噂の事件、その⑤ ルーゼクリュシュ・ジュゼ・ヴィルフィーナの場合
視点が入れ替わります。
空が白んだ王都の一角で、今まさに夢見が悪く魘され目覚めてしまったわたくしは、サイドテーブルに用意されたランタンに火を灯す。
顔に張り付く自慢の金髪が今はとても不快に思え、無造作にかきあげる。カラカラに乾いた喉の感覚に、ランタンの隣に置かれたコップを両手でつかむとそのまま水を体内へ押し流した。
「んっ……はぁ、はぁ。…………どうして、何故わたくしが……」
粗く乱れた息を整えながら、呆然と己の見た夢を思いだし呟いた。
そんな彼女の呟きに、答える声はない。余りの恐ろしさに、己の身体をかき抱いた――。
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いつもならここまで重くならないであろう室内の雰囲気が、今はとても重く室内に漂っていた。
そんな空気を払いのけるよう顔をあげた娘の婚約者(仮)は、私達へ視線を向けると重苦しく言葉を紡ぎ出した。
「ほ、本日は、良く来てくれた。久しぶりに、顔が見れて嬉しく思う」
どもりながらも何とか威厳を保とうとする娘の婚約者(仮)に、私と義父母が頭を垂れたまま挨拶の口上を述べた。
「畏まる必要はない。いつも通りで頼む」と言う娘の婚約者(仮)に促され、下げていた頭をあげる。
それと同時に私達の表情を見た娘の婚約者(仮)は「うっ!」と言うくぐもった声をあげ、背筋を伸ばす。
「お許しも出た事だし、普段通り話させて貰おうか」
「そうですね。義父上」
「ホホホ。そうですわね」
義父に当たるリューセイ・ヴィガ・ヴィリジット辺境伯の言葉に、私と義母のリースカーレン・ヴィイ・ヴィジリットが微笑みを深くしながら頷いた。
「そ、それでお話とは?」
「そうじゃの。まず確認したい事がひとつ、今回の件とニアの神殿行きは無関係なのですかな?」
此方の持つ情報と照らし合わせるように問いかける義父の声を聞きながら、義母は娘の婚約者(仮)を、私はその後ろに控えるエリオット・バンセルの反応をそれぞれ確かめる。娘の婚約者(仮)とその従者を疑う行為が不敬にあたるだろう事は重々承知の上で、私達は揺さぶりをかけた。
その理由は昨晩、我が家の草――密偵が持ち帰った情報では、我が愛しき娘ニアの神殿行き――大樹への訪問こそが狙いではないかと思われる情報が入ったからだ。
義父の言葉に目を眇めた婚約者(仮)は、僅かに視線を彷徨わせたのちハッキリとした声音で「無関係だ」と断言した上で、その経緯を話し始めた。
「将来的に王の妻となる者が大樹を訪問する事は、この国の者なら誰でも知っていよう? それ故、ヴィルフィーナ公爵家のニアミュール嬢との婚約が決まり次第神殿には、大樹訪問の為の連絡をしていた」
そこで一度話しを切った娘の婚約者(仮)は「そうだな?」と問いかけ、自身の後ろに立つ従者へと視線を向けた。その視線に答えるようにエリオットは「間違いございません」と言うと、また空気と化す。
「神殿から連絡が来たのは、つい先日だが……神殿に疑う点は無いとこちらは判断した。そちらの見解は違うのか?」
怪訝な表情を見せた娘の婚約者(仮)は、その切れ長な目を再び眇めると私達の出方を見るかのように両手を膝の上で組んだ。
「我らが草の調べでは、とある貴族の名があがった。その者は、身内を神殿の中枢へと入れている。今回ニアが向かうその場所で、その者が接触する可能性が高い」
神妙に告げる義父の声が、ニアの名を声に出した事で僅かに憂いを帯びる。
「――なんだと! そんなはずはない。此方の調べで、今回の黒幕は侯爵だと分かっている」
ありえないと言わんばかりに立ち上がった娘の婚約者(仮)が、声を荒げ否定の言葉を出す。その声音行動共に、嘘偽りを言っていないと判断できた。ならばこちらも情報を開示するべく、視線を合わせ頷き合うと娘の婚約者(仮)が言っている黒幕について、義母が落ちついた声音で「ブニータスではありませんよ」と告げる。
「わたくし共の元へ届いた情報によりますと、反勢力のブニータスと他の貴族は今回の件に関与しておりません。今回、ニアに手を出そうとしたのは、深滅の魔女を心酔し蘇らせようとする一派です」
「深滅の魔女……と言うと、もしやセプ・モルタリアか……」
娘の婚約者(仮)の言葉に、ここに来るまでに何度も調べ記憶した調査内容を思いだす。
深滅の魔女またの名をルリアリア・アンブライ。
この世に存在したとされる、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲と呼ばれる七人の魔女を生み出したとされる災厄的存在だ。
長い歴史上、深滅の魔女が復活したと言う記録はなく、本当に存在したのか、生きていたのかについても不明。ただし、古代書の中に唯一、彼女が深滅の魔女だと言う記載があった。それ以外については全てが不明。
そんな深滅の魔女を神の如く崇め、敬い復活させようとしている集団がセプ・モルタリアだ。ある種宗教と類似しているが、セプ・モルタリアはこの世界全ての敵である。
「何故、セプ・モルタリアが関わっていると分かった? 此方の調べでは……そこまでは分からなかったのに……」
「それについては、儂が説明しましょう」
義母の説明を引き継ぐように義父が、我々が何故、セプ・モルタリアの存在に気付くことができたのかについて簡単に説明を始めた。
「陛下もご存じだとは思うが、噂の発端は王都市民区にある酒屋マスタドールに現れたローブの男で間違いない」
「此方の調査でも同様だ」
頷く事で同意を示す、二人に義父は更に言葉を続ける。
「我らが掴んだ情報は、そのローブの男が店からの去り際に見せた手の甲にある」
「手の甲?」
訝しむ表情で、オウム返しに呟く娘の婚約者(仮)に義父は「そうだ」と大きく頷く。
「ローブの男の手の甲に、セプ・モルタリアの者である事を示す七つの丸に三つの三角がつらなったマークがあったそうだ。それを――「見た者が居たのだな?」」
「えぇ、そうです。そして、そのローブの男が路地でヘリ・オトロープの花の絵が描かれた馬車に乗り込む所を見ていた者がいました」
「ヘリ・オトロープ……と言えば……!! アンスィーラ伯爵家か!」
「その通りですわ」
義父との会話を引き継ぐように、義母と娘の婚約者(仮)が会話を交わす。
今回噂をばらまいた本当の黒幕は、アンスィーラ伯爵家だ。あの家には三人の娘がおり、上の二人は既に何処かへ嫁いでいたはず。一番下の娘が、ニアとそう変わらない年齢であり、未だに未婚で婚約者もいなかったはずだ。
…………名は確か、パーシリィ・ヴィズ・アンスィーラ。美しい流れるような金の髪に、深い海の色に近い青の瞳を持ち、鼻筋の通った面立ち。
その身にもつ魔の力が、多く強いことから幼いころに神殿へ入り巫女として神に仕えていると聞いたが……。
重い沈黙と共に、その場に集う皆の眉根に深い皺が刻まれる。噂の出所が貴族ならば、どれほどマシだったろうか……貴族であれば、打つ手はいくらでもあるものを……。
一番厄介、否、この世界中の敵と言うべきセプ・モルタリアがたった一人の娘に危害を加えようとしている。その知らせを受けてから何度も、何度も、何故娘に……? と考えては、その答えを打ち消した。