第30話 完膚なきまでの敗北 ムーダイト
――【深魔の森】南西の端の【シラウソの魔湖】、ケッツァー伯爵の領軍本陣。
「伝書鳥により、複数の部隊から撤退の許可を求めてきていますっ! 他のいくつかの部隊からは定時連絡自体がありませんっ!」
次々に入ってくる不可解極まりない知らせに、
「一体、どうなっている!?」
領軍総大将――ムーダイトは、テーブルに握り拳を叩きつけた。
情報では風猫は、全て謀反を犯した親族などのアメリア王国で大っぴらに生活することが許されぬ者達の集まり。公式に人とすら認められぬ輩どもだ。取引することはもちろん、力を貸せば中央の大貴族たちから睨まれ、事実上の破滅。増援を送るなど、まずあり得ない。
だとすれば――。
「例の大精霊が動いたということか?」
テントの隅で酒を飲んでいる青色のローブを着用した野性味のある外見の青年に尋ねる。
こいつは、オニキス。ルビーの兄であり、超がつく一流の魔導士の一人。フェリス公女が、大精霊と契約している旨をどこからか聞きつけ、此度の戦へ参加してきた。
こいつには莫大な報酬を払っている。こんな時こそ、働いてもらわねば困るのだ。
「まずあり得ねぇな」
「なぜだっ? フェリス公女の契約精霊はかなり強力なのだろう?」
「おそらくな。だが、討伐隊にはルビーがいる。ルビーのデイモスリッチと正面切ってやり合うには、大精霊といえども相当な対価が必要なはずだ。それこそ、その風猫全員の生命力を贄にするしかねぇ」
「だとすれば、フェリス公女が風猫ども全員の生命力を対価にして、件の大精霊を動かし、勝利していたら――」
「仮にデイモスリッチに勝利したとしても、それでおそらく対価がガス欠となる。1000もの兵を蹴散らせるわけがねぇ」
「なら、この状況をどう説明する!? 既に軍が半壊しているんだぞっ!?」
「おそらく、今の奴らの優勢の原因はカサエルが執着している元魔導騎士団長だろうさ。心配するな。人ではデイモスリッチには勝てねぇ。直ぐにルビーたちが朗報をもってくるさ」
「しかし――」
「あー、鬱陶しい! いざとなったら、この俺が直々に相手してやるよ。それなら問題ねぇだろ?」
オニキスは、召喚士。その実力だけは超一級品であり、何よりこいつはあの伝説の生物と契約している。間違いなく、単騎でこの領軍の一部隊を壊滅させるだけの力はある。
「わかった」
ムーダイトは伝令に向き直ると、
「撤退は許さん。勝手に戦線を離脱したものは、敵前逃亡とみなし、今後戦では働けないものと心得よ! そう命を飛ばせ!」
そう語気を強めて指示を出す。
それから、暫く時間が経過するとまったく報告が入ってこなくなる。
「各部隊からの連絡は?」
「いえ。でも、救援要請もあれからないですし、おそらく、制圧に成功したのではないかと」
「そうか……そうだろうな」
こんな吹けば飛ぶような雑魚どもの集落一つ潰すのに、少々途惑ったが、これも予定調和というものだろう。
ビンビンに張りつめていた緊張の糸が解れて、安堵のため息を吐き、テーブルのグラスに酒を注いだとき――。
「ーー!!」
テント中に兵士が転がり込んでくると、外に指をさして口をパクパクさせる。その顔は真っ青に血の気が引き、わなわなと唇を震わせて、必死で言葉を吐き出そうとしていた。
「どうした!? 報告があるなら早くしろ!」
もう、既にこの戦争、勝負が決したのだ。あとは、フェリス公女を内密に領主の元に連れて行くだけだ。それで、こんな泥臭い場所とおさらばだ。
今まで余裕の表情で酒を飲んでいたオニキスが舌打ちをすると、席を勢いよく立ち上がり、テントの外を眺めみると、
「囲まれてやがる」
不快そうに呟く。
「はあ? 奇襲を受けたということか? なら周囲の本陣の護衛の軍はどうした?」
「さ、さあ、今まで持ち場を離れるなどの報告は受けていませんが」
副官が慌てて左手を左右にふって返答する。
まさか、風猫の略奪のため持ち場を離れたのか? 確かにあの本能丸出しの野獣どもならやりかねん。闇夜に紛れて、ここまで接近されてしまったか。
(だから、寄せ集めの軍はいやなのだっ!)
悪態をつきながら、
「賊どもを殲滅する。オニキス、できるな?」
オニキスにこの危機の打破を依頼する。
「まあな。だが、結構な数がいる。報酬は別途もらうぜ」
「いいだろう」
背に腹はかえられぬ。無用な出費となるが、仕方あるまい。
木製の椅子から立ち上がったとき、突如、テントが四方八方に弾け飛び、
「うおっ!?」
頓狂な声を上げて周囲を見渡すと、月明かりの中、周囲を取り囲む数十人の男女が視界に入る。
(なんだ、全て素人ではないか!)
若い女はもちろん、老人や子供までいる。とてもじゃないが強そうには見えない。きっと、大半が剣すら握ったことのない輩ばかりだろう。
テントを粉々にした奴らの魔法には一定の警戒が必要であるが、こちらには一流の召喚士のオニキスがいる。あんな素人どもに敗北はあり得ない。というより、この本陣には熟練の魔導士が多数配置されていたはず。あんな戦闘の素人相手に、奴らは何をしているのだ?
