噂の事件、その⑭ 覆面騒動<上> グレン・フォン・ティルタ・リュニュウスの場合
陛下の命令で、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラ伯爵家の動向を探っていた私の元へ、部下のユリウスが戻ってきた。このユリウスと言う部下は、元商家の三男で、アンスィーラ伯爵家に出入りしている商人と子供の頃からの顔見知りだった。
その伝を使い商人に協力してもらって、商人の甥を装い屋敷内を探って貰ったのだ。
「どうだ?」
「面白い事が分かりましたよ」
「ほう」
「では、報告させていただきます。書類関係は、こちらに――」
そうして私はユリウスの報告を聞き、陛下の元へ赴くのだった――。
********
神殿に来て二日目の朝、私はすんなりと目覚めた。薄いカーテンから見える窓の色からしてまだ日が昇る前なのだろう。
いつもならば私の乳母であるメリッサが起こしに来て、何度も声をかけ漸く起きると言った状態なのだが……ニア嬢が同じ建物に居ると言うだけで、こうして誰かに起こされることなく起きられた。やはり、ニア嬢は偉大だ。
珍しいことがあるものだ。そう私は自分の行動に驚いていた。そこへ軽く扉が叩かれエリオットが入ってくる。
ベッドに上体を起こし、入ってきたエリオットに自分から朝の挨拶をする。顔を上げたエリオットの両目が大きく見開かれ、そして……彼はピシっと固まった。
「…………」
「そんなに驚くことはないだろう?」
ベッドから立ち上がりつつ固まったエリオットに声をかける。が、彼は一向に動く気配が無い。眼前でなんどか手を振ってもみる……が、やはり反応はない。彼が持ってきたであろう手に握られたままのガウンを羽織り、寝室を出て洗面を済ませた。
「ふぅ~。……さて、どうしたものか?」
未だに私を追いかけてくる様子が無い。そんな彼の様子に悩みながら、再び寝室に戻る。
固まったままのエリオットの前に立ち「エリオット」と名を呼んで、両手を打ち合わせパンと高めの音を出す。
「うわぁ!」
手を打ち居合わせ音を出した途端、エリオットが大きな声で叫び、そのまま尻もちを搗く形で後ろに倒れこんだ。、
「……大丈夫か?」
「…………お、おはようございます。グレン様、えっ、と……お仕度手伝います」
「あぁ、頼む」
エリオットは両膝を立てたまま、何度も瞬きを繰り返す。視線を彷徨わせ私を見る。そこで問題ないか確認すれば、漸く状況を理解したのか立ち上がった。
昨日受けた説明によれば、日の出前にはニア嬢が起き出すはずだ。少しでも彼女との時間を共有したいと考えた。着替えを済ませエリオットと扉の警護をしていたデレクを伴いいそいそと一階へ向った。
一階にあるリビングのソファーに座ろうとした所で、慌てたような足音が聞こえ立ち上がったデレクが確認へ向かった。賊であればこんな分かりやすい音をだすはずがない。だが、ここは敵の巣窟で、いつその牙をむいて来るのか分からない。
などと考えを巡らせていた私の元へ、緊張感の抜けた顔でデレクが戻る。彼の説明によれば足音の原因は、ニア嬢についているはずのセシリアだったようだ。
「いらっしゃるとは思い至らず、申し訳ありませんでした」
「いや、かまわん。ところで、何故、慌てていた?」
「それが……」
謝罪に顔を出したセシリアに理由を問うた私は、セシリアが去った後頃合いを見てニア嬢の部屋へ向かった。
室内にいるであろうニア嬢に声をかけ、部屋の扉が開き視界に彼女が入る。光が当たれば金とも見紛う光沢ある白のローブは、ダボっとしているせいか肩口が僅かに落ちている。それを補うように緩く纏められた髪は、ニア嬢の白く細い首筋を艶めかしく見せた。
あぁ、なんと美しいのだろう。この世のどんなものにも負けない今の彼女を何と言い表せばいいのだ……。
「おはようございます。グレン様」
「……あぁ、エリオット、どうしたらいいんだ?」
ニア嬢から視線を外せないまま、どう言葉にすればいいのか側にいるエリオットに相談する。
「そのままお伝えすればよいのでは?」
エリオットは、私の問いに呆れた声音を出し答えた。
そうか、そのまま……いや、そんなことはできない。私の欲がたぶんに含まれる本音をこの場で晒す事などできない。せめて、せめて、結婚するまでは、恰好を付けていたい。
「……そうか、そうだな」
私は今どんな表情をしているのだろう。ニア嬢に嫌われたくはない。だが……この思いを少しでも伝えられれば……。
漸くの想いで唇を動かし声を出そうとした、その時――扉を誰かがノックする。
「おはようございます。ヴィルフィーナ様、ご準備お済でしょうか?」
何という事だ……パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラ!! どこまでも邪魔をするつもりか!
最悪のタイミングで来訪したパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに、心の底から悪態をつき扉を睨みつけた。
セシリアが開けた扉から入ったパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは、私の姿を確認すると徐にカーテシーをした。
「陛下、並びにヴィルフィーナ様。おはようございます」
「……あぁ」
「おはようございます。パーシリィ様」
微妙な気分のまま返した私とは違い、ニア嬢は、嬉しそうにパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに朝の挨拶をしていた。
姿勢を正したパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは、ニア嬢を見ると僅かに眉間を寄せる。一体ニア嬢の何が気に入らないのだ。邪魔された事も含め憤りが口から出そうになり、慌てて喉まで上がった言葉を呑み込んだ。
「ヴィルフィーナ様、申し訳ございませんが……その布は外していただかねばなりません」
「……っ、そ、そんな」
「どういうことだ? ……お前は昨日、そういった説明をしていなかったはずだが?」
突然すぎるパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラの物言いに、ニア嬢は絶句し俯いてしまう。そんな彼女を庇い口を出す。
「妃選定の儀は、神聖なる儀式です。そこに一片たりとも憂いを持ち込むことは許されません」
「なんだと? ニアのどこに憂いがある?」
「ヴィルフィーナ様に巻き付けられた黒い布でございます」
私を前にしてもパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは物怖じせずニア嬢の覆面に物言いをつける。パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに覆面の事を言われる度、肩を揺らすニア嬢の腰を優しく包み込むように抱き込む。
「ニア、大丈夫だ。心配しなくていい」彼女の耳元に口を寄せ彼女に聞こえる程度の声で落ち着くよう促した。
それと同時に、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに対し「これがどう憂いなのだ。昨日の時点で、否、もっと前から神殿は覆面に関しては周知していたはずだ。それを当日になって外せと言うのか?」と怒りを込め言葉にした。
今回の訪問で問題になる可能性のある事柄について、私もエリオットを通し神殿と何度もやり取りをした。ニア嬢は少し特殊な令嬢だ。だからこそ、覆面を着用する事で問題になるのであれば、対策なりをこちらと神殿で話し合いたいとも伝えていたはずだ。証拠の手紙の類も全て持ってきている。
なのに……なんだこれは! これが神殿のやり方なのか? 否、浅はかなこの女が何かしら手を回したのであろう。
「お知らせが当日になってしまい。御不快な思いを抱かせてしまい申し訳ございません。わたくしといたしましては、突然今朝になり通達された為、事情がわからず……」
如何にも自分も本意ではない体で謝罪して来るパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラを睨みながら、私はエリオットとデレクに視線を向け指示を出す。頷いたエリオットとデレクが一礼して部屋を出た。
足をお運び頂きありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。