第十章 まどろみの中で(2)
久しぶりに和宮の本宅に戻った樹は、戻るなり伊集院義信に収集をかけ、養子の静也共々呼び出した。
呼び出されたふたりは、樹の傍らに見慣れぬ青年の姿を見て、怪訝そうな顔をしていた。
「お久しぶりですな、宗主」
「前置きはいい。遠夜に手を出すとはどういうつもりだ?」
冷たい問いかけに義信がギクリとしたように青ざめた。
静也の方はどこからこの情報を掴んだのか、すこし疑問に思った。
事件が起きてから、まだ4日しか経っていない。
遠夜の姿もあれから見かけないという。
どうやら事件がきっかけとなって姿を消してしまったようなのだ。
今日登校しているらしいと報告を受けたばかりだ。
おそらく樹の厳命なのだろうと予測を立てていたが、事実は違っていた。
遠夜はあの事件がきっかけで体調を崩してしまっていたのである。
それは遠夜のことをよく知らない伊集院家の者には予測できないことだったが。
「ぼくは遠夜を引き取る際に言ったはずだ。彼には手を出すなと。下校途中にぼくがいないときを狙って誘拐しようとするとはいい度胸だ。どういうことか説明してもらおうか?」
「はて。なんのことか心当たりがございませんな」
「惚けても無駄だ。あの誘拐劇が義信の命令であり、実行者が静也であることは、ここにいる大地が調べた。まだ惚けるつもりか?」
「大地?」
義信がうろんそうな目付きで大地を見て、大地はムッとして名乗った。
「惺夜さま付きの近衛士官、大地という。呼び捨てはやめてもらおうか。おまえたちに呼び捨てにされる謂れはない」
「惺夜……さま?」
ギクリとしたふたりに、樹は静かに説明を渡した。
「ぼくの故郷から送り込まれた護衛だよ。ぼくや遠夜の身の回りの警護を任としている。事実遠夜が事件に巻き込まれた場に遭遇し、黒幕を調べたのも大地だ。まだ惚けるつもりか?」
「宗主は我々よりもその若者を信じるというのですかな?」
「少なくとも一門の者よりは信じられるね。兄上が送ってくださった護衛なのだから」
「兄上?」
静也が意外そうに樹を見ている。
彼が惺夜だった頃の話を出すのは、ずいぶん珍しいことなのだ。
兄がいることだって今まで口にしたことはなかった。
それだけこの大地という青年を信用しているということか。
つまり故郷から送り込まれた自分のための護衛だという証拠があるということだ。
敵対している一門の者を信じるより、彼を選ぶ方を信じるくらいには。
地球の出身ではないと言われている惺夜。
どうやら個人的に護衛をつけられるほどの身分だったらしい。
では彼よりも上位に立っていた紫苑は、どんな立場の人物だったのだろう?
彼らの故郷の者が絡んできたら、一体どんな結果を招くのだろう。
紫苑は自分たちのために生命を落としているのに。
しかし今、樹だけではなく、養子の遠夜の警護の任についていると言わなかったか?
それはどこか変ではないか?
遠夜はただ樹に気に入られ、引き取られただけの養子ではないのか?
もし彼が本当に一条家の御曹司だったとしても、惺夜の故郷の者が絡んでくるのは変だ。
そのことに気づいたとき、静也はギクリとした。
まさか宮城遠夜の本当の正体とは、もうひとりの守護神、紫苑!?
