第56話 運命の分かれ道 その1 ソムニ・バレル
ぼんやりしていた意識が浮遊していき、瞼を開けるとそこは見知らぬ天井が視界に入る。
「ここは……」
いまだに上手く働かない頭を数回振ると、ようやくあの悪夢のような現実が脳裏を蘇ってきて――。
「ライラっ!」
ソムニはベッドを飛び起きて己の最後の誇りにかけて助けようした少女の安否を確認する。
真っ白のシーツのベッドに、嗅覚を刺激する独特のアルコールの匂い。ここは医務室か。
「おい、貴様、ライラさんの名を叫んで起きるとはどういう了見だっ!」
据わりきった目で茶髪の美少年がソムニの胸倉を掴んでくる。この少年はある意味、ソムニなど問題ないくらい有名だ。ローマン・ハイネマン、槍王のギフトを有する超人の一人。
ソムニとは比べ物にすらならない圧倒的な才能の持ち主だ。
「そうよ! お姉さまの名前を呼んでいいのは私だけなのっ!」
少女の怒声が響く。音源に顔を向けると尖った目でソムニを睨むブロンドの髪をボブカットにした少女。そして、その隣には――。
「そうか、無事だったか……」
ボブカットの少女の傍で微笑を浮かべて佇んでいるウエーブのかかった長いブロンドの髪の少女――ライラ・ヘルナー。
よかった。この少女が無事ならこの左腕を犠牲にしたかいがあったというもの。ある意味、報われたといえる。
「あれ? 僕の左腕?」
切断された左腕は傷一つなく存在した。あれは白昼夢? いやあれは、夢にしてはあまりにリアルだった。間違いなく現実。十中八九、バベルの塔の回復技術だろう。確かによく見ると、うっすらと切断面らしき痣あるし。
とりあえず、今は現状認識が先だろう。
「僕らはどうなったんだ?」
ライラは首を左右にふると、
「私も気が付いたらここに寝かされてましたの。ね、ルミネ」
「うん。そうです、お姉さま!」
ボブカットの少女はライラに屈託のない笑顔を向けると大きく顎を引く。
「あの蜂野郎、今度あったらたただじゃ済まさないっ!」
増悪の表情でローマンが左の掌に右拳を打ち付けた。
「ねえ、お姉さま……あいつは?」
ルミネが絡ませた両手をモジモジさせたまま上目遣いでライラに尋ねると、
「カイなら大丈夫。貴方たちが起きる少し前に会いに来ましたわ」
無邪気な喜色に溢れた笑顔でルミネにそう返答する。ホッと安堵の胸をなでおろすルミネに、ライラはさらに嬉しそうに笑みを深くする。
「ふ、ふん! べ、別にあんな奴、心配してなんかいないんだもんっ!」
そんなライラの表情に気づいたのか、ルミネは不機嫌そうにそっぽを向き、腰に両手を添えてそう叫んだ。
「うん、うん、わかってますわ」
ライラはまるで幼子をあやす様に、何度も頷きつつ暖かな笑みでその頭を撫でるだけ。
「ほ、本当よッ!」
頬を赤らめてライラに叫ぶルミネ。そうか、彼女もカイ・ハイネマンの知り合い。確か、カイ・ハイネマンの出身地は城塞都市ラムール。だとすると、多分、この槍王とも既知の仲なのかもしれない。
「ライラ、エッグの遺体はどうなった?」
たとえ、首だけになっていても、遺体は彼の両親に返してやりたい。遺体の前で彼の両親に事情を話して謝罪する。それがエッグを巻き込んでしまったソムニの義務であり使命。そう純粋に思えるから。
ライラは眉を顰めて不思議そうに小首をかしげると、
「遺体って、エッグは死んでませんわよ」
そんなありえないことを口にする。エッグは首を切断されて絶命していたはず。それをソムニはこの目でしっかり見た。死亡しているのは間違いない事実。
「いや、確かに僕は――」
そう叫びかけたとき、扉が勢いよく開かれ、
「食えるの買ってきたぜ!」
体格の良い黒髪の少年が、右手で布袋をもちつつも、部屋に入ってくる。その人物を視界に入れて――。
「エ、エ、エッグッ⁉」
思わず立ち上がり、右の人差し指を向けつつ素っ頓狂な声を上げてしまう。それもそうだ。エッグは五体満足で立っていたのだから。
「ん? 何の話してんの?」
「はっ! お前が死んだんだそうだ」
槍王――ローマンが小馬鹿にしたかのようにエッグに話を振る。
「ひでぇな。俺、死んでないっすよ」
口を尖らせて抗議するエッグの傍まで覚束ない足取りで向かうと、
「……」
ペタペタその全身を触る。
「な、何すかっ⁉ ソムニさん、マジでキモイっすよ!」
顔を引きつらせるエッグに、全身の毛穴から絶望感が浸み出すような安堵を覚えて、床にペタリと腰を下ろして、笑いだしたのだった。