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第二章 その2 白石屋大ピンチ!

「さあお待たせ!」


 女中の葛さんが焼き立てのあゆを持って座敷に上がると、白石屋一同はわっと沸き立った。


 湖春ちゃんが選んだのは新鮮な鮎だった。お菓子でも頼まれるかと思ったが、家族や奉公人にも分けてあげたいと今晩のおかずを選んだらしい。


「すまないね、私たちも普段は鮎なんて滅多に食べないのでご馳走させてもらいますよ」


 白石屋当主の湖春ちゃんの父親は何度も頭を下げる。


「いえ感謝すべきはこちらの方です。晩御飯までご馳走になった上に、泊めていただけるなんて」


「お気になさらず。異国のことに詳しいそうではありませんか、是非ともそのお話を聞きたいですね。さあ、一杯どうぞ」


そう言いながら店主は徳利を手に取った。


「それではせっかくなので」


 俺はお猪口を突き出すと、店主はとくとくとそこに酒を注いだ。透き通ったきれいな見た目だ。


 お猪口を口に当てながら、俺は部屋を見渡す。


 湖春ちゃんの父親は下の者ともフレンドリーな性格のようで、奉公人とも皆同じ座敷に並んで食事を楽しんでいた。


 だが家の広さに対し、その人数は極めて少ない。


 経営者一族は当主と娘の湖春ちゃんだけで、不愛想な番頭の権六、女中は葛さんともう2人、そして丁稚でっちの10歳くらいの男の子がひとりだけだ。


 この家の財務状況は相当のようだ。


 なんだか悪いなと思いつつ、俺は酒を喉に流し込んだ。


「ぷはぁー、美味しい。喉をすっと通る良いお酒です」


「でしょう? この辺りは湧き水が多く、さらに冬冷え込むおかげで良い酒ができるのです。さあ、もう一杯」


 店主がまたも徳利を俺に向けたその時だった。


「旦那、旦那ぁ!」


 外から何者かが激しく戸を叩く。だが聞き覚えのある若い男の声だ。


 その慌て具合に店主は急いで土間に降り、戸を開いた。


「どうしたんだ、惣介そうすけ?」


 昼間、瓦版を売っていた惣介だった。だがあの時の陽気な笑顔はなりを潜め、血相を変えている。


「まずいですよ、白石屋の商品を載せた船が沈みました!」


「な、なんだと!?」


 店の一同も立ち上がり、「ええ!?」と声をそろえる。


「場所は今津沖です。八幡から出荷した麻織物が全部沈んだそうです!」


「そんなぁ、あれは若狭のお得意様に頼まれた大事な品だったのに! 大損じゃないの」


 湖春は突っ掛けも履かずに床から飛び降りて惣介に詰め寄るが、惣介は何も答えない。


 そんな様子を見ていた番頭の権六は黙って立ち上がると、草鞋を履いて店主らの脇を通りすぎた。


「権六、どこに行く!?」


 問いかけに彼は振り向きもせず答えた。


「この店ももう終わりです。旦那様、申し訳ないですが私はこれ以上ここに留まっていられません」


「そんな、15年以上ともに商いを続けてきた仲ではないか。今までもこのような苦難はあったであろう、またともに乗り切ろう!」


 店主の声は最早懇願だった。だが番頭はちらりとこちらに哀れみの目を向け、小さく言い放った。


「すみません、実は私、既に複数の店からうちに来ないかとお話をいただいておりまして」


「何……だと?」


 店主は固まった。だがすぐに口を開く。


「それでもお前がいなくては勘定のできる者がわししかおらん! 吉松よしまつはまだ子供じゃし、男手も足りん! 頼む、今一度考えなおしてはくれぬか!?」


「御免」


 店主の願い虚しく、権六はそう言い残して引き戸を閉めた。


 崩れる店主に湖春が「お父ちゃん、しっかり!」と手を伸ばす。


 吉松と呼ばれた丁稚の男の子は終始固まったままで、葛はじめ女中たちは互いに顔を見合わせたまま呆然としていた。


 しばらくして店主は地面を叩くと立ち上がり、一同に振り返った。


 その顔はまるで戦に赴く武者のように殺気立っていた。


「仕方がない、まずはどれだけの損失が出たか確認じゃ。湖春、お前も手伝え!」


「はい!」


「蔵から証文箱を持って参ります!」


 丁稚の吉松が座敷を走り抜け、その背中に店主は「頼んだぞ!」と声をかけた。


「あっしも力仕事なら手伝いますよ、旦那!」


 惣介も加勢し、吉松の後を追った。


 女中たちも慌ただしく走り出す。


「帳簿をすべて見直す! 積み荷の一覧からどれだけの負債ができたかも計算するぞ」


 店主は何冊もの帳簿を引っ張り出し、机に座ってそろばんを構える。


 緊急事態だが、圧倒的に人手が足りない。


 しかしこんな出来事もこれから数ヶ月後に起こる悲劇の前触れでしかない。


 そう思うとあまりにかわいそうで、居ても立ってもいられない。


「俺もお手伝いします!」


 俺は口を開いていた。


 店主と湖春ちゃんは唖然とした顔をしたが、すぐに首を横に振った。


「いえご厚意だけで十分です。あなたは無関係だ」


「ですが俺、計算にはそれなりに自信もありますし」


「うちの勘定を外部の者に見せることはできませんよ」


「私は商売敵ではありません。この家のことは口外にしませんので、どうかお願いします、手伝わせてください!」


 俺は必死に頼み込んだ。


 店主は骨の出っ張った顎を二、三掻くと、神妙な目付きで突如尋ねた。


「……米一石を一両として、米300俵はいくらになるか?」


 計算問題だ。少し驚いたが、俺は頭の中でそろばんを弾く。


「120両ですね」


 一石て確か2,5俵だったよな。つまり300俵は120石だ。


「手元に1両24匁あって30匁の品を1両で買ったとき、釣りはいくらで手元にはいくら残るか?」


「釣りは20匁、手元には44匁残ります」


 店主の表情が和らぎ、机の隣の床に軽く手を置いた。


「よし、隣に座ってくれ!」


「はい!」


 俺は浴衣の裾をたくし、本来なら番頭の座るべき場所に腰を下ろした。

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