それ以外に樹の言葉の意味を説明することができない。
気づいた事実の重さに打ちのめされながら、静也は静かに大地を見た。
どこから見ても日本人に見えるが、きっと地球の人間ですらないのだろう。
本当に樹の警護の任に当たっていたのだとしたら、軽く17年は経っている。
それでも姿が変わらないところが、すでに紫苑と惺夜と同じ特徴を意味していた。
「……認めよう。たしかに宮城遠夜を誘拐しようとした」
「静也っ!!」
血相を変えた義父に黙るように合図して、静也は睨み付けてくる樹に声を投げた。
「彼が失われた一条家の御曹司ではないのかと疑ったからだ。樹。おまえが彼を庇い本家を捨てたのは、彼が一条の御曹司だからではないのか。そう思ってそれを確かめようとした。だが、約束しよう。二度と同じ真似はしない、と」
「信じられないね。おまえたちは平気で約束を裏切る。信頼を裏切る。ぼくは元々この星の人間たちの争いに関わることには反対だったんだ。紫苑がどうしてもと言わなかったら、関わったりしなかった。今なら紫苑がどうしてもと言ったところで反対しているよ。紫苑があんな目に遭うとわかっていたら」
キツイ樹の言葉に大地は意外そうな目を向けた。
この星の争いに関わったのは紫苑の意思だったのかと、その顔に書いている。
その辺りのことは知らなかったらしい。
まあ過去を調べたのは海里なので、大地に言っていないことがあるとしても不思議はないが。
「だから、同じ真似はしないと言っているんだ」
「どういう意味だい?」
冷たく睨む樹に静也は自分の思いつきを口にした。
「宮城遠夜の本当の正体は一条家の御曹司なんかじゃない。惺夜が一族から離反することになった原因のもうひとりの守護神、紫苑だ。違うか?」
問いかけには樹は無言を通した。
傍らの大地も無表情にそれを聞いている。
ただ義信だけがギョッとしたように静也を見ていた。
意外な発言をした義息を。
「そうだとしたら樹が彼を庇う理由もわかるし、惺夜の故郷からきた護衛が彼を護る意味もわかる。彼が紫苑なのだとしたら」
「紫苑さまを呼び捨てにしないでもらおうか。それに惺夜さまもだ。貴様たちに呼び捨てにされるような方々ではない」
「これは失礼した。異郷からの客人。だが、我々にとってふたりは守護神に過ぎない。たしかに守護神を呼び捨てにするというのは褒められたことではないが、ふたりが実在していたのは遙かな昔。ただの人間にそれを理解しろと望むのは酷だ」
伊集院静也は肝のすわった青年だった。
一度覚悟を決めるとテコでも動かない。
不遜とも言える発言に大地が不機嫌そうに彼を見て、樹を振り向いた。
その意見を仰ぐように。
「そちらがどう思おうと自由だ。ただこれはぼくからの警告。これ以上遠夜に手を出すな。そのときは一門を滅ぼすよ。予言のとおりにね」
「だから、しないと言っているだろう。それを証明したっていい」
「証明?」
「和宮家の正式な養子としてお披露目をしてもいいと言ってるんだよ、樹。和宮遠夜として一門の前に立てばいい。隠れていないで。宗主の義弟になにかするほど一門は落ちぶれてはいないよ」
「必要ないよ。遠夜をこんな世界に巻き込む気はない。二度はごめんだ」
樹のその言葉はさきほどの静也の意見を肯定するも同じだった。
義信が愕然として宗主を見ている。
紫苑が復活したと暗に告げる樹を。
「ぼくからの用件は以上だ。警告を無駄にしないように努力するんだね。警告を無視したときは容赦しないよ、ぼくは。滅ぼしてみせる。なにもかも」
「承知した。だから、そんな敵でも見るような顔をしておれたちを見るな。おまえがどう思っていようとおれたちは従兄弟なんだぞ?」
「和宮樹は仮の名だ。ぼくは惺夜。これからもこれまでも。大地。帰ろうか」
「はい。惺夜さま」
鍛えられた鋼の肉体と、内に秘めた強大な力。
大地が放つ力の波動に、静也はすこし驚いた。
戦闘の神ともいえる惺夜の守護に当たるほどだから、その力が常人離れしているのは不思議な話ではないが、それでも驚くほどのパワーだ。
彼らを敵に回すのはやめた方がいい。
静也は強くそう思った。
遠夜の正体に薄々勘づいて。
樹が大地を引き連れて本家を後にしたあとで、義信が問題発言をした静也に声を投げた。
「先程の意見は本気かね、静也」
「宮城遠夜が紫苑だっていうあれですか?」
「そうだ。だとしたら大変なことだ。一条家の御曹司ではないとしても、だ。いや。それ以上に厄介だ。惺夜は紫苑至上主義だったと聞く。その紫苑が転生したとなれば宗主がいつ一門を滅ぼすかわからない」
「だから、宮城遠夜には手を出さないと誓ったんですよ。少なくとも惺夜として完全に覚醒していない樹が、今の段階で一門になにかしてくることはないでしょう。宮城遠夜に手を出さないかぎりは。しかし二重神が揃うとはね。ふたりが覚醒するとき、いったいなにが起きるんだ? そのとき一門はどうなるんだ?」
静也の問いには義信も答えられなかった。
一条家の御曹司だとしても厄介な正体だと持っていた。
なのにその影に隠された本当の正体が、もうひとりの守護神、紫苑だったとなると、それはもう一門の明暗を分ける事実だといってもいい。
古よりの伝承では鬼族と幻族そして魔族が、常に敵対していたとある。
あの神話がよみがえるのだろうか。
今の力の衰えた一門の前に?
