精魔大樹林⑰ ニア奪還作戦⑥の場合 グレン・フォン・ティルタ・リュニュウス
緊迫する室内にバサリと羽音を鳴らし、一羽の黒鳥が降り立つ。それは、当然のようにユースリア・ベルゼビュートの側へ歩み寄り、黒い球体へ変化すると人の形を取った。
ユースリア・ベルゼビュートへ傅く男の姿に、この男がユースリア・ベルゼビュートの腹心ボルフ=ホルフェスなのだろう。
ホルフェスは細身の身体に黒いローブを纏い、フードを目深に被った男だった。私の位置からホルフェスの表情を見ることは出来ないが、得も言われぬ力を感じる。
「お待たせしました。ユースリア様」
「ホルフェス!!」
傅き敬うホルフェスにユースリア・ベルゼビュートがパッと表情を和ませる。それも束の間で、すぐに私たちへと視線を向けたユースリア・ベルゼビュートは、魔女リリアを指さし「ホルフェス、大変なんだ。あいつらが、僕の大切な水晶を奪った」と事の経緯を話し始める。
感情の読めない平坦な声で「……水晶をですか?」と言葉を返したホルフェスが、初めてこちらへ顔を向けた。
「そうなんだ。急いで、取り返さないと――」
「ところで、どうしてこのようなところに、魔女がいるのですか?」
緊張を孕んだ空気を纏いうホルフェスは、魔女リリアの方へ顔を向けたままユースリア・ベルゼビュートの言葉を遮り、問うた。
問われたユースリア・ベルゼビュートの方は、それまでの怒気を忘れたかの様にキョトンとした様子で「え? ……魔女……?」と首を傾げている。
「えぇ、あちらの女性は魔女で間違いありません。しかも、私の良く知るお方のようだ。まだ生きていたとは意外です」
「ふんっ、また相まみえようとはのう。おぬしがこちらに居るとは驚きじゃ。十二位殿」
「まったく、常識を知らぬ魔女だ。私は、十二位と階位で呼ばれるのはあまり好まないのですよ」
「一度は送り返したはずじゃ。何故お前が、こちらにいる!」
「そんなもの呼ばれたからに決まっているでしょう?」
「……こやつが呼んだのか?」
「えぇ、きちんと契約を交わした間柄ですとも」
お互いに知っているらしい二人の会話を私もユースリア・ベルゼビュートも口を挟むことなく黙って見守った。
薄っすらと汗を滲ませる魔女リリアに対し、ホルフェスは不遜な態度で淡々と会話している。会話と言うよりは、互いに牽制し合うかのような状態だ。
階位? こちら? 契約? 何なんだ? この二人は一体何の話をしているんだ? と、頭に浮かぶ疑問には、どちらも答えてくれそうにない。
それよりも――と、疑問を消し、頭を切り替える。
ホルフェスと魔女リリアの魔力が大きくなっている。それはどうみえも戦闘が始まりそうな空気だ。
牽制し合う二人が、話し合いで解決できるわけがない。いずれこの場は、戦いが始まる。そうなった時、私たちは魔女リリアに加勢するつもりではあるが、ユースリア・ベルゼビュートの魔力圧ですら防げなかった私たちがこの場に残る事が正しいとは言えない。
魔女リリアの表情を見る限り、こちらが圧倒的に劣勢なのだろう。ホルフェスは、彼女が全力を出さねば勝てないほどに強い。……奴は、一体何者なのだ?
戦力外の私たちがここに居る限り邪魔になるだろうと考えたところで、魔女リリアがホルフェスから視線を逸らさぬまま、厳しい表情で私の元へ移動する。
彼女はさっと何かを私の手に握らせ、耳打ちするように小声で「全員を連れて、ここを離れるのじゃ。地下からでたら、これを解放せよ。唱えるべき言葉は『ラィリーズ・リベロ』じゃ」と告げた。
何故、そのようなことを知っているのか問いたいが、それができる状況ではない。仕方なく口を噤み彼女に頷き返す。そして、成り行きを見守っていたエリオットと騎士たちに指文字で「急ぎ、この場を退避する」と伝えた。
私の指示に、騎士たちとエリオットが二人の視界から外れ、動き出す。
牢の中には、護送中に攫われたと報告があったパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラや侍女がいた。
「ユースリア様、どうぞこちらへ」
「ホ、ルフェス」
まるで家臣のように恭しくユースリア・ベルゼビュートを己の背後に移動させたホルフェスが、ニヤリと口元を緩ませる。
「さて、おしゃべりは終わりにしましょうか……今度は、前回の様に無様に負けたりはいたしませんよ」
「戯言を……今回もきっちりと、お前を殺してくれるわ!」
と、言う言葉と共に距離を取ったホルフェスと魔女リリアは、その身に膨大な魔力を取り込んだ。
先手を打ったのは、魔女リリアで浮き上がった彼女の左右に渦巻く風を纏った七つの槍が出現した。ものの数秒で放たれた風の槍を、ホルフェスは真正面から受けた。着弾と共に暴風が巻き起こる。
囚われた者たちを連れた騎士たちが移動するのも困難な状態だ。それでもなんとか移動を終えたバーリスたちが部屋を出ていく。
「グレン様、移動いたしましょう」
「……あぁ、だが」
「我らがここにいては、魔女リリアも戦いにくいでしょう!」
二人の戦いの行方が気になる私は、一瞬だけ躊躇する。そんな私をエリオットが諫める。後ろ髪を引かれる思いだけを残し、共に部屋を後にした――。