噂の事件、その⑪ デレク・フォスディーンの場合
まさか……だった。
その日、インフォルマーツの待機所奥にある隊長の執務室に呼ばれた俺は、隊長の言葉に絶句する。
「……え? 俺が陛下の護衛ですか? しかも一人で?」
「そうだ。この役目はフォスしかできないと私は考えている」
そこで初めて聞かされる。アンスィーラ家とセプ・モルタリアが繋がっている可能性がある事、狙われたのは陛下の婚約者殿である事。渡される情報が多すぎて、既に俺の頭はキャパオーバーだ。
「詳しくは此方に記載されている。読んだら必ず燃やす事。以上だ」
「はっ!」
一抱えはありそうな紙の束を渡され、隊長の執務室を後にする。部屋へ戻り早速渡された資料を読み始めた俺は、気付けば三徹していた……。
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中庭に差し掛かった回廊で陛下と婚約者殿が大樹を見上げていた。
そこへ背後から突如としてパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラが、堂々と陛下たちの前に姿を現した。報告書を読んだ限りでは姿を見せない思っていた俺は、己の耳と目を疑った。
意志の強そうな瞳を陛下と婚約者殿に向ける彼女は、婚約者殿が差し出した。手を握り返すパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは、その瞳に憎悪の炎を灯した。一瞬の出来事だが俺は、彼女の憎悪を見逃さなかった。
この訪問の間で彼女が、婚約者殿に対し仕掛けて来るのは間違いなさそうだ。
神殿の大樹で過ごす婚約者殿に対し、七日間をどのように過ごすのか説明していた。
その説明が終わり春を思わせるような微笑みを陛下と婚約者殿に向け、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラはソファーから立ち上がる。
「それでは、お過ごしになるお部屋へご案内致しますわ」
案内をすると言う彼女と共に立ち上がられた陛下は、立ち上がる婚約者殿に手を差し出し立ち上がらせるとその手を愛おしそうに握った。
何事かを婚約者殿の耳元で囁いた――刹那、ゾクッとした殺気を感じ背筋が凍る。
「あいがとうございます。よろしくお願いします」
律儀な婚約者殿の柔らかな声音が瞬く間にその場の空気を崩し、己が呼吸を止めていたことを知る。ゆっくりと吐き出した吸い込んだ空気は、己の胸を大きく膨らませ満たした。
「では、頼む」
「畏まりました」
陛下がパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラへ声をかけ、三人は歩き出す。その後ろに騎士に扮した俺とエリオット殿。そして、もう一人――今回のためにヴィジリット辺境伯家より派遣された騎士であるセシリア・ベネディット嬢がメイドとして付き添った。
前を行く三人を見ながら、エリオット殿とセシリア・ベネディット嬢と手と口の動きだけで会話を交わす。
『やはり、黒のようですね』
『そうか? まだ、ハッキリはしていないように感じるが……』
『そうでしょうか? 明らかに、婚約者殿に対し殺気を飛ばしていた』
『確かに、殺気は出してた。だが、視線の向きが陛下では?』
エリオット殿は黒と判断したようだが、ベネディット嬢はまだグレーだと判断しているようだ。殺気ついては、その場にいた婚約者殿以外全員が気付いていただろう。あんなにあからさま過ぎるのも気にはなる。
その為二人に『わざと殺気を飛ばしたと言う事はないか?』と問いかけたのだが、二人はそのまま沈黙してしまった。
パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラの案内のまま砂岩造りの廊下を歩き、神殿の建物を出る。奥まった場所にポツンと立てられた、別邸のような造りの泊施設へ通された。
よく手入れされた庭園が見えるその施設は、外敵を良く招き入れられそうだった。早速、
造りを把握するため、エリオット殿に一言断りを入れ周囲を見て回る。
ひとまず頭の中に建物周辺の景色や出入り口になりそうな場所記憶する。あとで地図に起こす際間違いなく役に立つ。
施設入口から左回りに進む。
左側は、二か所か……裏は、四か所。右は、二、三か所か……。
「冗談がきつい」
あんまりな状況に人知れず頭を抱え、その場にへたり込む。
この施設で陛下は、婚約者殿に付き添い七日間過ごされる。その間、ここへ入る事のできる護衛は、俺とベネディット嬢の二人しかいない。なのに、賊が入り込める入口になりそうな場所は計九か所もある。
「どうやって守れと言うんだ。隊長……」
尊敬して止まないインフォルマーツの隊長・センスの逞しい姿を思い描き、愚痴を零す。今回の任務で副隊長である俺は、陛下の護衛を仰せつかった。隊長はと言えば、インフォルマーツのメンバーを連れアンスィーラ家の方を調べに向かっている。
元近衛騎士と言うだけの理由で選ばれた俺だが、流石にこんな状態では魔道具ぐらいしか設置できない……。
このまま座り込んでいても何もならないと大きく息を吐き出し立ち上がった。
唯一の救いである下草を出来るだけ踏まないよう気を付けながら、建物の内部へ向かう。扉を開け中に入り直ぐに廊下があり、突き当りの先にも廊下がある事からT字型になっているようだ。見える範囲で入口の扉からは、三つの扉が見えた。
場所的に、この三つの扉の内部に六つの警戒すべき扉や窓があるはずだ。
入口から左の扉は、簡易のキッチンだった。勝手口と窓が二つ設置されている。その窓と勝手口に見えない魔法糸の魔道具を設置し、侵入者に備える。
奥の扉どうやら隣の部屋へ続いているようだ。このままダイニングへ行ってもいいが、陛下達の会話が僅かに聞こえるため廊下から回る事にする。
作業を終え、廊下へ戻り二つ目の扉をノックする。数秒の間を開けて開かれた扉を潜った。
神殿の施設なだけあって華美ではないが、落ち着いたダイニングには六人掛けのテーブルとイスが置かれ、続きになったリビングには柔らかそうな絨毯とソファーが並べられている。
ソファーには一人でパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラが座り、陛下と婚約者殿は対面に二人でで座っている。現在は、三人で談笑中のようだが……部屋の温度は外より遥かに低いように思う。それもこれも、陛下が婚約者殿以外を視界に入れないからだろう。
「フォスディーンさん、お帰りなさい」
入口の壁際に立った俺に、隣に立つベネディト嬢が耳を澄まさねば聞こえない程小さな声で挨拶をしてくれる。それに頷き答え上の部屋状況を確認しようとした所で、扉がノックされた。
開かれた扉から、紺色の法衣を纏った女性が室内に入りパーシリィ・ヴィズ・アンスィーラに声をかける。
「ご歓談中失礼いたします。パーシリィ様にお客様がおみえです。いつもの部屋へお越しください」
抑揚のない声音で、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラへ言付けをした法衣の女はそのまま退室する。
女が部屋を出た後パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラは、取り繕った笑顔を見せ「それでは、明日の朝お迎えに参ります。御前失礼致します、陛下」と婚約者殿と陛下に言い残し部屋を出て行った。
「ニア嬢、今日は疲れただろう。部屋に戻り少し休むといい」
「はい。グレン様、お心遣いありがとうございます」
今までに聞いた事が無いような艶っぽい音を出しながら陛下が婚約者殿を気遣う。それを平然と受けた婚約者殿は、お礼を言うとベネット嬢と共に部屋へと下がっていった。
正直に言おう、ここへ来て、否、ここへ来る前から何度も何度も感じていた。
…………陛下、婚約者殿の存在の有無で態度が変わりすぎです! パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラがあれだけ態度に出してしまったのは、陛下のその纏う空気と態度のせいではないでしょうか!?
お待たせいたしました。
楽しんでいただけると幸いです。