そのことを考えると静也の言うように、遠夜に対して手は出さないほうがいいと、義信にもそう思えた。
『きみが和宮樹君かい?』
初めて相対したその人は、樹の瞳を見てそう言った。
嬉しそうな色を瞳に浮かべて。
『初めまして。きみの伯父に当たる一条隆司だ。今は別の名を名乗っているけれどね』
『知っています。それが一門の手から逃れるための手段であることも』
初めて対面する伯父に対して、あまりに冷たい態度だったかもしれない。
あの頃の樹は人をきらっていたし、二度と戻るまいと思っていた一門の、しかも宗主として転生してしまったことで心を閉じていたから、人間らしさが欠けていたのだ。
だが、伯父はそんな樹の態度に怒ったりしなかった。
『きみが一門の始祖たる惺夜の転生だというのは、どうやら事実らしいね』
『どうして今逢ったばかりで、そう思えるんです?』
『きみが普通の子供なら、もっと素直に接するはずだ。惺夜は一門から離反して、その滅びを願う呪いの言葉を残し去っている。
そんな惺夜が一門の、しかも宗主として転生したら、ひねくれるという方がどうかしている。きみの冷えきった瞳を見つめるだけで、わたしにはわかるよ、樹』
さりげなく名を呼ばれた。
穏やかな瞳をした人だった。
母の兄たる伯父は。
一条家は御三家の筆頭。本家である和宮家よりも力を持っていた一族。
その当主は代々宗主の補佐を努める。
樹が宗主を継いだ今、本来なら隆司は樹の補佐をするべき立場の人だった。
事実を事実として受け入れて、過剰な期待をしない。
その人柄に触れてふと思った。
この人になら背中を任せても大丈夫かもしれないと。
それなのに今は敵対している。
そのことが悲しかった。
『どうしてわたしが君を呼んだのかわかるかい?』
かぶりを振ると隆司はついてこいと仕種を招いて、部屋を移動した。
当時彼らが住んでいたマンションに、樹は呼び出されたのである。
それも本名で。
本来なら彼を捕らえるため、宗主である樹は手を打ってから動くべきだった。
だが、同じ一族に反感を持つ者として、樹は彼を追う気にはなれなかった。
そういう意味で隆司は実に的確な処置をとったと言えるだろう。
敵対している黒幕ともいえる和宮家の宗主。
だが、境遇的に絶対に自分たちの敵にならない相手。
彼はすべて把握した上で樹を選んだのだ。
だが、なんのために樹を招いたのかは知らなかった。
部屋を移動し薄暗い部屋に案内された。
そこにいたのはまだ幼い子供だった。
幼いながらも整った顔立ちをしていることがわかる。
身体を丸めるようにして眠っていた。
鼓動が跳ねるのがわかる。
このときは何故反応したのかわからなかった。
今、ベッドで眠っている幼子が、かつて自分が守護していた紫苑の転生者だったと知らなかったこのときは。
『わたしのひとり息子の遙だ。表向きの名前は宮城遠夜というがね』
『宮城遠夜』
『遠夜というのは本名の遙をもじって名付けた。宮城という姓はなにを意味しているかわかるかい?』
『いいえ』
かぶりを振ると隆司は小さく笑った。
記憶の中にある母の笑顔に似ていると思った。なんの感慨もなく。
このころの樹は、本当に人間としては欠陥だらけだったのだ。
『きみの名前からもじったんだよ、樹』
『え?』
『宮城の宮は和宮の宮、城は樹の名前からもらった。樹を城と呼ぶことでね』
確かに樹の名は大樹という言葉からもわかるように、木のイメージがある。
それを城とも読める城に重ね合わせるのは、不自然なことではなかった。
ではこの少年は名字に樹の名を冠し、本名を思わせる名前を名乗っているのだ。
不思議な気がした。
母方の従兄弟……。
『この子を君に託したい』
『な……』
唖然として声も出ない樹に、隆司は微笑みかけた。
それは樹が本家では見ることのできない身内の笑顔だった。
家族だと思い定めた者だけが見せる笑顔。
隆司の心の中で樹は家族なのだ。
たったひとり本家に置き去りにしてしまった妹が産んだ子供。
それだけで彼は樹を家族として扱ってくれている。
不思議な暖かさが胸に広がっていった。
どうでしたか?
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