運命
結局俺は、業者に何を言い返すことも出来ず、さりとて獣を狩りに行こうともせず家路についていた。
(俺は、空っぽなんだ)
俺にとって母さんは生きる意味で、全てだった。だからそれを失えば、俺には何も残らない。
どうせこのまま生きていたって、苦しいだけの人生だ。それなら死んでも構わないと、変わらないと思った。業者の言う通りだ。だけど俺には、彼女のような信念がない。母さんのために、生きる? もう母さんはいないのに。俺が死ぬと、母さんは悲しむのか? 死んだ人間がどうして悲しめる。何のために、俺は生きるんだ?
分からない。空っぽの俺には、何も――。
「おらあ‼ 出てこいやぁ‼」
「おいおい、一丁前に鍵なんてかけてやがるよ」
「ヒヒ、だったらぶち破っちまおうぜ」
「それもそうだな。どうせ咎める奴なんていやしねえんだ」
延々と答えの無い思考を続けながら家に辿り着くと、玄関の前に四人組の若い男たちが群がっていた。聞こえてくる内容から察するに、いつもの件だろう。
連中に見覚えはない。それもそうだ。一度でもここに来ているのなら、もう二度と訪れはしない。それは、俺がさせない。殺しこそしていないが、今の奴らのように悪意を持ってやって来る連中は、そんな気力が一生起きなくなる程度に叩きのめしてきた。それでも、どこから湧いてくるのか望まぬ来客は後を絶たないのだが。
何度も、何度も、泣き喚いて慈悲を請う連中を見てきた。絶望的な現状で、ただ誰かをいたぶりたかっただけ。そんな奴らを返り討ちにする度、俺の心は擦り減っていった。母さんを喪った以上、戦う理由は、もうない。
適当に殴られてやれば、奴らも満足するだろう。わざわざいつものように連中の相手をする必要は、ないはずなんだ。だけど、俺たちの居場所を、母さんの居た場所を、あんな連中に踏み荒らされるのは、
(酷く、気分が悪い)
「おーし、行くぞ。せーのぉ」
「待ってください」
先頭の一人、扉に体当たりをかまそうとしていた男の肩を掴む。
「ああ? んだよお前」
「ヒヒ、悪魔のお友達とかじゃね」
「悪魔に友達って、何の冗談だよそれ」
「んなもんがいるとすりゃあ、下の獣くらいじゃねえの?」
「ブハハ、それ最高だなあおい!」
四人は一頻り笑い合った後、改めて俺に向き直る。
「いいか、坊主。俺たちは今から怖ぁい悪魔の野郎を懲らしめなくちゃならねえんだ」
「ヒヒ、ついでに金目のものでも頂いちまおうとか言ってたけどな」
「悪魔を倒したら俺たち英雄だぜ? 多少の役得ぐらい構いやしねえよ」
「どうして腰抜けの先輩共は誘っても来なかったのかねえ。ま、取り分が増えたと思えばいいか」
聞くに堪えない下品な音の羅列。こいつらは、どうやら目当ての顔すら知らずに吶喊を仕掛けてきたらしい。しかも服装からして、軍属だ。多少の訓練を積んだことで増長し、ろくに周りの話も聞かずにやって来た手合い。だとしたら、気が幾分か楽になる。
「お探しの悪魔なら、ここにいますよ」
家に被害が出ては困るので、俺は四人と連れ立って家から離れた場所に移動した。我が家の周りには廃墟ばかりが立ち並んでいるので、私闘にはお誂え向きの場所だ。
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「ひ、ゆ、ゆるじて、ぼ、もうじないがらぁ‼」
原型が分からないほどに顔を腫れあがらせた男、扉に体当たりをしようとしていた男は、首を掴んで持ち上げるといつもの連中と変わらない反応をする。他の三人も似たような状態でその辺に転がっているだろう。
これまでは周囲への喧伝のため、殺さないように、わざわざ目に見える傷を残していた。それなのに、今一成果が出ていない。正直言って面倒臭いのだ。殺さずに帰していたのも、母さんに言われたからだった。なら、もう良いんじゃないか。
「わ、悪かった。おで、俺たち、あんだがこんなにつよいって知らなぐで」
