プロローグ
お世話になります。
これは、今から二千年以上も昔の話。人類は突如現れた邪悪な獣によって、未曽有の危機に陥っていた。その爪は固い装甲を容易く引き裂き、その牙は人の頭蓋を軽々と砕いてみせる。獣の頑強な肉体には刃も鉛玉も通らず、住処諸共焼き払おうとも無為だった。
人類は一丸となって脅威に立ち向かうも、まるで歯が立たない。主要な国家が次々と蹂躙されて行く中、突如として魔法使いを名乗る翁が現れた。この世の全てを知るという魔法使いは、獣の襲来はとある悪魔の仕業だと言う。そして、その悪魔さえ打ち倒せば獣の脅威も去るのだと。自分であれば悪魔の元まで送り届けることも可能だと告げる翁の前に、たった一人声を挙げた人物。それは、年端もいかない子供だった。
翁は、子供の勇気に胸を打たれた。悪魔を打倒せしめるのは、この子供しかいないと、確かな希望を見出したのだ。翁は子供に、一振りの剣を渡す。曰く、剣には特別な魔法がかけられていて、その力があれば悪魔を倒すことも出来るのだという。
こうして、翁に伴われた子供の手によって悪魔は討たれ、獣たちも世界から姿を消した。人々には、恒久的な平和が約束されることになったのだ。
勇気を示した子供は末代まで称えられ、獣を率いていた悪魔は最悪の魔王として、後世に語り継がれた。
これは、そんなどこにでもありふれた御伽噺。そして、二千年前に確かにあったことだ。
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「そんで、どうして儂が生きておるのかのう」
右も、左も、上も下も見渡す限り岩で覆われた、洞窟のような場所。光すら差さない広い空間で、その人物は独り言ちる。
「あー確か儂ってば、結構感動的な最期を迎えたはずなんじゃが」
脳裏に浮かぶのは、己の死に際。身の丈に合わないサイズの巨剣を抱えた子供が、震える足で自分の前に現れた。どうやってと、瞠目する自分を前に子供は精一杯の虚勢を張るのだ。両の眼下に大量の涙を浮かべながら。あれは、今思い出しても笑ってしまう。
だから、だろうか。この子供になら、殺されても良いと思ったのだ。小さき者がこれだけの勇気を見せたのなら、王たる自分は求められた役割を担ってみせようと。
『フハハハハハ‼ よくぞやって来た勇敢なる者よ! 儂こそが、魔を統べる王にして、絶対の君臨者‼ この儂を見事打ち滅ぼし、人類の平和を勝ち取って見せよ!』
そうして久方ぶりの戦闘を存分に楽しんだ後は、程よい頃合いで胸に剣を突き刺された。誰が見ても分かる致命傷だった。子供の方は、自分が勝利したというのに終始涙を流している。それが気に食わなくて、濡れに濡れてぐしゃぐしゃになった頬を引っ張ってやったのだ。
『貴様は儂に勝ったのじゃ。もっと誇るがよい。ほれ、いいから笑ってみせよ。儂の最期に涙は似合わんわ』
子供のぎこちない笑顔を見て、調子に乗ってまた戦り合おうとか何とか言っていた気がするが、とにかくそうして自分は死んだ。充分過ぎるくらいには生きていたから、信頼できる者たちに後を託し、長い生涯を閉じたのだった。
そこまで思い出しても、自分が蘇った理由に見当もつかない。でも現にこうして自分は以前と全く変わらない姿で存在している訳で。
「うーむ。まあ、儂って最強系じゃから、そういうこともあるじゃろ」
どれだけ考えても答えが見つからないなら、仕方がない。あるがままを受け入れ、別の事に時間を費やそう。ざった辺りを見渡して、あれから数万年は経っているであろうと当たりをつける。ということは、自分の姿を覚えている人間だっていないはず。昔のように町に出ても、恐れられることはないのだ。
(せっかく二度目の生を受けたからには、生前に出来なかったことをやってみようかのう。例えばそう、伴侶を得たりとかな‼)
災厄の悪魔は乙女(行き遅れ)だった。
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「復活した」
どこかにある執務室。そこに入ってきた大柄な男が開口一番、そんなことを宣った。
「はい? 何がでしょう」
柔らかなソファーに浅く腰を下ろし休憩をしていた女は当然、それを尋ねる。
「悪魔だ」
「……悪魔とは、あの二千年前のですか? それは、何かの冗談では」
普段から言葉の足りない男ではあるが、今回ばかりはその一言で充分に理解出来てしまった。悪魔と言えば、二千年も昔に実在した大魔王だ。数多の獣を従え、人類を恐怖の坩堝に誘ったと伝えられている。
「事実だ。先刻神託が降りた」
「……それで、どうするのですか」
「始末するしかあるまい」
「本気ですか? 今の私たちでは、どう足掻いたところで」
「本気だ。何より、神がそれを望んでいる」
男は、一枚の用紙を女に手渡す。それは何度も見た、自分たちの頂点からの命令書だ。半ば予想が出来ていた内容に目を通した、女の顔色は冴えない。
「……結局、そうなるんですね。私、言いましたよね? あんなものに頼っても、きっと碌な結末にはならないって。今までだって、良いように使われて。今回だって、あの方の命令で何人死ぬと思いますか? いえ。生き残るという選択肢が、そもそも残されていない」
「人類はあのものに頼らなければ、もっと早いうちに滅んでいた。すべては、力の無かった俺の責任だ。恨むのなら俺を恨め」
「……そんなの、出来る訳ないじゃないですか。だって、守護者様を失ったのは全部」
「それ以上は言うな。もう、どうしようもないことなのだ」
今にも泣きだしそうな女を、男は優しく抱きしめる。
「どうして、こうなってしまったんでしょう」
「……すまない」
男は、その問いに返す言葉を持っていなかった。だから、ただ謝罪の言葉を紡ぐ。目の前の女も含めて、自分たちの運命は、ずっと前から決まってしまっていたのだから。