序章
月が雲に隠れて僅かな光が消えたのと同時にひどい轟音が耳から入って脳を揺すったかと思うと、脇腹に激しい痛みが走った。焼けるような痛みが迸り、そこに手をやると赤い液体がべったりと張り付いている。
大きく舌打ちを鳴らして抉られた脇腹を抱えながら走る。まだ鈍く光る大筒がこちらを狙っているが今は逃げるしかない。
しかし無常にも再び大筒は火を噴いた。放たれた弾丸は少年の足元の地面を抉り、それを見てぞっとする。内臓が飛び出ようが腕が引きちぎられようが構いはしないが、足を失えば逃げられなくなる。
「お兄ちゃん!」
鳴り響く轟音の中、少年にはソプラノの声が確かに聞こえた。一瞥すると遠くで必死な形相で叫ぶ色素の薄い茶髪を乱した少女の姿。自分と違い少女は擦り傷程度だ。そのことに胸を撫で下ろすと、すかさず少女とは逆の方向に逃げる。少女は狙われている様子はない。なら自分の取る行動はひとつしかなかった。
少女の戸惑う声がだんだん聞こえなくなっていく。これで良い。兄として妹を守ることは何十年経っても変わらないのだから。
追っては完全にこちらに向けられた。爆音を掻い潜りながら少年は走る。途中で弾丸が頭や腕を掠めるが止まらなかった。血があたりに大量に飛び散る。頭から流れる液体が片目に入って視界が遮られてしまうことだけが嫌だった。
「化け物」と後方から罵られる声がした。そんなことはわかってる。だからこそ今攻撃されているのだ。
もう少しで大きなダムがある。そこに飛び込めば暗闇に乗じて逃げることができるはず。それまでひたすらに足を動かすしかなかった。
大筒からの爆音とは違う轟音が微かに耳に入って来たとき、少年は僅かに顔を緩めた。上から勢いよく落ちていく水の音。
もうすぐ。もうすぐだった。
瞬間、左肩に激痛。その反動に押されてダムに突き落とされた。
落ちながら左腕を見ると数本の腱でどうにか繋がっている状態だった。小さな肉片が先に暗い水の中に落ちていく。
「……くそったれ」
それは打った相手と自分に。そして今頃腹を抱えて笑い転げているであろう奴に。少しでも信用した自分が馬鹿だった。
少年は水しぶきをあげて川に吸い込まれた。
ここまで読んでくださってありがとうございました。続きにも目を通して頂けたら幸いです。