「こんな奴らにこの本陣までの接近を許したのか!?」
今も頭を抱えて震える見張の兵士を怒鳴りつけるが、ギョッと目を見開く。
「ふひっ! ひへへへ……あいつらは正真正銘のバケモンだぁ」
当然だ。兵士は泣いていた。顔を涙と鼻水で汚しながらヘラヘラと笑いながら言葉を絞りだす。
「あ!? バケモノだぁ。こんなのがかぁ?」
オニキスは目を細めて今も取り囲んでいる老若男女を眺めまわす。
先頭の杖を突く老人が前に進み出ると、
「この場は我ら風猫が完全に包囲した。選ぶがいい。このまま大人しく投降し全てを暴露するか。それとも――このまま地獄を見るのか」
強圧的な声色で降伏宣言をしてくる。
「投降だとぉ!? 俺がお前らのような素人にかぁ?」
オニキスはドスの効いた低い声で奴らを威圧するが、
「……」
明らかに戦闘を知らぬ女子供さえも恐怖一つ覚えた様子すらなく、据わった目でこちらの返答を黙って待つのみ。
「素人共が調子に乗りやがって! おい、甲竜‼ 起きろッ!」
オニキスが額に太い青筋を漲らせながら指を鳴らすと、その前に巨大蜥蜴が顕現する。
翼はないが、大きく鋭い口に、黒光りした鱗。あの独特の姿はドラゴン。最強種であるドラゴンは精霊以上に使役するのは難しい反面、戦場ではたった一騎で戦況を一変させるほどの戦力となる。もう、勝敗は決したも同然だ。
『対価はあるんだろうな? 仮令、雑魚であっても、ただ働きは御免だぜぇ?』
翼のないドラゴン、甲竜は周囲をぐるっと、今も取り囲む奴らを興味なさそうに見渡すと、背後のムーダイトたちを振り返り、オニキスに尋ねる。
「ああ、そこにいるデブ以外のマナを喰らっていい。一応、今は俺側だし、8はいる。この程度の相手なら十分足りるだろう?」
『いいだろう。契約成立だ』
甲竜が大口を開けて何やら吸い込む仕草をすると、バタバタとムーダイトの側近たちが倒れていく。
「お、おい!」
「甲竜は大食いだからなぁ。そいつらは諦めろ。代わりにあの、身の程知らず共は、確実にぶっ殺せる」
これは、オニキスのいう召喚獣の対価という奴か。その契約より、サモナー側の生命力を利用し、その動力源とするらしい。
ともかく、あの程度の人柱でこの状況を安全に切り抜けられるなら安いものだ。
「わ、わかった。任せる」
ムーダイトが顎を引いたとき、
「ヌシら仲間の命を売ったのか?」
老人が悪鬼の表情で全身をワナめかせて疑問を投げかけてくる。
「仲間ぁ? あんな役立たずの兵隊などただの駒だ。駒は効率よく利用するもの。そうだよなぁ?」
オニキスが馬鹿にしたように鼻で笑うとムーダイトに至極当然の質問を口にする。
「そうじゃ。奴らもこの戦況を変える尊い人柱になったのだ。本望だろうよ」
「本望か。そうか。ヌシらはそういう輩か。なら、もういい。ヌシらに一片の慈悲すらいらん」
「この後に及んで、こいつに勝てると思ってんのかぁ?」
初めてオニキスが顔を不快そうに歪めると、
「甲竜、やっちまえ!」
翼のない竜――甲竜へ指示を出す。
『契約だからな。わかっているさ。俺もたまにはマナではなく人の肉を喰いたかった。まあ、あのジジババの肉はスジ張っていて不味そうだけどよ』
甲竜は地響きを上げながら、老人たちに向けてその恐怖を楽しむように歩いていく。
「長老、ここは私が――」
黒髪おかっぱの少女を杖で制止し、
「儂一人でやる」
迫る甲竜に白髪の老人はそう呟く。刹那、老人の双眼が黄金に染まり、変化は劇的に訪れる。
老人の身体は急速に数十倍に膨れ上がり、皮膚には黄金の鱗が形成され、鋭い爪と牙が伸長し、翼が生える。忽ち、世界最強の種族の造形が形作られていく。
『……』
己の十数倍となった黄金の竜を、半口を開けて茫然と見上げる甲竜と、
「ば、馬鹿な……」
真っ青な血の気の引いた顔で、強烈な驚愕を含有した声を上げるオニキス。
突如、黄金の竜の口から火柱が上がり――視界が光りに包まれる。
眩い光から視力が戻ったとき、周囲の景色は変貌していた。
「そんな……」
そのあまりに理不尽な光景に両足の力が抜けて地面に尻餅をつく。当然だ。ムーダイトたちの本陣の背後にあった【シラウソの魔湖】は、いまや綺麗さっぱり蒸発し、赤茶けた地面が露出した巨大なクレーターを形成していたのだから。
「……」
このイカレきった状況に指先一つ動かせずガタガタと震え出すオニキス。そして――。
『ぎひぃっ!』
先ほどの一撃で完全に戦意を喪失したのか、甲竜が一目散に逃亡を開始するが、
『逃げられると思うてか』
ぞっとする声とともに、黄金の竜の双眼が怪しく光ると、甲竜の巨体がピタリッと硬直化する。
『言ったはずじゃ。ヌシらに慈悲はいらぬと。精々、今までしてきた非道をそのちっぽけで、みすぼらしい魂から後悔するんじゃな!』
黄金の竜はすっかり見晴らしの良くなった荒れ地で天を仰ぐと、
『グオオオオオオオオォォォォォォッ!!!』
耳を弄するような咆哮をする。その咆哮だけで、大気がビリビリと振動し、暴風が吹き荒れる。
ムーダイトの身体は荒れ狂う風圧で落ち葉のようにグルグルと冗談のように回転し、樹木へと背中から叩きつけられ、その意識はあっさりと刈り取られてしまう。
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