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第十七章 その1 先住民の知恵

「この森には珍しい薬草が群生しています」


 白樺(しらかば)(にれ)の木に覆われた小高い山。落葉樹と針葉樹の混成する手付かずの原生林を、俺はイソリに導かれて歩いていた。


 それもこれも、アイヌの人々が本土へと輸出できる品を探すためだ。現在は毛皮や海産物、木材が主な輸出商品であり、いずれも和人圧倒的有利な相場が定められているので後発組の俺たちにはどうしようもない。


 だが、まだ誰も取り扱っていない商品ならば相場なんてものは存在しない。アイヌも和人も気付いていない、誰も手をつけていない価値あるものがどこかにあるはずだ。その相場は俺たちが自由に設定でき、アイヌとも対等な交易を行う良いきっかけになる。


 思い立った俺はイソリに案内されて彼の(コタン)を目指してみたのだが、驚いたことにイソリは宗仁さんに劣らぬ植物の知識の持ち主で、山の中で使えそうな植物を集めているとなかなか村へたどり着けなかった。


「これは?」


「キモウレプ(エゾキイチゴ)ですね。もうすぐしたら甘く赤い実がなります」


「あ、小さな実がなってる」


「ニカオプ(ヤマブドウ)ですね。あと少しで色付いて、甘酸っぱくなりますよ。蔓は籠にも使えます」


「あれ、これどっかで見たことあるような……」


「スルクです。矢に塗ればひぐまも殺す毒になります」


「やっぱりトリカブトじゃん、これ!」


 何を尋ねてもイソリは的確に返した。


 厳しい自然環境といっても、多種多様な動植物を育むのが蝦夷の大地だ。その恩恵を最大限利用しながら、アイヌの人々は森と共に生きてきたのだ。


 長い長い時間をかけて積み上げられた生活の知恵を、イソリは脈々と受け継いでいた。


「薬草については宗仁さんに手紙を送って聞いてみよう。時間はかかるけど、高値で売れる商品があるかもしれない」


「それは良かったです。まさか普段私たちが何気なく使っている物が売れるなんて。あ、これはちょうどいい」


 イソリがしゃがみ込むと、彼は地面に生えていた小さな花のついた草をもぎる。


「カムイケウキナです。胃の薬に……?」


 と、話を中断して木々の向こうに鋭い視線を向けた。


「……何か近付いてきますね」


 まさかひぐまか?


 俺たちは茂みに身を潜め、イソリが腰に差した短刀に手をかける。


 確かに、何かが草をかき分け落ち葉を踏みながら、こちらに近付いてきているようだ。


 だがその姿を見て俺は拍子抜けしてしまった。森の奥から現れたのは人間の女の子だった。


 14歳くらいだろうか、黒い髪の毛を肩まで伸ばし、アイヌの民族衣装を着ている。真ん丸な黒い目をした、まだあどけなさも残る可愛らしい少女だ。


「チニタ、こんな所で何をしているんだ?」


 イソリが剣を収めて茂みから飛び出ると、チニタと呼ばれた少女は嬉しそうに振り返った。


「あ、お兄様。アットゥシを作るために木の皮を剥ぎに来たのよ」


 屈託なく答える少女に、イソリはため息を吐く。


「なんだ、そんなことか。ここは獣も出るから一人で来てはいけない、危ないから大人といっしょに来なさい」


「チニタ、もう子供じゃないもん」


 むっと頬を膨らませたせいで、少女は見た目よりもだいぶ下の年齢にさえ思えた。


 そういえばアイヌの女の子を見たのは初めてだ。そしてこの年齢で髪の毛を結い上げていない女の子を見るのも、この時代に来てからは初めてかもしれない。本土の女性と言えば湖春ちゃんも葛さんも、みんな長い髪を結い上げるのが当たり前だった。


 しかしこれ、もしも俺が民族衣装萌え属性を持っていたらこの場で萌え死んでいたかもしれないな。


「ところで、その人はだあれ?」


 チニタが興味深げに俺をじろじろと見る。


「ああ、本土から来た商人さんだよ。栄三郎さん、うちの妹のチニタです」


「よろしくね、チニタちゃん」


 俺はささやかに手を振る。


「へえ、和人さん!」


 少女は大きな目を輝かせ、ずんずんと俺に迫った。


「ねえねえ、商人さんはどこから来たの? 本土の話、たくさん聞かせて!」


 なんだか出会った頃の湖春ちゃんみたいな娘だな。


 そんな妹をイソリは叱責する。


「チニタ、栄三郎さんは忙しいんだ。そういう話はカゲさんから聞きなさい」


「だってぇ、カゲさんずっと畑に出ているし。それに話聞き飽きちゃったんもん」


「カゲさん?」


 初めて聞く名に首を傾げると、察したイソリがすぐに答えた。


出羽(でわ)(現在の山形県から秋田県)から来られている方ですよ。蝦夷でも米を作るんだー! て意気込んで、うちの(コタン)で寝泊まりしています」


「それ、うまくいってるのですか?」


「うーん、どうでしょう?」


 滅多に表情を崩さないイソリが珍しく苦笑いしている。おそらく成果は芳しくないのだろう。


 それにしてもこの時代の蝦夷に農地を拓こうとしているなんて、随分とチャレンジ精神旺盛な人のようだ。




 森の中で摘んだ薬草を満載にした籠を背負い、俺は剥いだばかりの木の皮を抱えたチニタにコタンへと案内された。


 ざっと見ただけで10軒以上、カヤや藁のような植物でできたチセが密集し、中には食糧の保管庫だろうか高床式の倉庫もあった。


 縄文時代の面影を残した集落には艶の無い衣類を身にまとった人々がクマや鹿の毛皮を干したり、木の実を潰したりと日々の作業に打ち込んでいる。


 チニタがすれ違う人々に挨拶すると、誰もが作業の手を一旦休め、笑って返事をするのだった。


 そんなコタンの裏側のやや開けた土地は、不自然に土が剥き出しになっていた。


「カゲさーん、ただいま!」


 チニタが元気いっぱいに言うと、その土地の真ん中でくわを持っていた人物がくるりと振り返った。


 月代さかやきを入れて頭を剃り込んだ、和人の若い男だった。年齢も俺とそう変わらないくらいだろう。


「おうおかえり……と、和人!?」


 男は俺を見るなり仰天し、持っていた鍬を放り投げて俺の前に駆け寄った。


 そして突如、土に両手を突いて頭を下げ始めたのだった。


「お、お許しください、今年は必ずや収穫いたしますので、どうか場所代の支払いはどうかもうしばらくお待ち下さい! 今年は去年よりも米の育ちが順調です、必ずや米を実らせますので、どうか!」


 呆気にとられる俺たちに、必死で懇願する男。


「あのー、誰かと勘違いしていませんか? 私はただの商人ですよ」


 頭を掻きながら俺が言うと、男は「へ!?」と間抜けな声を上げながら目を見開いた。


「あ、ああーそうでしたか! はー驚いた、松前藩のお武家様かと思いましたよ」


 男は誤解に気付き安心するが、ひどく汗で濡れているあたりよほど追い込まれていたのだろう。


「はい、私は近江の商人、日牟禮会の栄三郎です。カゲさんというのはあなたのことですか?」


「ああ、俺は佐藤(さとう)信景(のぶかげ)、出羽の農学者だ」


 さっきまでの必死の形相はどこへやら、随分と親し気に男は答えた。

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