精魔大樹林⑯ ニア奪還作戦⑤の場合 グレン/リリア
部屋に入るなり私の前に一人の男が、騎士に拘束された状態で連れられてきた。
面長で、色濃い隈をつけた緑の瞳を持つ男は、見るからに豪華絢爛と言った白いローブを纏っている。
これがユースリア・ベルゼビュートか……と、あっけないほど簡単に捕まった男の姿に私は酷く落胆した。
「ニアはどこだ?」
「……ふふふっ、彼女はここには居ない」
あからさまな嘲笑を浮かべ余裕綽々と言った様子で告げるユースリア・ベルゼビュートの言い分に、この男を問いただしても無駄だと悟った私はバーリスへ捜索するよう伝える。
即座に頷いたバーリスの指示で、共に来た騎士たちが室内だけではなく建物内をへと散って行く。
ひとりの騎士が、奥の牢へと向かう。居る可能性が高い場所だが――遠目で見る限りニアの髪色をした者がいない。
どこへやったのだ! と焦りが募る中、魔女リリアがゆっくりとした動きでユースリア・ベルゼビュートへ近づいた。
「確かに部屋に探し人はおらぬようじゃな……だが、そなたの胸元から我は、人の魔力を感じるのじゃが?」
これまでにないほど厳しい眼をした魔女リリアが、ユースリア・ベルゼビュートに問う。
それまで飄々としていた男が、明らかに動揺している。
「……な、何を言って――」
しらを切り通そうとするユースリア・ベルゼビュートの言葉を遮るように、魔女リリアがローブを捲り胸元を漁った。
ゴソゴソと蠢いていた手が何かを掴み、ユースリア・ベルゼビュートから離れる。勢いよく引き抜かれた手元には、ここへ乗り込む前に見た拳サイズの水晶が握られていた。
「か、返せ! それは僕のものだ。お前らなんかが、それに触るな!!」
勢いよく怒鳴りつけたユースリア・ベルゼビュートは、騎士の拘束を物ともせず暴れる。暴れるユースリア・ベルゼビュートを押さえつけようと二人の騎士が、その体を掴もうとする。が、その手が触れるかどうかの所で、ユースリア・ベルゼビュートから大きな魔力が放出された。
風魔法だと思われるそれは、自分の周囲にいる人間全てをはじき飛ばした。
「はぁ、はぁ、それを返せ。……僕のものだ」
息荒く立ち上がったユースリア・ベルゼビュートは、両手を縛る縄を魔法で切るとゆっくりとした動きで佇む魔女リリアへと歩み寄る。伸ばされた腕が、魔女リリアへ伸ばされた。
――バチッ! 稲妻のような青白い何かが、魔女リリアに触れようとしていたユースリア・ベルゼビュートの指を弾き飛ばす。
「……っ!」
指先を庇うように握ったユースリア・ベルゼビュートの顔が、痛みに歪む。それでも手を伸ばそうとする彼に、魔女リリアの平坦な声がかけられた。
「無駄じゃ。そなたは我に触れられはせぬよ」
ギリっと奥歯を噛む音が響き、口から血が流れ、ユースリア・ベルゼビュートの魔力が大きく膨れ上がる。
「かえせええええええええええええええええ」と、雄たけびを上げ、彼の魔力が部屋中に解放された。
「グレン様!!」
暴力的な魔力の解放の余波をもろに受けた私は、余りの苦しさにその場に立っている事も出来ず、倒れ込む。ギリギリと聞いたことのない音で己の身が軋み、息が詰まる。押しつぶされるような圧迫感のせいで、指一本すら動かすことが出来ない。
ユースリア・ベルゼビュートから解放された魔力が徐々に体を蝕むように押し寄せては、身体が悲鳴をあげる。
「……無駄じゃと言うておろうが、バカ者が」
パチンと指を鳴らす音が鳴る。途端に、それまで襲ってきた痛みや圧迫感が消え失せた。
考えるよりも先に口から大きく吸い込んだ空気が、肺を通り、自分の全身に血が巡る。腕に力を入れてみるが、力が入らない。すぐに起き上がることは、出来なさそうだ。
情けない体勢ながら私は、身体をうつ伏せにしたまま数回の深呼吸を繰り返す。
