学び舎の在り方
大王様お忍びチャレンジ。番外『王のつとめ(十年後)』の少し後の話。
「学校では何をどう教えているのか、実際のところを見て確かめたい」
政務の合間にそう言い出したシェイダールに、リッダーシュとヤドゥカは揃って難色を示した。以前に視察をおこなったことがあるのに、そして記憶力の良い大王様がそれを忘れるはずもないのに、こう要望した――ということはつまり。
「身分を明かさず普段のありのままを、と言うのだな?」
ヤドゥカが太い眉をぎゅっと寄せ、苦い声音で確かめた。シェイダールはぱっと嬉しそうな顔をする。
「話が早くて助かる」
「駄目だ」
「早すぎるぞ」
即座に却下されてしまい、シェイダールは不満の声を上げた。しかしこればかりは、親友であるリッダーシュも援護してくれなかった。
「先日は役人のふりをしてしばらくは騙せたが、あれは外の村だったからで……」
新しい記録方式の帳簿の数字がめちゃくちゃだとかで、財務長官に先んじて現地へ乗り込んだ一件である。その時に読み書き学校での教育内容について一考したので、改めて現状を確認したいと思いついたのだろう。
主君の考えは理解できるが、唯々諾々ばかりが臣の役目ではない。リッダーシュはどうすれば彼の希望をある程度叶えつつ、無茶ぶりを諦めさせられるか、思案しながら言葉を継いだ。
「都ではおぬしの顔は知られている。身なりや振る舞いを変えたとて、すぐに気付かれるだろう」
「まぁ待て、そのぐらいは俺も承知してる。だから姿をごまかす術というのを考えたんだ」
言いながらシェイダールはいそいそと衣装櫃のほうへ行き、お忍び用の質素な服を引っ張り出して、召使いの手伝いも待たずに着替えだす。ヤドゥカが眉間を押さえて唸った。
「我が君。頼むからそういう物騒な術を編み出さんでくれ。術で他人に化けられては、御身を守りきれん」
「おまえに化けてふざけたら面白そうだがな」
シェイダールは性質の悪い冗談で親衛隊長の頭痛を悪化させてから、そうじゃない、と手を振った。
「さすがに別人に化けるなんていうのは、短時間ならともかく、いろいろ難しすぎる。だからまぼろしを見せるというのじゃなく、見てはいるが認識がずれる、というのを考えたんだ。服装だけで相手を判断して、顔を見ても誰だか気付かない、というやつをな。ちょっと試すから見ていてくれ」
装飾品を全部外し、昔のように身ひとつで何も持たない姿になると、ささやくような声で詠った。
「《月は薄雲に貌を隠せり 見ゆるはただ 纏いし衣に映りし影のみ》」
真昼間であるにもかかわらず、夜風の気配が通り過ぎてゆく。しん、と沈黙が降りた後、
「……何も変わっておらぬが」
ヤドゥカが言い、リッダーシュも首を傾げた。シェイダールはにやっとしてわざと髪をくしゃくしゃにし、
「そりゃ、おまえらは目の前で俺の元のなりを見ているからな。外の連中がどう反応するか試してみよう」
あきらかに悪戯にわくわくしている口調で言うと、廊下へ通じる帳をくぐった。
リッダーシュが慌てて追いかけ部屋を出た直後、
「何者だ貴様! いつの間にどこから入った!? ここは大王様のおわすところなるぞ!」
忠義な衛兵二人がシェイダールに槍を突きつけ、厳しく誰何した。
「リッダーシュ様、大王様の御身は!?」
衛兵の片割れが蒼白になって問いかける。侵入者を見逃したばかりか、あろうことか私宮殿の中から現れたのだ。既に何事かを成し遂げられてしまったのではないか、と恐怖に駆られても当然である。
リッダーシュが何とも言えないまま同情的な顔をする。一呼吸置いて、シェイダールが笑い出した。
「ほらな。服しか見えてないんだ」
言いながら手櫛で髪を整え、顔をよく見えるようにして衛兵の間近に寄る。賊のくせに何を図太い、とばかり怒りの形相になった衛兵は、しかし、数回瞬きした後、混乱し動転し、よろけて後ずさった。
「えっ……あ、そんな……?」
「ご、ご無礼を……!」
二人揃って悲鳴を上げ、槍を置いて両膝をつき臣従の礼を取る。シェイダールはそれぞれの肩をぽんぽんと叩いて慰めた。
「いや、俺が悪かった。立ってくれ。忠義な仕事ぶりに安心したぞ。引きずり倒されることも予想していたんだが、リッダーシュの指示を待ったのは賢明だったな」
「もったいないお言葉にございます」
