第55話 悪夢のドミノ倒し
――バベル北部の高級住宅街。
「あーあ、俺らのスポンサーがいなくなってしまったよ」
赤色の髪をツーブロックにした優男ヒジリが、椅子に寄りかかり、両手を後頭部に当てながらぼんやりと口にする。
ヒジリの言葉に全員微妙な表情で黒髪の美少年サトルへと視線が集中する。
「何だよ⁉ 僕は知らないよ! 大方、あの馬鹿王子が勝手に突っ走ったんだろっ!」
吐き捨てるように叫ぶサトルの顔には、恥をかかされたことへ憤激の色が漲っていた。
「実際のことの経緯は?」
艶やかな黒髪を長く伸ばした美少女マシロは形の良い顎に右手を当てながら、背後の白色の鎧を着た騎士に尋ねた。
「ギルバート王子は、バベルの入学試験で受験生であった守護騎士ソムニと、見習い騎士テトルの殺害未遂容疑で王国調査部が身柄を拘束しています」
王国調査部の言葉に、部屋中にある種の緊張が漂う。
「調査部主導ってことは、あのバケモン宰相が動いたっての?」
ヒジリが先ほどのおちゃらけの様相とは一転、厳粛な顔で疑問を口にする。
「そのようです。理由のない配下の殺人未遂という王族最大の禁忌に触れたことにより、ギルバート王子の王位継承権は無期限で凍結される。そう報告してきました」
「決まりね。ギルはどうやらあの男の逆鱗に触れた。忠告を無視したのだし、当然の結果ではあるのでしょうけど」
マシロのセリフに、
「そのようだね。だとするとマシロ、もうギルは――」
ヒジリも相槌を打ち、ギルバートの安否について口にする。
「いーえ、あの宰相のこと。ギルが死んでいたら継承権の消失及び剥奪というはず。無期限の延期としていることからも、死んじゃないんじゃないかな」
マシロの言葉に安堵の空気が流れる中、
「だけど、どうすんだよ? ギルがいなけりゃ、僕ら禄に動けなくなるぜ?」
サトルがイライラと足の裏で床を叩きながら、マシロに向けて問を発す。
「そこは心配いらない。ギルバート派の高位貴族たちから、今回のギルのドロップアウトに際し、代替案を提示してきたわ。それを一部受けようと思う」
「代替案?」
眉を顰めるサトルに、
「そう。どうやら、アメリア王国にはもう一人、王位継承権者がいるらしいの」
「王位継承権者ぁ? 国王の子供って確か、3人だったはずだけど?」
「ええ、もう一人の王位継承権者は現国王の年の離れた実弟。王選のルールにより、男子の王位承継権者が存在しないときに限り、現国王の兄弟も参加できる建付けになっているらしい」
「あー、なーる、ギルがドロップアウトしたから、現時点で男子の王位承継権者はいなくなる。だから、その誰かさんが担がれたと?」
マシロは小さく顎を引く。
「もちろん、このルールは王位承継戦開始前に適用されるもの。すでに開始されている本承継戦で持ち出すことはできないのが筋よ。それにそもそも、ギルの王位承継権は凍結であり、消失ではない。今回のケースに適用されるとはとても思えない。そのはずだった。でも――」
「認められたと。高位貴族たちの圧力ってやつかねぇ?」
「それだけで、あの宰相がここまで露骨な主張を認めると思う?」
「いんや。思わないね。だとすると、どいうこと?」
眉根部を顰めて聞き返すヒジリに、
「さあ、さっぱり。でも、どうやら裏はありそう」
「裏ってのは? マシロ、君、少々、回りくどすぎるぞっ!」
イライラしながら、結論を促す賢者サトルに、マシロは肩をすくめると、
「そのどこの誰かさん、過去に犯したいくつかの罪で長らく幽閉状態にあったようね。高位貴族たちの要請を受けて、アメリア王国は彼を開放した」
淡々とその情報を開示した。
「いくつかの罪ねぇ? 具体的には?」
「一つに先代国王の殺害があるようね」
「親殺しに殺しか……どんな人物なん?」
ヒジリがグルリと周囲の騎士たちを見渡して尋ねると、
「それは……」
全員が顔を見合わせ口ごもる。その顔に張り付いていたのは、正と負の入り混じった複雑極まりない感情。
「誰に聞いてもこんな感じよ。過去に宰相とともに、アメリア王国を一大軍事大国にした立役者でもあるようだし、中々、気が抜けない御仁のようね」
