急転と直下
そんな、ちょっとしたハイキング気分で揺り籠をズンズン昇っていく悪魔ちゃん。襲ってくる獣を薙ぎ倒しながら、五日が経過したころには上層辺りに迫っていた。ここまで来ると獣も打ち止めになったのか、ほとんど姿を見せてこない。
(本来、儂を守るためのシステムが儂がいない間にも動いている方が可笑しいというもの。せっかくじゃ、ここを出る前にシステム自体破壊していくとしよう)
そんなことを考えながら、一つの階段を上がりきった時だった。不意に、殺気を感じたのは。
「っ⁉」
驚嘆に息を詰まらせたのは、悪魔ちゃんではなく襲撃者の方だ。彼女の直上で、息を殺し天井に張り付いていた刺客。彼が悪魔ちゃんの脳天目掛け振り下ろしたナイフは彼女の右手、その人差し指と中指に挟まれ、受け止められていた。
「クハハ、イキの良い奴は嫌いではないぞ」
ナイフを掴んだ襲撃者ごと壁に叩きつけようとして、悪魔ちゃんは右腕を振るう。しかし、それを感じ取ったのか襲撃者はナイフを捨て距離を離した。
「うーむ。やはり、そっちもそうか」
「?」
「ああ、気にするでない。半ば予想は出来ていたことじゃ」
潜伏の技術。これは良かった。日頃からそちら方面に身を置いている証左だろう。熟練の技というか、天賦のものではない地道な努力が見えた。だが、それ以外がお粗末過ぎる。
(ただの遭遇にしては、用意が周到すぎる。間違いなく、これは儂個人を狙った襲撃じゃな。が、練度が温い)
距離を取った襲撃者にも視線をやりつつ、悪魔ちゃんは背後に迫っていたもう一人を振り向きざまに蹴り飛ばす。鳩尾に直撃を喰らった二人目は二、三度地面をバウンドしてから壁に直撃した。そしてもう一つ、地面から自分に向けて伸びていた手を掴み、三人目を引きずり出す。
「まだお主の方が隠形は上手かったな!」
地面から引き抜いた三人目を、距離を取ったまま動きのなかった一人目の襲撃者に向かって投げつけた。それなりの速度は出ていたが、投げつけられた一人目はしっかりと勢いを殺し受け止めて見せた。
「……さすが、聞きしに勝る悪魔殿ですな」
「うむうむ。もっと敬うが良いぞ」
尊大そうに頷いて見せる悪魔ちゃんだが、その意識は戦闘から離れてはいない。
(隠れたままの他二人は、仕掛けてくる気配がない。であれば、この襲撃はただの確認作業ということかのう)
悪魔ちゃんが本物の悪魔であるかの確認。襲撃者たちの態度から、自分への侮りは一切感じなかった。間違いなく命を懸けていたと断言できる。そうかと思えば、たった五人での襲撃だ。王を相手にそれは、いくら何でも少なすぎる。彼女にとっては五人も千人も変わりはしないが、人間は数を揃えて安心を得るということも知っていた。
「できることなら、ここで始末をつけてしまいたかったのですが、やはりそう上手くはいきませんでしたね」
「そうじゃのう、狙いは悪くないが、それを為す力が圧倒的に足りぬ。その程度では、いくら加減をしてもうっかり殺してしまうかもしれんぞ」
「……それは、耳が痛くなるご指摘だ」
(ほう)
何やら、向こうの地雷を踏んだらしい。目の前で相対する一人目だけでなく、こちらを窺って隠れていた二人からもピりついた殺気を感じた。
「悔しければ、強くなって出直すが良い。そこらに溢れる獣でも狩って修行をすれば、今よりもマシになるぞ」
「あの伝説の魔獣を? そんな無謀な事をすれば、我々の命がいくらあっても足りませんよ。悪魔殿はご冗談がお好きなようですね」
一人目は悪魔ちゃんの言を鼻で笑い飛ばす、が。それを聞いた彼女の心中は穏やかではいられなかった。
(伝説じゃと? あのいくらでも変えの利く量産型の獣が? かつて儂の配下にいた一兵卒でさえ、三人組であれば問題なく狩れたのじゃぞ)
それは、いくら何でも可笑しい。それでは、まるで、
(こやつらで、人類のトップクラスということか……!)
人類そのものの力が低下していることは凡そ察しがついていた。だが、その状況はマズい。明らかに、自分が死んでから何者かの介入があった。
(儂が死んだところで然程影響はないと思っておったが、見込み違いだったか? じゃが、儂以外の王は何をしていた? まさか、そちらも殺されたのか?)