「いいから、立ってくれ。今のはちょっとした術をかけて、姿をごまかしていたんだ」
シェイダールは言って衛兵達にも先ほどの術について教えると、続けて言った。
「そのうち本当に、こういう術を使って悪事をはたらく輩も現れるだろうな。だからおまえ達も、これからは術の気配にも気をつけていてくれ。おかしいと思った時はちょっと耳を澄ませたら、音色の揺らぎに気付けるだろう。俺を出し抜けるほど術の巧みな奴がそうそう現れるとは思えないが、王宮に忍び込んで内情を探ろうとする奴なんかは、いるかもしれないからな」
はっ、と衛兵二人が畏まる。リッダーシュは曖昧な表情で、「本当に御君だと気付かなんだのか?」と確かめる。はい、と衛兵が答えた。
「一目見た時には、曲者だ、と。もうそのようにしか」
「聞いたか?」シェイダールがにっこりする。「効果のほどはわかったろう、だから学校に下見と称して乗り込んでも、面倒くさい親だと思われるだけだ。さあ支度してくれ。警護しているのがばれないように、おまえも着替えるんだぞ」
さて、都には大小数多の学校が存在する。その性質は様々だ。
かつての王が建てた大学では、既に相当の学を修めた者が高位の官職に必要な知識を身につけたり、さらに高度な学問を究めるため研鑽の日々を送っている。
神殿に併設されている学院では、見習い含め大勢の神官が祭儀や暦について学ぶ。
貴族や商家が開いた塾もあり、これは実務に必要な知識技術を習得させて、いずれ自分たちの事業の人材を確保するのが目的だ。
これらとは別に、単に「学校」と呼ばれるのは、基礎の読み書き算数と、最低限の常識とされる古典教養や論理について学ぶ場である。地区の住民が教師を雇って運営し、安い授業料で庶民の子供らが通えるように公費の補助を受けている。
シェイダールが先だって視察したのも、今回改めて見たいと言うのも、この最後の例だった。
「都では大勢が普通に読み書き算数を学ぶと知った時は、驚いたなぁ」
往来を歩きながら、シェイダールはしみじみと述懐した。
「村では読み書きできるのなんて村長と祭司ぐらいだった。大半は自分の名前も書けなくて、せいぜい麦とか羊とかいくつかの単語がわかって、二桁程度の足し引きができれば、それで何も不自由しなかったんだ」
「王宮に来たばかりの頃のおぬしには、正直、驚かされたものだよ。これほど聡いのに、これほど物を知らぬのかと」
「学校なんか隣村にも無かったからな……一応、少人数の読み書き教室はあったらしいが、わざわざ通うような暇人もいなかったし。だがまぁ、都で暮らすなら読み書き算数ができないとむちゃくちゃに不利だ、ってのはこの数年でよく分かった」
シェイダールは渋い顔で唸り、辺りを見回した。看板は絵や模型が大半だが、文字で重要な情報を書いている店もあるし、田舎村と違って誰もが顔見知りではない都会では、買い物の時に計算をごまかされることもままある。
それに、まともな糧を得られる職に就きたければ、基礎学力は必須だ。同じ店や屋敷に雇われても、待遇に格段の差が出る。自分の給料が少ないと気付けない者は、使い潰されるばかりだ。
「だからこそ、貧乏人でも無償で子供を通わせられる学校、というのがひとつでもあれば、と思ってな。そのぶんの金をどこに出すか、見定めたいんだ」
シェイダールがこぼした真情に、リッダーシュは目をみはった。
「そのようなお考えであられたとは」
「なんだ、俺がいつもの好奇心で見物したがってるだけだと思ったのか? ……もちろん、タダであっても学校なんか通う暇があったら働け、ってのが貧乏人の暮らしなんだが。そこはどうにか、少しずつでも『学べばましな人生になる』って成功例を積み上げていくしかない」
「そのためにも、まっとうな学校を選定せねばならぬ、というのだな」
リッダーシュは納得し、「我が君」と言いかけたのを「我が友よ」と言い直して続けた。
「そういう思いがあるならば、先に話してくれ。私もヤドゥカ殿も協力は惜しまぬものを」
率直な善意を受けて、シェイダールはむず痒い顔になって目を逸らした。
「いやまぁ、なんというか……俺の独りよがりに付き合わせるみたいで、気が引けたんだ。そうでなくとも、いつも俺のわがままを通してばかりいるからな」
「王とはそういうものだろう」
リッダーシュは小声で言って苦笑した。