肩を竦めて首を左右に振るマシロに、
「そのヤバイ彼がこのタイミングで王位承継戦に参加する理由は? いや違うな。参加させる理由は?」
ヒジリが事の本質につき疑問を口にする。
「それこそ、私が知るはずがない。あの宰相の行動指針の予想がつくなら、こうも後手後手にまわってないしね」
「それもそうか。そもそも、ギルの脱落もあの宰相のシナリオのうちだろうし」
「まあ、それは、ギルが警告違反をしたときの後釜の駒なのかもしれないけど。でも、この強引なやり口、普段の宰相のやり方とずれている。とすれば……」
両腕を組んで思いにふけるマシロに、
「あーあー、もうやめやめ! だからさ、話を脱線させるのをやめろよ! どうせ僕らがこの世界に来る前の強者の基準だし、なんの参考にもならないだろッ! 正直、宰相の意図などどうでもいい! それより僕らの今後についてだ! マシロはどうなると考えている⁉」
サトルが席を立ちあがって、ある意味建設的な提案をする。
マシロも大きく息を吐くと、
「そうね。話を戻しましょう。噂の大公クヌートは王位承継戦に参加し、彼に高位貴族のほとんどが付くことが正式に決定したわ」
今皆が一番聞きたかった情報を開示した。
「で? 今度は君らの二人がその大公のロイヤルガードになるつもりなのかい? ちなみに僕は既にギルのロイヤルガードだから無理だぜ?」
サトルのもっともな指摘に、マシロは首を左右に振り、
「まさか、私たちがあの宰相の思惑にわざわざ乗ってやる理由なんてない。
こちらは今まで通りに大公側に知識面での協力を約束し、その代わり魔族の絶滅につき全面的な協力をもらう。あちらさんも、快く承諾してくれたわ」
このマシロの言葉に歓喜という名の熱気が部屋中から沸き上がる。
「はい、それ、ぬか喜び! 僕らのスポンサーがいないことに代わりがない。
ギルの領地のウエストランドはどうするのさ? 今更放り投げる気? それは流石に身勝手過ぎない?」
そんなサトルの非難の言葉に、マシロ、ヒジリ、その他の騎士たちは意外そうな顔で無言で凝視する。
「な、なんだよ⁉」
「いや、あなたからそんな良識的な話がでてくるとは意外だったもので」
マシロのしみじみとした感想に、
「そうそう。サトルッちはこんなとき、なぜ僕がやらなけりゃいけないのさ! めんどくさい!、とか言ってそうじゃん?」
ヒジリも茶化すように相槌を打つ。
「君ら――」
眉をプルプル震わせて、声を張り上げようとするサトルに、マシロは両手を数回上下する。
「わかった、わかってる。サトルの言も一理ある。すでにあの領地ウエストランドは私たちの土地。魔族撲滅後の私たちの行動の拠点ともなる場所。地球に帰る方法も探さなければならないしさ。だから、大公側とは既に話をつけてある」
「王選でクヌート側に協力すれば、ウエストランドは認めるって? その大公さんを信用していいものかね? 反故にする可能性は?」
ヒジリのどこか否定的な感情を含有した問いに、
「それはないわ。なぜなら、私たちにはこの世界で最高の権力と財力を有するスポンサーが付いたのだから」
マシロは左右の口角を吊り上げ、そう宣言する。
「へー、最高の権力と財力を持つスポンサーね。大体予想はつくけどさ。よく彼らが協力を申しでたね? てっきり、魔族絶滅後、僕らを排除しようとしてくると思っていたけど?」
「ええ、彼女たちにもどうやら、私たちといがみ合っている余裕のない事情が生じたみたい。ともかく、大公側も中央教会を敵に回すような愚はおかさない。王位の承継の邪魔さえしなければ、ウエストランドの支配権は私たちに譲るはずよ」
「ま、税はしっかり国に収めるわけだしね。それなら、確かに貴族の支配と大差ない。彼らも認めざるを得ないか」
ヒジリのこの言葉に、安堵の声を上がる。
悪夢のドミノ倒し。それほど彼女たちが今、おかれている状況を明確に表した言葉はあるまい。
枢機卿パンドラから始まった悪夢はマシロのこの決断により、勇者チームにも伝搬する。
そう。この場このとき、勇者チームもこの世で最も恐ろしい怪物との戦争に棒切れ片手に参戦した瞬間だったのだ。




