噂の事件、その⑬ 儀式開始の朝 ニアの場合
翌、早朝まだ空が白み始めた頃、わたくしは目覚めました。上体を起こし薄暗い室内を見回しました。そして、ここが神殿の離宮である事を思い出します。
自宅なら自分で身支度を整えるのですが、人目がある場所な上にどこから見られているかわからないためで再びベッドに潜り込みました。
はしたない事だとは思いますが、わたくしは大樹に行ける事が楽しみ過ぎて、再び寝付くことができないほど興奮しておりました。せっかく時間が出来たのでパーシリィ様から説明を受けた神殿で行う儀式について脳内で反芻します。
大樹にて儀式を行うのは、五日間の予定なのだそうです。
一、朝、水行を行い身を清める。
水行はできるだけ水で行うべき事ですが、次代王、もしくは現王の婚約者と言う事で無理することはないと助言をいただきました。
一、朝食は食べずに大樹へ赴き、大樹に寄り添い国の安寧を祈る。
ここまで来たら、昼食です。祈りの最中お腹が鳴らないか不安ですが、仕方ありません。
それが終われば…………。
一、神殿の正殿にて、国妃となるため建国の王が女神に頂いたと言われる経典を読む。
一、陽が沈んだら、再び水行を行う。
この儀式は”王妃となる資格を建国の王と祝福を与えた女神に請うのです”とパーシリィ様は仰っていました。
その説明を聞きながら、わたくしには一つの疑問が浮かびました。
それは、媒体が無いとほとんどの人が魔法を発動出来ないこの国で、どうやって祝福を授けた女神様と建国の王に認められたと分かるのか? です。
まさかとは思いますが、女神様がお姿を見せて下さるのでしょうか? それとも、建国の王が何かしらの術を使い言の葉を下さるのでしょうか? など夢のような事を考えながらパーシリィ様の説明を聞いていたのですが……、残念な事にその点について何か口にされる事はありませんでした。
何かが起こるのであれば大樹でしょう。とても楽しみで寝ていられません! 早くセシリアが起こしに来てくれないかと一人ソワソワしつつベットで何度も寝返りを打ちました。
漸く……そう漸くメイド兼護衛のセシリアが起こしに来たのは、陽が地平を超えた頃でした。ドアをノックしたセシリアが、ドアの外から「お嬢様。お目覚めの時間でございます」と声をかけ中へ入って来ます。
美しい薄茶の髪は首元で一つに纏められ、うちで使うメイド服とは少しだけデザインの違うヴィクトリアン。色は紺色のシュとしたワンピース、袖口が八部袖でスカートの襞が左右で三つ折りになったタイプです。その上から、僅かにフリルのついた白いエプロンをしています。
入室した彼女の「おはようございます」と言う声かけに合わせ上体を起こし、浴室へ移動しました。
昨日パーシリィ様にご説明頂いた通り、まずは入浴を済ませます。入浴は身を清めると言う意味合いで行うため、水を被るだけです。既に浴槽に用意されていた水に少しだけ手を浸けてみます。
「ヒィ!」
手を付けた瞬間凍るような冷たさがわたくしの身体を震わせ、醜い声を出させました。なんとか冷たい水に両手を潜らせ馴らしてみますが、どう考えても勢いで行くしかありません。震える手でなんとか水を掬ったわたくしへ、セシリアが声をかけます。
「お嬢様? 大丈夫ですか?」
浴室の扉の外に待機していたセシリアが、わたくしを心配する声音で問いかけました。そんな彼女に「問題ありませんわ」と令嬢らしく気丈に答えたのです。が、余りの冷たさに濡れた身体はガタガタ震え、歯がカチカチと小刻みに鳴っていました。
この国の首都部や街には陛下のご意向で上下水道が用意されているため、うちでは水道水を使います。水道水は地下に配置されておりますが、日中に温められた土が熱を含み水を温めるのでそこまで冷たくはありません。
各神殿や小さな村では、未だ井戸を使い水を用意しています。井戸水は、どんなに外の気温が上がろうと常に定温を保っているので水道水に比べ非常に冷たいのです。
「ふぃぃぃぃ。や、やるしかありません」
人知れず両手で頬を叩き気合いを入れ直します。冷たいと分かっている井戸水を用意されていた瓶に半分ほど汲み、再び足から徐々にかけていきます。
三十分かけ漸く、頭の先からつま先まで全身を濡らし終えます。身体の水分を拭き取る為バスタオルを取り出したのですが、震えが止まらないわたくしは上手く身体が更けず……仕方なく、バスローブを羽織ると浴室の扉を出ました。
外で待っていたセシリアがこちらを見た瞬間、美しい顔を驚愕の色に変え慌てて駆け寄りました。見てわかるほど震えるわたくしのために寝室へと向かったセシリアは、何枚もの毛布を持ち戻ってきたかと思うと直ぐに毛布を何重にも巻きつけてくれます。
「直ぐに暖かいミルクをご用意致しますね」
「あ、ああっ、ありがっ、がとう、ごじゃ、ざいましゅ」
歯の根が噛み合わずタジタジでお礼を言うわたくしに、セシリアはニッコリと微笑み直ぐに部屋を出ていきました。
それからほどなくしてホットミルクが届きます。受け取り時間をかけ飲み、暖を取った後いつも通り顔を隠すため覆面を付けます。
服装は、神殿が儀式用に用意してくださいました黄色味の強い白のワンピースを下に。上には白く光沢のある生地に、王家の紋章が金糸で刺繍されたフード付きのローブを纏います。
ローブは使いまわしと言うか……初代王の時代から使われているローブです。王妃候補者の大きさなどを鑑みて最大限大きく作られています。
その為でしょうか横幅はわたくしの肩の二倍。長さは、歩く度に引き摺ってしまいそうです。
「なるほど、そのためにこの帯を着用するのですね」
「ダボダボになりますが、仕方ありませんね……」
持ち上げた金色の腰帯を見たセシリアの言う通り、腰の上に引き上げたローブを回した帯で絞ると見た目が、みすぼらしくなってしまいました。
「着方はこれでいいのでしょうか?」
「折り重ねてみますか?」
試行錯誤しながら見た目をどうにかできないか試してみますが、変化はほとんど見えません。背中で折り重ねた布地はそれを強調するように膨らみ。腰で折り曲げた布地は、でっぷりと肥え太ったかのように見えました。
鏡越しに二人して困り果てていたところに部屋の扉がノックされました。
「ニア、準備は出来た?」
扉の向こうから聞こえた落ち着いた様子のテノールボイスに、慌ててセシリアが扉を開けます。
そこにいらしたのは、夜空の月のように美しく仄かに光りを発しているような陛下でした。室内に入られ、ソファーに慣れた動作で座られた陛下は、わたくしの姿をご覧になると目を見開かれました。
「おはようございます。グレン様」
「……あぁ、エリオット……私は、どうしたらいい?」
いつも通り朝のご挨拶を致しましたところ陛下は、わたくしではなくエリオット様を呼ばれ何やらご相談を始められます。名を呼ばれたエリオット様は苦笑いを受けべられ「そのままお言葉にされればよいのではないですか?」と慣れた様子で答えられました。
「……そうか、そうだな」
エリオット様の言葉を思案顔で聞いた陛下は、そう言われるとわたくしへ視線を向けられました。そのお顔はとても真剣な様子で、わたくしは固唾を呑んでお言葉を待ちました。
お待たせいたしました。
楽しんでいただけると幸いです。