願い事
※遅れましたが七夕ネタです。王女と警士。
それは王女シェリアイーダがまだ比較的自由に、各地へ視察に行けた頃のこと。王国北部の小さな町を訪れた王女は、広場に面して建つ古びた神殿の前で足を止めた。
「あれは何かしら」
視線の先にあったのは、機織り道具に見えなくもない、木の枠組みだ。そこに何やら小さなひらひらした物がたくさん吊り下げられている。リゥディエンも不思議そうに、
「何でしょうね。本国のほうでは見ない風習です」
と首を傾げた。ワシュアールもずいぶん領土が広くなって、都に近い中心部とは異なる文化習俗の土地も王国に組み込まれた。この町は北の山岳地帯に近いため、気候からして大きく異なっている。豊かな湧水に恵まれ古くから農業も盛んで、ワシュアール王国の一部とはいえ異国の趣があった。
興味津々で近付いたシェリアイーダは、ああ、と納得の声を漏らす。織機を思わせる木枠には紐が張り渡され、そこに願い事を記した木の葉が結びつけられていたのだ。そばに小さな卓があって、まだ何も書かれていない木の葉と、紐に結ぶための短い糸、それに細い棒が数本置かれていた。
「何かの神事なのね。神様に願い事を託すのはどこでも同じみたい」
微笑みながら、手近な一枚にそっと触れる。表面に傷をつけると、跡がくっきり黒くなる種類の木の葉だ。棒で願い事を書き、端に穴をあけて糸で結びつけるのだろう。
「字がじょうずになりますように……家内安全……ふふ、『恋人が欲しい!』ですって」
「こちらにも、良い結婚相手が見付かるように、というのがありますよ。笛が上達するように、だとか」
「芸事や勉学、あとは恋愛の願い事が多いみたいね。そういう謂れがあるのかしら」
二人であれこれ見ていると、おほん、と誰かが咳払いした。振り返ると、いつの間にか祭司が近くに立っている。
「あまり他人の願い事を読まないように」
しかつめらしく注意され、ごめんなさい、とシェリアイーダは恐縮する。彼女が素直に謝罪したので、祭司はそれ以上きつくは言わなかった。
「よそから来られた方ですね。珍しいですか」
「はい、初めて見ます。これはどういう習わしなんですか?」
質問を受けたとたん、祭司は嬉しそうになって、縁起由緒を語りだした。
「ずっと昔、町の守護神に仕えた織女と、山の神に仕えた精霊にちなんだ神事です。娘はとても機織りが上手でした。精霊のほうは山羊や牛の世話をしていました。それがあるとき偶然に出会って恋に落ち、二人とも自分のつとめをすっぽかしてしまったので、双方の神が怒って二人を引き離し、会うのを禁じたのです。ただ、あんまり哀れな様子なので、年に一度だけ、精霊が川を下って町を訪うのを許された。それがちょうど湧水の増えるこの時期、というわけでしてね。二人の逢瀬にあやかって願い事をするんですよ。あなた方も、よければどうぞ」
「ありがとうございます。願い事の書かれた葉は、最後はどうするのですか?」
「川に流します。織女と精霊が願いを拾い集めて、それぞれの神に届けてくれるように」
祭司はにっこりして言い、山と神殿に向かって手を合わせる。シェリアイーダも同じく拝礼してから、つい正直な感想を述べた。
「年に一度の貴重な逢瀬なのに、他人の願い事を託されるなんて、織女も精霊も気の毒ですね」
「ええまぁ、同情しなくもないですね」祭司も苦笑する。「でも、自分たちが逢えるのは神々に許されたからだ、ということを忘れてつとめをないがしろにするのでは、何も反省してないわけですから。神々の温情に感謝し、自分たち二人だけでなく他の人々の願いをも聞き届けてくれるように頼むのが、織女と精霊の仕事ということでしょう」
「なるほど……あ、でも織女は人間だったのでしょう? もちろん、言い伝えだというのは承知していますけど。精霊と違って、織女は亡くなってしまうわけで」
シェリアイーダの素朴な疑問に対して祭司は、面倒くさい突っ込みを入れる観光客だな、と言わんばかりの顔をしたが、我慢強く礼儀を保って答えてくれた。
「織女の魂は今も、この神殿で守護神のもとにありますよ。失礼、それでは」
明らかに強引な切り上げ方だったが、シェリアイーダはおとなしく恐縮して礼を言った。
「いろいろお聞かせ下さって、ありがとうございました」
祭司がほっとした様子で立ち去った後、シェリアイーダはふと、隣のリゥディエンを見上げた。当然のように相手もこちらを見ていて、目と目が合う。幾度もの人生でそうしてきたように。シェリアイーダはそっとささやいた。
「……わたしたちみたいね。死んだ後でも、魂は巡り会う」
「幾度でも、時が続く限り必ず」
リゥディエンもささやきで答える。それ以上の言葉も、触れ合いも必要ない。穏やかな沈黙に互いの了解が伝わる。ゆっくりひとつ息を吸って、吐いて、絆を確かめて――
「だけど一年に一度ってあんまりよね!?」
『今』に戻ったシェリアイーダは唐突に憤慨した。その変わりようにリゥディエンは笑いそうになり、咳払いでごまかす。シェリアイーダは構わず、握り拳をつくって続けた。
「わたしだったら暴れるわ。せめて月に一度でしょう! それはもちろん、自然の現象に合わせた作り話だから、年に一度、水位が上がる時に、って季節行事になるのはわかっているけれど」
「そうですね」リゥディエンが笑いを含んだ声で同意した。「私も、あなたがそこにいるとわかっているのに年一度しか逢えないとなったら……山の神のもとから脱走して、あなたを連れてよその町に行くでしょう」
「やっぱりそうよね!? 本当、織女も精霊も、よくもおとなしく神々の横暴に従えるものだわ。……仕事をさぼったことが、自分でもよほど恥ずかしく思えたのかしら」
「さて、どうでしょうか。彼らも、引き離されてみれば熱が冷めて、相手のことよりも自分が仕える神を大事に思う気持ちを思い出したのかもしれませんよ。そんな彼らに託すのはいささか心許なくはありますが、せっかくですからあなたも願い事を書かれてはいかがですか」
どうぞ、とリゥディエンは木の葉と棒を取って差し出す。シェリアイーダはそれを――その物ではなく、差し出している者を見つめて、ゆっくり首を振った。
「いいわ。一番の願い事は、もう叶っているから」
――独りにしないで。置いていかないで。
「一年に一度なんて制限もなく、ずっと一緒にいられるのだもの。せめてわたしは、二人の逢瀬を邪魔しないでいてあげましょう」
「御意」
リゥディエンは恭しく一礼し、木の葉を置き場に戻す。
そうして二人は、王女と警士の距離よりも少しだけ近くに寄り添って、願い事の集うところを後にした。
2025.8.10