取り返しがつかないほどのおしまい
「あ、あり、ご、した」
「うむ」
「ぶ、だ、かまは……?」
「先にいっておるよ」
「そ、ですか。なら、えう、よ、った。これ、で……やっと。じゆう、に」
最後の一人である、襲撃者その一ことスルヴ。彼を看取った悪魔ちゃんの胸中には、過去に何度も体験したもどかしさがあった。スルヴの口ぶりから察するに、彼らを逃がしたところであの方という存在に始末されていたのだろう。ならばせめて尊厳のある死を自分が、というのは強者のエゴか。
この身を焦がす怒りのせいか、愛すべき臣下たちのことを思い出したからか、些かセンチメンタルになっている気がする。
(最強が、いつまでも悩んでいては示しがつかんか)
二度目の生を受けて、普通の村娘として生きていく決意をした身空ではあるが、それはやり残していたことにケジメを付けてからでもいいだろう。気を取り直して、転移の準備に取り掛かる。転移は王が扱える便利な技能の一つで、この星の中であればどんな場所にでも一瞬にして移動することが出来る。そこに制限はなく、星の裏側でも、屋内でも、地下であろうと関係がない。その分いちいち座標の指定をする必要があるのだが。
「むう?」
と、最寄りの都市に座標を指定しようとした時だ。
(座標が、特定できない? いや、これは、どういうことじゃ? 座標が存在していない?)
二千年あったのだ。都市どころか国の百や二百、滅んでいることは予想していた。だが、転移においてその場に何があるかは重要ではない。指定を間違えれば岩の中に埋まったりする位はあるが、何かがあろうとも跳ぶことは可能なのだ。それが、今回に限っては特定すら出来ない。このことが示すのはつまり、
(考えるよりも、実際に見た方が早いか)
都市への転移は諦め、次は揺り籠の入り口辺りに座標を指定する。こちらは問題なく行えた。
《王権執行:転移》
ブワッ‼ と、体が引き上げられる感覚と共に、視界を光の粒が埋め尽くす。光粒が収まり、視界が戻った時、既にそこは揺り籠内部ではなく、鬱蒼と生い茂る森林の目前だった。
「うむ? どういうことじゃ」
二千年前には存在していなかったということもあるが、それ以上にこの森林、些か妙だ。揺り籠側から見た森林の手前、その一帯は切り倒された跡のある木々が多い。一方で奥の木々は長年放置されているのか伸びっぱなしで、目算で六十メートルはある。しかしそれは自然に生えたものではないのだろう。先が見渡せないほどに木の数は多いが、並びが綺麗過ぎる。これはまるで、見たくない何かを覆い隠しているかのようだ。
「これも、見た方が早いの」
小さな呟きを落とすなり、両の足に力を籠める。瞬間、
バグゥッ‼ と大地が割れ、森林を揺らすほどの衝撃が起こる。それを為した悪魔ちゃんは、そびえる木々の高さを越え、地上百メートル近くまで跳び上がった。これは先刻の転移のような王の特権ではなく、純粋な彼女の膂力だ。そのため滞空時間は短く、すぐに重力に従って地面に逆戻りしてしまう。だが、人工的な森林によって隠されていたものの正体を知るには、それだけで十分だった。
「……………………何じゃ、これは」
そうして、言葉を失った。そこには確かに原因と思われる何かがあった。いや、正確には。何も無かったのだ。呆然とそれを見つめながら、地面に墜落する。
上空から俯瞰することで分かったが、森林は揺り籠を囲うようにして作られていた。これなら、見たくない何かは揺り籠の可能性もあったのだが、実際は、そんなに生易しいものではなかった。
森の奥に広がっていたのは、闇。地平線の彼方まで、大地を飲み込む闇だけがあった。
あんなもの、生まれてこの方見たことがない。
一つ、ネタばらしをしておこう。悪魔と呼ばれた彼女を含め、この世界には十人の王がいた。王とは、神によって創り出された、星の守護者のことを指す。つまり王は、星が誕生したその瞬間から存在しているのだ。その王の一人である悪魔ちゃんすら見たことがないのならば、あの闇は星が生まれて四十六億年もの間、一度として発生していない現象ということになる。
《王権執行:飛行》
いつまでも呆けてはいられない。すぐさま次の行動を起こさなければ。まずは、あの闇がどこまで広がっているのかを確認すること。結果は見えているが、それでもこの目で認めなくてはならないと、彼女はもう一つの特権を利用する。
初動は、跳躍の時と何ら変わらない。足に力を入れて、垂直に跳び上がるだけ。違いがあるのはここからだ。高く跳び上がった彼女はしかし、落ちない。上空百メートルの地点に跳び上がっても尚、その体は高度を維持したまま浮かび続けている。飛行の王権は、自分にかかる重力を操り、天を駆ける。と、格好良く言っても、要は浮かんで空を走れるようになるだけだ。
(しかもこれ、普通に地上を走るよりも数段疲れるんじゃよな)
移動が目的なら転移の方がずっと使い勝手が良い。むしろこんな場面でもない限り飛行の王権が陽の目を見ることはないのだ。男の臣下たちは口を揃えて『浪漫ですよ浪漫』なんて言っていたが、悪魔ちゃんにはサッパリ分からなかった。
ともあれ、そんな飛行を用いて地上をひたすらに真っすぐ走り続けた。しかしどこまで行っても、眼下に広がるのは闇ばかり。辟易する気持ちを抑え、それでも走る。十分ほど経ち、ようやく闇のないところに到達したと思えば、そこは揺り籠の周辺だった。
「……まあ、分かってはおったがのう」
世界から取り残されたように、闇に追い詰められた自分の住処を見つめる。試しに、手ごろな大木を一本引き抜いて闇の中に放り投げてみた。途端、六十メートルはあったその巨木は闇に触れるなり、始めから何も無かったかのように溶けていき、最後には跡形も残らず消え去ってしまった。こんなものが地上をのさばっている以上、この星に暮らしていた人間たちがどうなったのかは、明白だろう。
ああ、認めるしかあるまい。あの時の私は、致命的なまでに選択を間違えた。もう、どうしようもないほどに、この星は終わってしまっている。