休養の価値
大王様小咄です。インフルエンザが大流行しているので。
料理人アンシェはこのところ不調である。
といっても創意の枯渇だとかではない。そちらは何の問題も無い。好奇心旺盛な王のおかげで、あれこれ新奇な食材(土地管理長官が乾燥チュガをわけてくれたぞ!)、新しい調理法(この道具で卵を泡立ててみたらどうだ?)、供した品の改変(次は鶏肉で作ってみてくれ。迷迭香を使って)等々、飽きる暇もない毎日だ。
つまり不調というのは、身体的健康のほうである。
鼻はぐずぐず、目はショボショボ、一度咳き込むとしばらくおさまらない。そんなざまなので、大王様に供する料理に唾など飛ばしてはならじと、顔に布を巻いて調理しているのだが、それでのぼせるのか頭がぼんやりしてしまう。
はじめは軽く考えていた。大事な仕事を休むわけにはいかない、この程度は気合いを入れてきりきり働いていればすぐ治る、と。
「料理長ぉ、本当に具合悪そうですよ。ここはやっときますから、少し休んだらどうですか」
助手が生意気な口出しをしてきたのを、アンシェは疎ましげに手を振って退けた。
「ほかはともかく、大王様のお食事だけは、他人に任せられん。あの方は本当に少しの味の違いもよくおわかりになるんだからな」
そこまでしゃべってむせてしまい、しゃがんでゲホゲホ咳き込んだ。助手はやれやれという顔で天を見やっただけで、背中をさすろうとか気遣いの言葉をかけるとかはしない。すればこの偏屈な料理長には逆効果でしかなく、感謝どころか八つ当たりされるのは学習済みだからだ。かわりに彼は呆れ声で言った。
「違いがわかるからって、料理長の作ったもの以外は召し上がらないわけじゃないでしょ」
アンシェはどうにか呼吸を整え、威厳を取り繕って立ち直った。再び調理台に向かい、食後の飲み物作りにとりかかる。
「そりゃあな。いつもと味が違うからって、なんだこれは、こんなものが食えるか作り直せ、だとか皿を投げつけたりなさらないのが……」
かつて受けた仕打ちを思い出して彼がしみじみ言いかけたところへ、外から荒々しい足音が近付いてきて、
「アンシェ! なんだこれは!!」
噂の主が怒号と共に現れた。いつもは好奇心丸出しでわくわくとやって来る大王様が、まさに皿を投げつけかねない剣幕で乗り込んできたので、厨房の面々は揃って縮み上がる。当のアンシェも怯み当惑して、返事もできず立ち尽くすばかり。
シェイダールはつかつかとアンシェに歩み寄り、その傍らの調理台に持ってきた料理の器を置いた。険しい目でまともに睨みつけられたアンシェは、一歩二歩下がってうなだれる。
「……なるほどな。そのざまじゃ無理もない」
シェイダールが苦々しく唸ったので、アンシェはどういう意味かと恐る恐る顔を上げる。シェイダールは不機嫌な顔のまま、戸口を振り返って近侍の青年を視線で差した。
「いつものあいつは大抵のものに動じないんだ。それが毒じゃない限り、変わった風味だとか、少し刺激が強いとか言い添えるだけで通してくれる。それが今日のこれは、今まで俺が見たことのない複雑な顔をして『これはやめておいたほうが……いや、恐らく毒ではない、というか毒を盛るならこんな味にする筈がない』とかややこしい事を言うから、いったい何なんだと食ってみたら」
いや食うな、と言いたげにリッダーシュが眉間を押さえ、厨房の面々も変な顔になる。シェイダールは構わず続けた。
「一見したところは普通だが、味はめちゃくちゃだ。おまえ今、舌も鼻も利かなくなってるだろう。しかも明らかに熱がある顔じゃないか。ぼやっとして材料を取り違えても気付かなかったな?」
「まさか、そんなはずは」
舌と鼻は確かにいつもより鈍くなっているが、さすがに違う材料を入れたりはしない、とアンシェは焦って器を見た。いくらなんでもそんな失敗はしないはずだ、いつもより慎重に、調子が悪いぶんしっかり気を張って作業していたのだから……
だが指摘は正しかった。入れたつもりの玉葱が入っておらず、入れた覚えのない生姜の塊が入っている。