「なればこそ、臣は主の望みを叶えるべく頭を捻り力を尽くし、さもなければ命を賭しても諫めるものだ」
「うん。おまえたちがそういう判断はきっちりできると信頼してるからこそ、俺もやりたい放題できるんだ。わかってる。だが今回のは、ちょっとな……」
珍しく気恥ずかしげな面持ちで言ってから、シェイダールはふと遠い目をした。
「……あの年、俺よりもすぐれた資質の持ち主が見出されて、王宮に来ていたら。育ちの悪い俺は、あっさりお払い箱で放り出されていただろう。都でどうにか働いて食い扶持を稼ぐしかなくて、でもろくな学もなく伝手もなく、……ひどい暮らしをさせたかもしれない」
誰に、とは口にしない。村からついて来た、同じく世間知らずの少女だった妻の名は。
察したリッダーシュもただ沈黙する。
つかのま瞑目した後、シェイダールはいつもの強い瞳を開いて笑った。
「だから、学校に金を出すのは昔の自分を助けるためでしかないという気がして、どうにもばつが悪くてな。まぁ、お許しも出たことだ、上手くいくかはわからないが、やるだけやってみようじゃないか」
「……御意、我が君」
「それはよせって。今の俺は、子育てに悩む市井の平凡な父親マルガスなんだからな」
改めて偽りの設定を思い出させたシェイダールに、リッダーシュも頷いた。
息子には家で両親が読み書きを教えているが、どうにも気が散ってばかりで進まない、やはり学校に通わせるべきかと思うが、どこが良いか決めかねている……という筋書きだ。
実際にもシェイダールは、王宮で子供らの教育を時々見に行って口を出したりしているが、シャニカ姫のように秀でた子ばかりではない。いっそ学校に放り込んだら少しは勉強するのでは、と思われる子もいる。
そんなわけで、あながち演技ばかりでもない実感のこもった父親ぶりを見せたシェイダールに、学校の教師らも概ね同情し、見学を好意的に受け入れてくれた。もちろん、生徒の確保は彼らにとって死活問題だという理由もあるわけだが。
その一校目。
「なるほど! 家では誘惑が多くて勉強に集中できない、よくわかりますともお父さん! その点、我が校ならば余計なものは一切なし、あるのは粘土板と葦筆のみ。しっかり身につくまで徹底的に指導します。教師のすぐれた熱意をご覧下さい」
案内役をつとめる教師が、授業の邪魔をせぬよう声を抑えつつも、ぐいぐいと売り込んでくる。徹底した指導、というのは誇張ではないようで、教室に並ぶ長机についた子供らは皆、一心に粘土板と格闘していた。青ざめた顔をひきつらせるほどに真剣だ。机の間をゆっくり巡回する教師がそばを通る度に、ぎくりと身を竦ませるのが外から見てもわかる。
教え方がよほど厳しいらしい、とシェイダールが推測した直後、
「違う! 余分な線を勝手に加えるな!」
教師が怒声を張り上げ、笞で生徒の肩を叩いた。ぴしり、という程度の軽さではなく、バチッと肌まで裂けそうな勢いで。あまつさえ、粘土板を取り上げて高々と掲げ、
「よく見ろ、これが悪い例だ。実に汚い! 一画一画揃えて書くことさえできていない!」
晒しものにした後、侮蔑もあらわに粘土板をぐにゃりと捏ねて、生徒の苦心を無下にした。
「やり直し」
冷ややかに言って机上に粘土を置く。生徒は涙ぐんでいたが、反抗もせず、大人しく粘土を整え始めた。
当然のことながらシェイダールの判断は「否」であり、案内役の期待を振り払ってさっさと切り上げ、次へ向かった。
二校目。
「なるほどなるほど! ご子息にはしっかり学んで欲しい、しかしあまり厳しくして勉強嫌いにさせては元も子もない、と! ご安心ください、我が校は笞は使わない方針です。生徒に言うことを聞かせるには笞ではなく、まず礼儀作法を教えるところから。敬意でもって従わせるのが教育というものですよ、お父さん!」
にこやかに自信満々に案内された教室では、十数人の生徒全員が直立不動で暗誦しているところだった。
「……万の目ですべてをみそなわすアシャの前に、わたしたちは正しきおこないをいたします。ワシュアールの王にして世界の王、輝ける六彩の御君、大王シェイダール様の正義に平伏し、ご温情に感謝します。わたしたちを育ててくださった父母の恩に報いるため、言いつけを守り勉学に励みます」
