘めるタイプだよな」
「それは買いかぶりすぎだよ、遠夜君」
「おれって結構人を見る目はあるんだよ? これは自信を持って言えるよ。海里先生はどんや苦労があっても、それを表に出したりしない人だよ」
ふたりで歩きだしながら、そんな会話を交わしつつ、ふたりは家路を急いだ。
この時期に遠夜が長く外にいるのは、彼の身体に良くないからだ。
今は真夏。
文化祭や体育祭も終わった今、残っているのは秋に向けた創立祭だが、この季節は遠夜にとって1番辛い季節だった。
まあ冬は冬で寒さで風邪を引くことが多いので、それほど楽ではないのだが。
「樹の奴、家に帰ってるかなあ。今日は本家に帰るって言ってたけど。そのまま足止めされてたりして」
「それはないと思うよ。大地もついているしね。君のお兄さんは意思表示のはっきりした人だから」
「うん。そうだといいな」
屈託のない笑みを見せる遠夜に、海里も微笑んだ。
彼が覚醒するときを望ながらも、そのときに受ける衝撃を思いやりながら。
すべての糸がたったひとりの存在に絡められていく。
紫苑。
その名の元にすべてが集う。
やがて魔がうごめき出し、遠夜は己の存在意義を知る。
そのときは、もう目の前まできているのかもしれなかった。
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