噂の事件、その⑮ 覆面騒動<中> グレン・フォン・ティルタ・リュニュウスの場合
不快な思いをさせてしまい申し訳ないと謝りながら、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは口角を上げ笑顔を作る。対する私の表情は、間違いなく無だろう。横で両の掌を白くなる程握りしめるニアは、俯きこちらを見ようともしない。
ニアの心の傷は、あの日熱を出した私のせいで付いたものだ。勿論、私自身のせいではないと本人も言ってくれたが……やはりまだ、癒えてはいないのだろう。
「アンスィーラ嬢。私はこの覆面の件で何度も確認を取った。今更、神殿の上層部が意見を変えた所でそれに従う事は出来ない」
ハッキリと意思を示す私に、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは申し訳ないと言う表情を作り上げ頭を垂れる。下げた頭の下でほくそ笑んでいるのだろうがな。
「陛下……どうか、どうか、お怒りをお納めくださいませ」
「私の神殿に対する信頼は損なわれた。今すぐ、サルジアット卿を呼ぶがいい」
「そ、それは……で、でしたら、わたくしがこれから上層部に掛け合います。サルジアット様を呼ぶまでもございません」
サルジアット卿の名を出した途端、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは僅かに肩を揺らした。その動揺を目ざとく見つけた私は、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラを追い詰めるべく、エリオット達の帰還をこの愚かな令嬢と会話し待つことにした。
「一介の令嬢であるそなたに、神殿上層部が耳を貸すとは思えぬが?」
「そこは、なんとしてももぎ取ります。ですので、ヴィフィルディーナ様の布に魔力などの異常が無いか確認させていただけないでしょうか? わたくしをどうか信じて下さいませんでしょうか?」
ニアの腰に回した手を放し、腕組みをする私へパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは、祈りを捧げるかのように両手を組み上目遣いで見上げて来る。
そんなパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラへ言葉を返そうとした私の横で、ニアがガバっと音が鳴りそうな勢いで顔を上げる。
「セシリア。わたくしの髪を解いて下さい」
「お、お嬢様?」
「早く!」
「畏まりました」
さきほどまでの気弱そうな彼女とは打って変わり、そこには幼い頃に見たあの意思の強いニアの姿があった。
セシリアによって解かれた髪は、曲線を描きふわりと背に流れされる。そして、ニアの美しく整えられた指先が、右の耳の下にある覆面の青く澄んだ色をした留め具を掴んだ。と、そこで突然ニアが俯く。
「あ、あの……陛下……そんなに、近くにいらっしゃると……う、動けません……」
ニアの声にハッとした私は、己の状況を見て驚いた。約五年ぶりとなる愛しいニアの素顔が見れると逸るあまり彼女の身体のすぐそばに身体を寄せていた。まるでダンスをする直前のような近さに自分自身を抑えられていなかったと羞恥心を覚え、慌てて彼女から距離を取った。
私に背を向けたニアは、留め具を解く。スルシュルと布がすれる音が鳴り、黒い覆面が彼女の手の中に納まった。
「コレデ、ヨロシイノデスヨネ?」
ハッキリと聞こえる声は、キャノティメラナ――銀に桃色の羽根を持つ美しい鳴き声の鳥のようだった。側面側にいる私からは、頬から首筋にかけ肌が、白くほんのりと朱に染まって見えている。
もっと見たい。目の前でニアを見たい! これが最後かもしれないのだ……忘れないよう記憶せねば!
私は無心で足を動かしニア嬢の前へ移動した。久方ぶりに見る彼女の素顔は……筆舌しがたいほど美しく荘厳で……考えていた全ての言葉が出てこなかった。
「えっと、あの……そんなに見ないで下さいませ……わた、わたくしの顔面が、醜いことは重々承知しておりますので……その、あまり見られると恥ずかしいのです」
そう言いながらニアは頬をリンゲール――リンゴのように染め、長い銀の睫毛で潤んだ金とも銀とも見える瞳を覆い隠す。言葉が紡がれる度、薄いバラ色をした形の良い唇が動く。
見るものすべてを引き付けるニアのその瞳に私を、もっと映しこんで欲しい。
「あぁ……ニア、私のニア……」
名を呼ばれ、恥じらいながらも上目遣いの視線を向ける。ニアの瞳に惚れ気たっぷりで彼女を見つめる私が映し出される。あぁ、なんと美しいのだ。あの頃より更に美しく、麗しい……。彼女の全てが、私の全てを虜にした瞬間だった。
「お嬢様。髪を結いなおしましょう。さぁ、こちらへ」
見惚れる私を置き去りにするセシリアは、ニアの肩に手を乗せ別室へと連れていっってしまった。そう言えばと思い出したようにパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに視線を向けた私は、心の底からほくそ笑んだ。
取り繕う事も忘れ、両目を開き口を半開きにした状態で固まるパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラの表情は、確実にニア嬢の素顔が醜いと思い込んでいたと言わんばかりだ。
そんなパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに「私のニアが、美しいのは当然だろう? なのに……そなたら神殿のせいで私以外に素顔を晒させてしまった」と真実と嘘を織り交ぜ言葉にする。
パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラが、言葉にならない言葉で口をパクパクと魚のように動かす。
と、その時、タイミングを計ったかのように扉をノックする音が鳴り「エリオットです」と名乗る声が上がった。入室許可を出すと開けられた扉からサルジアット卿を伴ったエリオットが姿を現し、二人揃って私へ一礼した。
「呼び出して済まないな。頭を上げてくれ」
「いえ、陛下のお呼びとあらばいついかなる時もはせ参じますとも……」
恭しく礼をして見せたサルジアット卿に、苦笑いを浮かべながらエリオットへ視線を走らせる。私の視線に気付きいたエリオットは一言も発することなく頷いた。
既にサルジアット卿への説明は済んでいるようだ。今のこの状況は彼女にとっては想定外の何物でもないはずだ。さぁ、ここから仕返しを始めるとしよう。
笑顔を浮かべパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラを見る。そんな私とは反目するようにパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは、サルジアット卿の登場にギュッと両手でローブを握りしめていた――。