言い淀んだり間違えたりする者の一人もいない、明瞭正確な暗誦。ほう、とリッダーシュが感心する横で、シェイダールは苦虫を噛み潰した。
「駄目だな」
「なぜ?」
おや、とリッダーシュが訝る。シェイダールは「気持ち悪い」と短く即答してから、やや思案して唸った。
「感謝だとか恩だとかは、こんな風に教え込んでさせるものじゃないだろう。親が子を育てるのも、王が正義や温情を示すのも、本来は当然すべきことだ。世にも稀なる特別な恩恵なんかじゃない。それなのに、引き換えに献身や忠誠を要求するのは……何というか、違うだろう」
「ふむ。取引や強制によってはならない、というのだな」
「そうだ。ここに金を出したら、王に阿って媚びへつらえば特別扱いしてもらえる、ってことになってしまう。それは公正じゃない。不健全だ」
シェイダールは言って、悔しそうに唇を噛んだ。王の恩寵を求めて人が群がるならば、それは――彼が変えたいと強く願った、『王ひとりの肩にすべてを載せる』国の在り方と同じだ。違うのは、王に期待するのが神の力か金の力か、という点だけ。
「確かに、それは望ましくないな」
リッダーシュも理解して頷く。
それでも一応は授業の様子を見たものの、教師の程度があまりに低くて話にならず、主従は次の学校へ向かったのだった。
三校目は、以前に視察した学校を選んだ。その時は先の二校ほどの極端な面は見られなかったが、一市民として行けば違うかもしれない。
「なるほど、ご希望についてはよくわかりました。厳しく抑えつけず、服従を教え込まず、自発的に勉強させたいとおっしゃるわけですね?」
応対したのは視察の時と同じ教師だ。校長ではないが、対外的な折衝を受け持っているのだろう。シェイダールはやや緊張しながらうなずいた。つい最近、長時間、近くで接した相手である。術をかけているとはいっても、服装よりも顔を強く認識されてしまったら、効果が失われるかもしれない。
だが幸い、相手は気付かなかったようだ。ふむと思案して話を続けた。
「でしたら当校の方針とも合致します。先頃シェイダール様より各校に通達があったところでもありますし。読み書きを学び正確な記録を残すことの意味と意義を、ちゃんと理解させるようにと」
不意打ちで名前を出されてシェイダールが反応できずにいると、横からリッダーシュがさりげなく会話を誘導した。
「先に見学した二校では、そんな話は出なかった。難しい指導なのでは?」
「確かに難しいですね。通達は強制ではなかったので、学校の方針にそぐわなければ指導に取り入れない所もあるかと。当校では生徒の自主性を重んじていますので、学習の意味と意義を教えることは以前からおこなっております。ただ、ですね……それを教えても、やる気を出すかどうかはその子次第ですよ、お父さん方。学校はあくまで、文字と算数を学ぶ場にすぎません。それが人生にどう影響するか、日々の生活でどのように重要であるか、そういうことはご家庭の生活のなかで教えていただかなくては」
思いがけず親に対する指導を頂戴し、シェイダールは渋面になった。王という立場上、子供らに接する時間は、そう多くは取れない。それぞれの性質を見定め必要な教育を与えられるように心を砕いてはいるものの、これはいささか耳が痛かった。そして恐らく、多くの家庭でも同じだろう。親はたいてい忙しいものだ。
「生徒の親全員に、そう伝えているのか?」
「いいえ。大半の親御さんは、読み書き算数を覚えてくれたらそれでいい、という姿勢ですから。こちらとしても、そうするだけです。当校の指導では生ぬるい、という方はもっと厳しいところへ移られますね」
「それは子供が気の毒だな」
「学ぶ姿勢を持てないのなら、その子自身が招いた結果です」
「……割り切っているんだな、学校の役目はここまでと」
シェイダールが難しい声音で唸ると、教師はふっと苦笑した。
「はい。そうしませんと、学校や教師というのは、すぐに生徒を支配し管理したがりますから。先にご覧になった二校のように」
ああ、とシェイダールは納得した。以前の視察の時にも、ここは空気が穏やかだな、と感じたものだ。ひとつ所に子供らが集められ、教育されているのに、窮屈さを感じなかった。
とはいえ、世間の評価は同じではない。リッダーシュが敢えて試すように言った。