愕然と立ち尽くすアンシェに、シェイダールはいくぶん口調を和らげ、しかし厳しく言った。
「一日も休みたくないほどこの仕事にやり甲斐を感じているのなら喜ばしいが、具合が悪い時はさっさと休め、馬鹿。早めに休養すれば一日寝るだけで治ったろうに、そこまで悪くなるまで無理してどうする。今回はこの程度の失敗で済んだから良かったものの、大火傷したり指を切り落としでもしたら取り返しがつかんだろうが」
「は……まことに、申し開きのしようも」
「ああもう、いいからすぐ部屋に帰れ! まったく……後で医者をやるから、おとなしく寝てろ。いいか、厨房が気になるからって出てくるなよ。最後の飲み物だけでも、とか粘るのも無しだ。たまには他のやつにも腕を磨く機会を与えてやれ。わかったな!」
駄目押しに強く念押しして、ほら行け、と促す。いつもは強気な料理長がしょんぼり肩を落として去るのを見届けると、シェイダールはくるりと厨房に向き直って、助手に目をとめた。料理長がやり込められるのをにやつきながら見物していた助手は、慌てて表情を取り繕う。だが無駄だった。シェイダールがにやりとして命じる。
「さて、そこの楽しそうなおまえ。駄目になったこの一皿のかわりに、あり合わせで何か作って食わせてくれ。なに、急ごしらえだ、出来がどうでも文句は言わないから安心しろ」
「ヒョェッ!?」
不意打ちを受けて堪えきれず、助手が奇声を上げる。シェイダールは軽く笑い、親友と一緒にその場を後にした。
私宮殿に戻る道すがら、リッダーシュが苦笑しながら「おぬしも随分と言うものだな」などと感想をくれた。どういう意味か、とシェイダールが眉を上げると、親友は大袈裟につくづくと感じ入った風情を装っていわく。
「他人のことならばさっさと休めだの、他の者にも機会を与えよだのと言うのに、おぬし自身ときたら」
「俺はいいんだ! どこも具合悪くないし、疲れてもいない!」
察して小言を遮ったシェイダールだったが、一呼吸置いて反省の面持ちになり、決まり悪げにつぶやく。
「まぁ……確かに、俺が何もかもやっていて、休んだら全部止まってしまう、なんてのはいかにもまずい。それは分かってる」
「ならば良い。リヒト殿はじめ長官の諸卿は優秀だ、王が数日休みをとってもすぐに困りはしないさ」
リッダーシュは暖かい笑みで答え、ふと思いついたように言い添えた。
「今度シャニカ様と一緒に、乗馬の練習がてら近場を散策などしてみてはどうだ?」
「ああ、それはいい……、」
愛娘を思って目元を緩め、うんうんと同意しかけてはたと気付く。多忙な大王様は横を歩く親友に胡乱な視線をくれ、低い声で質した。
「おまえ、シャニカに頼まれたな?」
返事はない。さて何のことやら、とばかり森緑の目を明後日にそらしてとぼけたリッダーシュは、しかし、じきに堪えきれず笑み崩れた。
「前々から、機会があればとご所望でな。姫君のおねだりに勝てる者がいないのは、おぬしもよく承知だろう」
「……ああ、まあな、そうだとも」
シェイダールは苦い顔で唸った。直接おねだりしてくれたら否やのあろうはずもないのに、だからこそ、近侍を介してちょうど都合の良い時を見計らってくれるよう頼んだのだろう。そんな配慮のできる娘の賢さを思うと、頼もしさと寂しさが半々である。あと嫉妬も少々。お父様はこっちだぞ、と言いたい。
しばらくシェイダールは面白くない気分で歩いていたが、ややあって気を取り直した。
「貴重な休みをシャニカと過ごせるのなら、その価値は幾層倍ってものだ。よし、手配は頼んだぞ」
「御意、我が君」
にっこり笑って応じた親友も、もちろん共に休日を過ごすのだ。ならば間違いなく最高の時間になるだろう。シェイダールはひとつうなずいて気合いを入れた。
「そうと決まれば、早いとこ片付けるべき案件は片付けないとな!」
「またそういう……いや、うん、そうだな。私も微力を尽くそう」
いつものように肩を並べて、主従はあれこれ予定を話し合いながら歩いて行く。その足取りはいつもより軽やかで、楽しげに見えた。
2025.12.12
※迷迭香…ローズマリー。和名マンネンロウ。