何とか頭を動かせるようになり、エリオットやバーリスたちの無事を確認しようと左右へ顔を向ける。
エリオットは私の横で、庇うような体制で倒れていた。顔色は悪いが眼が合うと大丈夫だと言うように頷いた。バーリスもまた、少し離れてはいるものの無事なようだ。他の騎士たちも起き上がり、魔女リリアとユースリア・ベルゼビュートの会話に耳を傾けていた。
「かえせ、それをかえせ、かえせ、かえせ、かえせ、かえせ、かえせええええ」
気がくるってしまった彼は、返せと繰り返し再び魔力を解放する。だが、指を鳴らした魔女リリアによって防がれてしまう。
魔力を解放するだけでは魔女リリアに通用しないと悟ったらしいユースリア・ベルゼビュートは、炎の塊をいくつも生み出し投げつけ始めた。
怒りの余り狙が定まっていない炎の塊は、魔女リリアの横を通り抜けたり、彼女のはるか上を通過したりと一向に当たる気配がない。
「愚か者が……」と、つぶやいた魔女リリアは両手の拳を握りしめ哀し気にユースリア・ベルゼビュートを見つめていた。
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ユースリア・ベルゼビュートと言う男に我は、背筋に嫌なものを感じた。
(これほどに恐怖を煽る男の正体はなんじゃ? 男と言うのは女と違い、魔力をほぼ持たぬまま生まれてくるはずじゃ……それなのに、この男は何故ここまでの魔力を内包しておるのじゃ?)
見える性別と内包する魔力量に、我の思考が混乱をきたす。
少しだけ試してみよう、と男が大事そうに胸に隠し持つ水晶を取り出した。返せと訴える男が腕を伸ばす。予備の結界が、男の悪意を感じ取り伸ばした腕を弾いてしまう。
痛みに耐え、忌々し気に我を見つめる男の眼が気になった。
(この眼を知っている? いや、見た事があるだけか? いつ、どこで? 思い出せぬ……長い年月を生きたが故に、記憶が霞んでいるのじゃ)
どうあっても我が水晶を返さぬと理解した途端、狂ったように男は同じ言葉を繰り返し始めた。
そして、気持ちに比例するかのように膨大な魔力をその身に貯め、吐き出す。
(この程度の攻撃であれば、グレンの持つ魔剣レアニマシオンが防ぐはずじゃ。それよりも気になるのは男の魔力量の多さよ。あれほどまでに魔力をため込む男を我は知らぬぞ!)
当然のようにグレンを守るものと思っていた魔剣レアニマシオンは、グレンを守ることなく沈黙していた。何故? と問いたくなる我の足元で、グレンをはじめとした男たちが、魔圧に耐えきれず倒れ伏していく。
(このままでは死んでしまう。流石にあやつの子孫を殺させては我が、あやつらに恨まれてしまうのう)
苦しむグレンたちを尻目に頭の中で、男の魔圧量を計算し、打ち消すために必要な魔力を練り、魔法を組み立て指を鳴らした。
視界に映るグレンたちを見ながら、これで安心じゃとホッと息を吐き出す。
(しかし、この男の魔力はおかしい。世――女神が作ったこの世界の理が、早々変わる事はないはずじゃ。禁忌を侵し、輪廻を外れた者でもなければ、あり得ぬことじゃ)
未だに返せと怒鳴りつける男をオクルスクイスト――を使い視る。
必死に炎の塊を投げる男の身体が次第にぼやけ、前世で在ろう女――赤茶の髪に、真紅の瞳をしたソバカス顔の姿が被って視えた。
見覚えがあるはずじゃ、と納得しながら哀しみが心を覆う。
(この男の前世、いや、今世もか――数百年以上前に、死したはずの弟子ニーナスリアじゃったとはの。あれほど……魔女である我らが生きながらえようとしてはならぬと教えたはずじゃ! それなのに何故、禁忌を侵してまで己の天命を覆そうとするか――)
「――愚か者が……」
禁忌を侵した弟子に師匠として、最後の言葉を送った。