「笞はやり過ぎにしても、子供に言うことを聞かせることは必要だろう。親が子を、教師が生徒を、王が民を、しっかりと支配してこそ平和と安定が保たれる。違うだろうか」
「もちろん、最低限の決まり事を守らせる必要はあります。授業中に遊ばない、他人の道具を盗まない、というようなね。そのぐらいは当校でも言い聞かせ、従わせますとも。ですがそれ以上はやりません。……親も教師も、万能の神ではないのだから間違いを犯します。不敬ながら、偉大なる王にあらせられても、恐らくは。間違いを間違いだと言うこともできず従うだけの者ばかりになっては、平和も安定も保たれません」
静かながらも力強い信念を感じさせる口調だった。シェイダールは笑いを含んだ声で挑発する。
「王に盾突くのも良しとするわけか」
さすがに教師は即答しかね、ぐっ、と詰まった。親や教師に反抗することは是認しても、王となれば話が違う。下手をすれば首を刎ねられるのだから。
愉快げな面持ちで返答を待つ二人に、教師は渋い顔になって応じた。
「えー……その、当校の生徒が王宮に入って直にお仕えするほど出世するなどあり得ませんから、実際には王に盾突くことは不可能でしょうが。ですがまぁ、心構えとしては、そうですね。親であれ王であれ、何も考えずただ従うだけではいけない。生徒たちには、そのように生きて欲しいと考えております」
「なるほど、よくわかった。良い学校だな。問題があるとすれば、俺の子がその期待に応えられる資質や意欲を持ち合わせているかどうか、だが」
シェイダールは言葉尻で苦笑いする。教師のほうも、どうやら厄介な試問を切り抜けられたと察し、笑顔になった。
「そこは親御さんの力量が問われるところでしょう。さて……実際の授業をご覧いただきたいところですが、今日はそろそろ終わる頃合いです。もう少し早い時間にお越し下されば、見学していただけますので」
「ああ。またの機会に寄らせてもらう。邪魔をしたな、ありがとう」
シェイダールは礼を言って握手を交わすと、教師の部屋を後にした。
そろそろ終わる頃合い、と言われた通り、学校の外に出ると、ちょうど帰宅する生徒たちの流れに遭遇した。友達同士で固まって、何やらしゃべったりふざけたりしている小さな集団がいくつか。家で用事が待っているのか、急ぎ足で去って行く者もいる。
生徒にも話を聞いてみようか、とシェイダールは辺りを見渡したところで、一人の少年に目を留めた。
「あっちにも門があるのか?」
建物の正面でたむろしている集団を避けてか、裏手へ回っていくのだ。シェイダールはリッダーシュを手招きし、そちらへ急いだ。
「何が気になる? 表の集団に当たったほうが、一度に大勢から話を聞けるだろうに」
「何と言うわけでもないんだがな。強いて言うなら、楽しそうな表の連中より、一人だけ別行動をとる奴のほうが、問題点を聞き出せそうだろう」
答えてからシェイダールは、ちらりと辛辣な笑みを浮かべてつぶやいた。
「俺自身が爪弾き者だったからな」
村の人々の迷信深さや祭司の専横、弱者に対する迫害――それらが凝り集まった存在だったのだ。楽しくやっている人間に話を聞いても、見えてこないものはある。
だがどうやら、考えすぎだったようだ。建物の角を回って裏に出ると、シェイダールは「なんだ」と気抜けした声を漏らした。
少年は、敷地を囲む低い塀を乗り越えているところだった。単にこちらが近道だから、ということらしい。それでも一応後を追い、塀の向こうを覗く。
人通りの少ない、薄暗くて狭い裏道だ。少年がぶらぶらと気楽な足取りで歩いており、ちょうど行く手の角から男が現れて――
「まずい! リッダーシュ!」
声をかけた時にはもう、リッダーシュが塀に手をかけている。シェイダールも迷わず跳び越えた。
「おい待て!」
シェイダールが大声で怒鳴る。少年の腕を掴んで連れ去ろうとしていた男が、ぎょっとなった。悪態をつき、そのまま少年を抱え上げて逃げようとする。シェイダールはさっと手を伸ばし、
「《茨よ》」
足を取れ、と詠いかけて飲み込んだ。術を使えば、また身分がばれてしまう。男との間合いと少年の抵抗、リッダーシュの動きを素早く計算し、彼は足に力を込めて走った。
すぐ追いつかれると見て、男が少年を地面に落とし、拳を構えて向き直る。
(術を使わなくても、このぐらい……!)
