5.愁の過去〈愁視点〉②
――十五歳のある日、突然に満たされない飢えに襲われ、苦しくなった。
血走った目をした俺に気付いた隣のおばさんが、慌てて保存していた人肉を分け与えてくれた。
理性が消えていた俺はそれを貪り食った。
お陰で飢えは凌げたが、正気に返ってからは絶望で涙が止まらなかった。
今まで漠然とした不安だったものが、飢えを経験してからは、次はいつあの苦しみを味わなければならないのかという恐怖に変わり、苛まれるようになった。
それから俺は、恐怖にとらわれないようにするために、唯一の希望である彼の研究に縋るようになった。
そして、それを手伝うためにひたすら勉強した。
その後、心配していた飢えに襲われることはなく、無事に医学部に合格することが出来た。
大学は里から通うことが難しかったので、寮に入った。
大学生活は、勉強と研究で忙しく、瞬く間に日々が過ぎていった。
夏休みになり、逸る気持ちで里へ戻った。
——だが、山奥の里へ辿り着くと、あの美しかった風景は焼き払われ、灰と化していた。
暫く呆然と立ち尽くしていたが、何があったのかを知るために里中を見て回った。
ところが、里には人影も生活していた痕跡すらなく、建物も何もかも全て焼かれていた。
彼の行方も分からず、自分の力だけでは捜すのも限界だった。
「この美しい集落は、餓鬼の郷と呼ばれている隠し里だ。この里に敵意のある者は辿り着くことが出来ない、秘密の場所だ。心から信用できる者以外には、決して教えてはいけないよ」と言った、彼との約束を破ることになりはしないかと悩んだが、どうすることも出来なくて、仕方なく警察に通報した。
結局、夏休みの間に彼の行方も里で何があったのかも解明されることはなく、歯痒い気持ちで帰路についた。
寮に戻ると、彼からの手紙が届いていた。
直ぐに消印を確認すると、里に向かった前日になっていた。
封を切り、目を通すと、慌てて書いたらしく字が乱れていた。
「愁、お前がこの手紙を読む頃には私はきっとこの世にいないだろう。私にもしもの事があった時のために、昔話した弁護士の友人に遺言書を渡してある。そいつのところに行って、今後のことを相談して欲しい。どうか、お前だけでも生き延びて幸せになってくれ。
忠久」
「忠久さん……。一体何があったんだ……」
翌日、彼の友人に会いに弁護士事務所を訪れた。
「すみません。瀬山と申しますけれど、末永先生にお会いすることは出来ますか?」と受付で尋ねると、「少々お待ち下さい」と言われ、待っていた。
暫くすると、中から威厳のある男性が出て来た。
「瀬山さんというのは、君?」
「はい」
「そうか。何となく忠久の若い頃に似ているね」
彼はそう言って、柔和な顔で俺を見た。
俺の顔は、どちらかと言うと写真で見た母親に似ていると思っていたので、少し怪訝な顔をしてしまった。
「お忙しいところを突然訪ねたりして、すみません。瀬山忠久の甥の息子で、瀬山愁と申します。今、お時間大丈夫ですか?」
「ああ、丁度キリの良い所だったんだ。私は、忠久の大学時代からの友人で末永正行という」
そう言って、名刺を渡された。
「どうぞこちらへ」
相談室に案内されソファーに腰掛けると、早速話を切り出した。
「あの、忠久さんのことなんですが、末永さんは行方をご存知ですか?」
「全く何の連絡もないのか?」
「……あの、手紙が届いたんですけど、急いで書いたみたいで、詳しいことが書かれてないんです。ただ、自分にもしものことがあったら、末永さんを頼れと……」
「そうか……。ところで、今、保険証か何か身分証明書は持っているか? 持っていたら見せてもらえないか?」
「ちょっと待って下さい。……どうぞ」
疑問に思いながらも、学生証を渡した。
「ふむ。ありがとう。……ところで、忠久は人参を食べられるようになったか?」
彼は学生証を確認し、俺に返すと、唐突に謎の質問をしてきた。
首を傾げながらも、なんとか思い出して答えた。
「えっと、私が出会った頃には普通に食べていました」
質問は続いた。
「そうか。そういえばこの前会った時に右膝を痛めていたけど、その時の傷は大丈夫だろうか?」
「えっ!? 右膝ですか? 左肘ではなくて?……左肘だけでなく右膝も怪我してたんですか?……右膝にそんな傷跡は見たことがありませんし、話に聞いたこともなかったのですが……」
俺は、質問の意図が分からず困惑した。
「いや、すまないね。忠久は人参が嫌いではないし、右膝を痛めてはいないよ。一応、君が忠久の言っていた愁君本人か、簡単に試させてもらったよ」
そう言った彼に疚しさは全く感じられなかった。
「じつは私にも、一ヶ月程前に忠久から走り書きのような手紙が届いてね。そこには一言、『愁のことを頼む。』とだけ書かれていた。受け取ってから、私なりに調べてはいたのだが、行方はわかっていないよ」
彼は顔を曇らせた。そして、少し考える素振りを見せてから言った。
「君は、この後時間は大丈夫? 渡したいものがあるんだが、別の場所に保管していてね。少し付き合ってもらいたいのだが……」
「大丈夫です。末永さんさえ良ければ、よろしくお願いします」
「そうか。では、行こうか」
そう言って立ち上がった。
お読み下さり、有難うございます。
次で過去話は終わりです。
もう少しお付き合い下さい。