「……」
それに、こいつらの言い様。それが、どうしようもないほどに、気に食わない。
「お前は、俺がお前たちより強かったから、そんなことが言えるんだろう。きっと、俺が弱いままだったら、立場は全く逆になっていたはずだ」
「が、かっ」
「その時にお前は、俺に、俺たちに、容赦をするのか? 情けを懸けてくれるのか? 違うだろう? 違っただろう? どれだけこちらが泣き叫ぼうと、お前たちはその手を決して緩めはしない」
こんな輩がいるから、死ぬ思いで力を付けた。守りたい人がいたから、目的以外に力を振るうことを避けてきた。だけど、母さんは死んだ。こいつらさえ居なければ、母さんはもっと幸せになれたはずなんだ。終わりが決まっていたとしても、普通の、人並みの生活が送れたはずなんだ。それを、こいつらは踏みにじった。
こいつらが俺たちを、母さんを悪魔と貶めるのなら、それが望まれているというのなら。
――本当の悪魔にでもなってやろうか。
「その辺にしておけ」
その時、男を掴んでいた俺の腕に、小さな手が触れた。
「……あ?」
いつの間にか、そこにいたのは小さな女の子。腰元までの煤けた外套を羽織り、腰布の下に覗く脚は、黒く薄い布に覆われている。靴下のような何かを履いているようだ。外見から、年の頃は十を少し回ったくらいか。
「そやつはとっくに気を失っておるよ。それ以上はやるだけ無駄じゃ」
見た目の割に、尊大な口調をした少女。普通なら、顔も知らないこの少女の言う通りにする必要なんてどこにもない。例え途中で力尽きることになったとしても、俺はこの男たちを殺し、母さんを苦しめてきた町の連中にも、これまでのツケを払ってもらう。
そのつもりだったのに。
「そう、だな」
男を締め上げていた腕から、力が抜ける。同時に、先刻まで胸の裡を渦巻いていた、ドロドロとした復讐心が、薄らいでいくのを感じる。
「うむうむ。年寄りの言葉は聞いておくものじゃ」
「チビッ子が何を言ってるんだよ」
「む、小僧。貴様言ってはならないことを言ったな」
つい口を滑らせると、チビッ子が眦を吊り上げ睨みつけてきた。見た目が見た目だから、迫力は皆無に等しいが。
「あー、悪かった。ちょっと疲れていて口が軽くなってたんだ」
「いや、それ全然謝罪になってないのじゃが」
どうやら、余計に機嫌を損ねてしまったらしい。でも、仕方ないだろ。遠巻きに怖がられたことはあっても、子供と直接関わるなんて初めてなんだ。勝手が分からないんだよ。
「悪かったって。とにかく、ここを離れた方が良いぞ。俺と一緒に居るところを見られたら、色々と面倒だろうからな」
「なぜじゃ?」
「……うん?」
(このチビッ子、俺を知らないのか?)
親に聞かされなかったのか。単純に俺が何者か気が付いていないのか。何にせよ、つい先程まで揉め事を起こしていた男と普通に話している時点で、どこかズレた子どもであることは確かだ。
「はぁ」
「小僧、溜息は良くないぞ。幸せが逃げてしまうからの」
「どういう理屈だよ、それ」
このチビッ子と話していたら毒気を抜かれてしまい、復讐に討って出る気力も萎んでいた。四人は気を失ったままだが、放っておいても問題ないだろう。色々あって、今日は疲れた。家に帰ってゆっくりしたい。
「俺は帰るから。お前も、その。気を付けて帰れよ」
「うむ。分かった」
チビッ子に別れを告げ、廃墟から立ち去る。あのチビッ子は、なぜこんな場所に一人でいたのか。そう疑問に思わないでもないが、わざわざ他人の事情に首を突っ込むこともないだろう。
しかし、考えてもみればだ。俺はチビッ子に助けられたことになるのか。どうせあのまま復讐に向かったとしても、途中で力尽きただろうから。それならば、礼の一つでも言っておくべきだったかもしれない。どうせ、もう二度と会うことはないだろうけど。もしまた会えたのなら、その時にでも――。