日々、政務の合間に鍛錬は欠かしていない。繰り出された拳を難なくかわし、左肘で牽制しながら相手の脇腹に右拳を叩き込む。男はよろけてたたらを踏んだが、倒れずに持ち堪え、反撃の体勢になった。少年が隙を見て、もがきながら逃げようとする。リッダーシュが助けて男から引き離した。
男はそれを一瞥して怒りの唸りを上げたが、分が悪いと見て身を翻す。シェイダールが気を緩めた一瞬の隙に、男はくるりと向き直るや拳を振りかぶった。
「危ない!」
リッダーシュが主君を庇おうとしたが、シェイダールの反応のほうが早かった。まるで演舞のごとく大きく跳んで、拳の勢いで前のめりになった男の肩を軽々と越え、背後に着地するなり見事な回し蹴りをくらわしたのだ。
膝を崩された男はまともに倒れたが、驚いたことにまだ元気だった。うずくまりもせず、ドタバタと無様ながらも起き上がって、今度こそ振り返らずに逃走する。
シェイダールはその場に留まったまま、周囲の気配を窺った。男が仲間を連れて戻ってくるのを警戒したのだ。しばし待って安全を確認すると、ふう、と息をついてリッダーシュと少年のほうへ歩み寄る。
「怪我は――」
ないか、と問いかけるより早く、少年が目を見開いたまま口をぱくぱくさせ、うわずった声を漏らした。
「シェイダール様!?」
「…………」
すっとぼけようとしたものの、まともに名を呼ばれてはそれも難しい。シェイダールは眉を寄せ、自身にかけた術がまだ音色を保っていることを確かめて、首を傾げた。
「なんでばれた?」
呻いた彼に、少年はあたふたと姿勢を正して頭を下げる。
「あ、あの、だって、今のは……奉納舞と同じで。あれ、すごく格好良かったから……!」
しどろもどろの説明だったが、シェイダールは理解して天を仰いだ。
最近おこなった祭儀での奉納舞で、ちょうど同じような振り付けの部分があったのだ。大きく跳んで一回転、足で勢いよく空を切る動き。架空の敵を相手にした勇ましい舞。まだ身体が覚えていたからこそ、咄嗟に反応できたわけだが。
「そうか……服装よりも動きで認識されてしまったわけか……まさかの落とし穴だな」
ああ、とシェイダールは眉間を押さえる。リッダーシュが失笑をこぼした。
「お見事でございました、我が君」
「おまえも。よく助けてくれた」
少年の安全を確保したことを褒め、主君を守るのに出遅れたことは不問に付す。それからシェイダールは辺りを見回し、少年に向き直った。
「家に帰るのに近道しようとしたんだな? だが今後は遠回りでも表から、人通りの多い道を使え。こっちを通りたければ友達の二、三人でも一緒の時にしろよ」
淡々と諭され、少年は「はい、はい」と頷いたものの、どうやらあまり内容は頭に入っていない様子である。目は憧れにきらきら輝いているし、頬は望外の喜びで上気している。聞いてないな、とシェイダールは苦笑いしたいのを堪え、真顔で続けた。
「それと、今日、俺に出くわしたことは他言無用だ。誰にも言うんじゃないぞ」
王がお忍びで街に出てくる、という噂が広まれば、今後ますます正体をごまかしにくくなってしまう。ヤドゥカに「それ見たことか」という顔をされるのも癪だ。
シェイダールは強い口調で「分かったな?」と念を押してから、少年を表通りまで送ってやった。
少年が何度も振り返りつつ雑踏の中へ消えると、シェイダールは思わず深いため息をついた。横でリッダーシュが面白そうな笑みを浮かべる。
「近日中に、偉大なる大王様の武勇伝がひとつ増えそうだな」