様々な疑問が、悪魔ちゃんの中で浮かびあがっては、確かな答えを掴めずに消えていく。現世に蘇ってからまだ五日。圧倒的に情報が足りなかった。
「のう、お主。一つ尋ねたいのじゃが、儂が死んでから、どれほどの時が経った?」
「伝承の通りでしたら、約二千年です」
(ちッ、悪い予感は続くな)
内心で毒づきつつも、冷静に思考は巡らせる。悪魔ちゃんは自分が数万年は死んでいたのだと考えていた。それは、居住区画から人が消えて二千年は経過していると見立てたからだ。あそこを拠点としていたのは一万年にも満たなかったため、生活の場を移すことくらいあるだろうと、人の消えた居住区を見た時には然したる違和感を覚えなかった。しかしそれは、とんだ見当違いだったらしい。
(儂の側近の何人かは寿命を超越しておった。それに、儂には及ばずとも実力だって十二分に備えていた。他の王とて、その立場に相応しいだけの力量を持ち合わせている。その全てを、儂が死んで間もなく全滅させたというのか)
得られた僅かな情報と、己の直観で、彼女はそう結論付ける。無論、全てがその通りという根拠はどこにもない。だが、悪魔ちゃんは自分の直観を外したことは、永き時を生きてきて一度たりともなかった。
「……どうやら、人が眠っておる間に好き勝手しおった不届き物がおるようじゃのう」
それは、純然たる嚇怒。自身が殺されてもなお、痛快に笑ってみせた彼女のタブーに触れた侵略者に対する激憤だ。
襲撃者たちはようやく気付いた。自分たちが相手取ろうとしている者が、どれ程の存在なのかを。先刻まで悪魔ちゃんを前に毅然と受け答えをしてみせた一人目でさえ、全身の発汗を抑えられず、視線も定まらない。
「良い、良い。儂は貴様等を許そう。何の目的があって儂の元にやって来たかは聞かぬから、疾く失せよ。これ以上遊べば、勢い余って殺してしまうやもしれぬ」
悪魔ちゃんは今、虫の居所がすこぶる悪い。愛する者たちがどこぞの輩に殺められたのだ。しかもそれは、自分が死んだから引き起こされたことである。
全て、自分の捨て去った過去だ。死を望んだ以上、自分を慕っていた臣下たちとの決別は明確だった。目の前に現れた童子に殺されることを選んだのは間違いなく自分の意志で、そこに後悔はない。それでも、そうだとしても、自分の領域をズカズカと踏み荒らされて、何も感じないはずがないのだ。
(悠長なことを言ってはおれんな。すぐにでも揺り籠を出て都市に向かうか)
彼女は転移で外に出ようとするが、襲撃者たちが自分を取り囲んだままだった。そして彼らの手にはいまだに、武器が握られこちらに狙いを定めている。
「おい、今の儂の機嫌を損ねるようなことはせん方が良いぞ。八つ当たりでくたばりたくはなかろう」
彼女は依然、凶悪極まりない覇気を撒き散らしたままだ。常人であればこの状態の彼女に歯向かうどころか、目を合わせることすら出来ない。それでも、何かに怯えたままの彼らの敵意は悪魔ちゃんに向けられている。
「元より、ここが我等の死に場所ですから」
(あー? 二千年経っただけでどんだけ恐れられとるんじゃ儂)
脅すようなことを言ってはいるが、悪魔ちゃんに彼らを弑する気は毛頭ないのだ。
「いや、だからのう。お主らがさっさと消えてくれれば、それ以上どうこうするつもりもないんじゃって。様式美ってやつじゃよ。分かるじゃろ」
だんだんと彼らに対する苛立ちが募り始める。転移の準備にはそれなりに時間が掛かり、その間は無防備になる。変なちょっかいをかけられて暴発しても面倒なのだ
「初めから、我々に選択肢など用意されていないのです。あの方は、我々がここで死ぬことを望んでいる」
「あの方……?」
既にこちらの声は耳に入っていないのか、意図的に聞き流したのか、悪魔ちゃんの小さな呟きに襲撃者は答えない。
「我々がここであなたを始末出来れば、後続が死ぬ時間を延ばせる。最期くらいは、見栄を張ってみるのも悪くない」
ずっと怯えるだけだった襲撃者その一はどこか、吹っ切れたように笑ってみせた。悪魔ちゃんはずっと、彼らは戦士ではないと考えていた。自分の意志で武器を取ったのではなく、強要されて戦わされているだけなのだと。だから決して本気で相手をしなかったし、全力で手加減をした。だが、
(戦士の、顔になったか)
彼らは、良いように利用されているだけなのだろう。それでも、守るべきものがあった。地面から引き抜いたその三と、蹴り飛ばしたその二も起き上がり、達観しながらも、闘志を掘り起こしている。隠れるままだった残りの二人も、姿を現しその一の隣に並んだ。
誰もが、若い。その一はかろうじて二十代の半ばに届いているだろうが、他の四人は下手をすれば十代だ。
「名を」
その問いは、悪魔ちゃんが彼らを戦士と認めた証。彼らの矜持を、真正面から受け止めると決めた証。
「お主らの、名を聞こう」
「第三小隊隊長、スルヴ」
「第三小隊所属、ヌーリ」
「同じく、スクラ」
「ラニャ」
「オボディ」
五人は身を震わせながら名乗りを上げ、一斉に悪魔ちゃんに襲い掛かる。既に、自分たちの命運は決まっていると知りながら。