初めて
「ほうほう、何とも懐かしい様式の家じゃのう。昔を思い出すわ」
「……おい」
「む? どうした小僧」
「何で付いてきた」
後ろをとことこ歩いている気配はしていたが、まさか家までやって来るとは。てっきり帰り道が同じだけだと思っていたのに。
「固いことを言うでない。小僧と儂の仲じゃろう」
「いや、お前誰だよ」
「ううむ。儂の外見は伝えていないということかのう。まあ、あやつならさもありなんか」
俺の突っ込みを無視したチビッ子は、何やら云々と一人で頷いている。さっきから、よく分からないチビッ子だ。
「何でもいいから、さっさと帰ってくれ。今日はもう……。まあ、とにかく、俺は誰とも関わりたくないんだ」
今日どころか、俺が他人と関わりたくないのはいつものことだったので、少し言い直す。
「帰る場所は、もうなくなってしまったよ」
「……ああ」
これは、そういうことなんだろう。このチビッ子も、親を亡くしたクチだ。病か、さもなくば運悪く選ばれたか。又聞きでしか知らないが、半期に一度、御上が住民の中から無作為に十数名を選び、外に送り出すらしい。
口実はあれの調査ということになっているが、十中八九、体の良い口減らしだ。
(悪いこと、したな)
それに、チビッ子の髪色は黒。俺たち、悪魔の末裔と同じ色だ。町には様々な髪色の連中がいるが、黒だけは見たことがない。単純に珍しい色なのか、隠されているのか。チビッ子は同じ髪色ということで、俺に親兄弟の影でも見ているのかもしれない。
そういう事情だと知ってしまえば、こんな小さな子を放り出すのは少し、気が引けた。
「ああもう、分かったよ。地下にさえ入らなければ、好きにしてくれて構わないから。俺はもう寝」
「では食事の用意を任せたぞ。ううむ、悩ましいが、よし。儂は肉料理を所望する」
「こんの、クソガキ……」
やっぱり追い出してやろうか。
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「ごちそうさまでした」
チビッ子はたった一人で平らげた、大量の皿の前で両手を合わせる。
「大義であったぞ小僧。量こそ物足りなかったが、味は中々のものじゃった。この調子で精進するが良い」
「おま、人の家の一週間分の食糧を喰い尽くしておいてよくも」
こんなチビッ子のどこにそんな量が入るのか。足りないと文句を付けられる度、俺も意地になって作ったというのに、ものの見事に完食されてしまった。
「む? それはすまぬ。詫びと言ってはなんだが、今からでも肉の調達を」
「いや、冗談だって。気にするな」
「そ、そうか? しかし」
「いいから。俺もムキになってたわけだし、お互い様だ。第一、チビッ子にたかったりなんて出来ねえよ」
「ううむ、いい加減勘違いを正した方が良いのか否か。しかし証拠も何もないからのう。難儀なことじゃ」
チビッ子はまた、一人で唸っている。大丈夫だろうか。こんな調子では友達とかも少なそうだ。
「おい。それはチビッ子呼ばわりよりも看過出来んわ」
「悪い。口が滑った」
「おおう、天丼じゃ。ふっふっふ、大和の魂は失われておらなんだか」
何が楽しいのか、チビッ子は俺の軽口を聞いて笑っている。
不思議なところは多いが、育ちが良いのだろう。笑ったときの仕草もそうだが、所作が丁寧だ。それに、食べた後の皿を運んで洗おうとしてくれた。身の丈に合わないほど大量の皿を持ち上げたことに不安を覚え、客人なんだから構わないと言ったのだが固辞されてしまった。
「タダ飯を喰らって何もしないのは、王の沽券に関わる。安心せい、落として割るような無様は見せぬよ」
「皿はどうでもいいけど、お前が怪我でもしたらどうするんだよ」
「……ここまで幼子扱いされ続けると、これはこれでという気分になってくるのう」
結局は押し切られる形で、彼女の言葉に甘えることにした。俺は皿洗いの終わる頃を見計らい、二人分の茶を淹れておく。
家に客人を招いたことはないが、業者が時折俺に茶を振舞ってくれたことがあったのだ。これは、その真似事である。作法が合っているのかどうかは分からないが、存外チビッ子は満足げだった。
「おお、これは旨い。少し別のものが混ざっておるが、玉露かのう。懐かしき味じゃ」
子どもなら甘い飲み物の方が良いのではという懸念はあったが、気に入ってくれた様子だ。これならば、業者に吹っ掛けられた甲斐があったというもの。
旨い茶に舌鼓を打つ俺たちの間に、しばし弛緩した空気が流れる。この時にはもう、先刻まであった眠気はどこかに吹き飛んでいた。すると、俺の興味は自然と奇妙な客人の方に向く訳で。
(にしても、こいつ)
熱いのが苦手なのか、息を吹きかけながらチピチピと茶を飲むチビッ子に、改めて見入ってしまう。気にしないようにしていたがこいつ、とんでもなく可愛い。
俺の交友関係は極めて狭いが、母さんと業者は文句なしの美人だった。だが外見こそ幼いものの、このチビッ子はあの二人を凌ぐほどだ。肩口までの艶やかな黒髪に、程よく引き締まった体躯。胸元や太腿のほんのりとした膨らみが、成長過程の女性らしさを醸し出している。
「これ、あまり不躾に見詰めるでない」
「何か駄目だったか?」
「ふうー。小僧が純粋培養すぎるんじゃが」
何やら失礼なことを宣いながら、チビッ子が天を仰ぐ。やがて一つ息を吐くと、俺を真っすぐに見据えた。
「良いか、女子は男からの視線に敏感じゃ。他意はなくとも、ジロジロと見られるのには抵抗があるものなのじゃ」
「そう、なのか?」
「そうなのじゃ。努々、心遣いを忘れぬように」
「ああ、分かったよ。不愉快な思いをさせてしまって、すまなかった」
この子は、俺よりもずっと広い世界を、多くの事柄を知っている。一所に留まり続け、他者を拒絶してきた俺よりもずっと。
ならば、決して軽んじて良い相手ではなかった。俺の無知が所以で傷つけてしまったのなら、それは恥ずべきことだ。人として扱われてこなかった俺だからこそ、他者への敬意を忘れてはいけないと思う。
「なあに、超絶美少女の儂に見惚れてしまう気持ちはよく分かる。やはり、儂クラスになると衆目とか集めまくりじゃし? 不躾に見るのは許さんが、しかるべき手順を踏んで拝謁をお許しくださいと頭を垂れれば」
「調子に乗んな」
せっかく見直したというのに、真面目な空気が長続きしないチビッ子だ。だがこれも、雰囲気が重くならないようにという、こいつなりの気遣いなのかもな。
「本当に良いのか? ほうれ、小僧の凝視しておった儂のプリチーな太腿じゃぞ」
やっぱり気のせいかも。