「勘弁してくれ。俺は窮地に都合良く現れる天の助けじゃないぞ。そんなことより……学校の周辺もしっかり見回れるように、警備兵を増やさないと」
シェイダールは唸って、こめかみを揉んだ。仕事の話になり、リッダーシュも表情を改めてうなずく。
「そうだな。特に無償の学校となれば貧しい家の子らが集う。人攫いの狩り場にされかねない」
子供の拐かしは、都会ではありふれた犯罪だ。身代金を取るようなものではなく、単純に子供そのものが目当てである。奴隷として売るか、こき使って死ぬまで働かせるのだ。親は捜すだろうが、大勢の人間がひしめく広い都では、そう簡単に見付けられない。貧しい家庭の子であればなおさらだ。金持ちのように人手を雇って捜させることもできないし、自分たちで捜しまわる暇も余力もない。
「そうだ。しかも今後は女の生徒も増えるだろうから、余計に危ない」
現状、学校に通っているのは男児ばかりだ。女児に学問は必要ない、というのが一般的であるし、それでも学ばせたい親は自宅で教師をつける。だがシェイダールが様々な仕事に女性を積極的に登用している影響で、そうした認識も変わりつつある。家庭教師をつけるのは金がかかるが、無償の学校ならば女児でも通わせて良いと思う親はいるだろう。
「集団で登下校させるにしても、付き添いは必要だろうし……まったく、教育ってのは意外と金がかかるな」
やれやれ、とシェイダールは首を振った。学校にぽんと金を出しさえすれば、それで万事解決とはいかないのだ。
リッダーシュが懸念のまなざしを向けてきたので、シェイダールは笑って応える。
「心配するな、こういうところに出す金は惜しまないさ。貴族や使節相手に、やれ恩賜だ賂だと馬鹿高い品物をやりとりすることに比べたら、ずっと楽しい」
嬉しそうな主君を見て、リッダーシュも微笑んだ。
「それは重畳。しかし……いかに楽しい目的がおありでも、今後お忍びはお控えくださいますように、我が君」
やんわりと手綱を引かれ、シェイダールは渋い顔になる。
「なんだ、ケチくさいこと言うなよ」
「締めるところは締めるのが賢明というものだろう。さあ、また誰かに見破られる前に王宮へ引き上げよう」
リッダーシュは笑っていなし、軽い皮肉で帰りを促す。シェイダールは不満そうに口を曲げたが、露見したのは事実なので言い返すこともできず、ため息をついて歩き出した。
「まったく……なんだかんだで毎回うまくいかないな。一度ぐらい完璧に騙しおおせたいもんだ」
「我が君」
「わかった、わかってる。しばらく大人しくしてるさ」
「どのように身をやつされようと、偉大なる我が君のご威光はとても隠しきれるものではございませぬゆえ、おのずと人の知るところとなりましょう」
「仰々しい言い回しはよせ。要するに俺の芝居が下手なうえに迂闊だって言うんだろう」
白々しいぞ、とシェイダールが睨むと、リッダーシュはとぼけて瞬きし、それから小さく笑った。
「おぬしはあまり嘘が上手ではない、確かに。なればこそ、おぬしの言葉にはいつも実があり、力がある。だから私はおぬしを信ずるのだ。あまり自らを偽ることはしてくれるな」
軽口の応酬のつもりだったのに、飾らぬ言葉を真っ直ぐに打ち込まれたシェイダールは、往来でよろけそうになった。もうすっかり慣れたはずの黄金の声が、こんな時には致命的にまばゆい。
「勘弁しろ……」
弱々しく呻いて顔を覆った大王様の隣で、その親友はただ、にこにこしているのだった。
2026.7.12




