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第十一章 その3 間に合った!

 どれほどの時間が経っただろうか。


 気がつけば俺は手と足を縄で結ばれ、暗くかび臭い土蔵の中に押し込められていた。


 天井付近の明り窓からわずかに漏れる光が、すでに朝を迎えたことを告げている。


 かすかに水音が一定のリズムを刻みながら聞こえるが、それ以外は人の足音さえ聞こえない。港近くの川辺屋所有の倉庫にでも放り込まれたのだろうう。


 だが不思議なことに荷物は何も置かれていない。米俵や酒樽さえも無く、俺ひとりがぽつんと閉じ込められていた。


「ん、んふー!」


 声をあげようとするが、うまく口が動かない。布を巻き付けて猿ぐつわのように口を塞がれている。


 強がって啖呵を切ってはいたものの、正直なところこんな場所さっさと脱出したい。


 俺は身をよじらせて立ち上がろうとするが、きつく殴られたせいか頭がズキズキして平衡感覚さえつかめない。


「気がついたようだな」


 蔵の重い扉がゆっくりと開かれ、明るい光が差し込んだ。


 まばゆい日光を背に立っていたのは川辺屋江戸支店の主、狐目の升衛門だった。


「吉松さん、喜びなよ。伊豆大島に土地を持っている商人仲間に掛け合ったら、塩浜で一生働かせてくれるってさ」


「ふ、ふぐぐ」


 ふざけるな。そう言いたいが口を縛る布のせいで発音できない。


「出港は明後日、商船で荷物といっしょに乗せていく。それまでは俺があんたの面倒を見なくちゃならねえ」


 そう言う升衛門の手には握り飯が乗っかっていた。白米100パーセントのほかほかと湯気立つそれは、弱りきった俺には仏様の慈悲にさえ思えた。


「どれ、さすがにそれだと食えないだろう。口はほどいてやる。だが、大声を出してみろ、お前の首はすぐにはねとぶぞ」


 升衛門のすぐ後ろには刀を持った男が控えていた。恐らくは浪人の用心棒だろう。


 芋虫のように床をはいずる俺を例の狐目で見下ろしながら、升衛門は握り飯を床に置く。


 手足を縛られたままの俺はその握り飯を貪り食った。


 屈辱的な光景だが、目論見通りならあと2日も我慢すればこの状況を打開できるはずだ。あの黒田官兵衛は1年幽閉されたのだ、それに比べればどうってこと無い。




 2日間、俺はただじっと蔵の中で過ごした。なるべく体力の消耗を抑え、声も上げずただ眠り、時折出される握り飯をかき込んでは再び眠りに就く。


 そしてついにその時は来た。昼過ぎ、食事の時間でもないのに蔵の扉が開けられ、入ってきた升衛門はいつもの用心棒以外に複数の男たちを控えていた。


「おい、船の準備ができた。いよいよ出発だぞ」


「……」


 無言のまま、俺はゆっくりと身を起こす。


「本当に弱音のひとつも吐かねえな」


 もっと抵抗するものだと思っていたのだろう。最初は楽しそうだった升衛門の顔も、時間が経つにつれ面倒くさいとでも言いたげな表情になっていた。


「さあ、こっちに来い!」


 男たちが俺の腕をつかみ、立ち上がらせる。すかさず俺は男の手を振り払った。


 升衛門も目を開いて驚く。今まで従順だった俺が初めて抵抗したのが想定外だったようだ。


「こいつめ、暴れるな!」


 他の男たちも加わり、俺を押さえつける。だが俺は必死に身体を揺らし、全力で抗い続けた。


 まだだ、あと少しでも時間を稼げれば!


「これはどういうことだ!」


 ようやく来た!


 突如蔵の中を鋭い男の声が貫く。


 男たちは皆凍り付いたように動きを止めた。それは升衛門も同じだった。


「と、棟弥……さん!?」


 升衛門が力無くへなへなと座り込んだ。


 蔵に入ってきたのは川辺屋当主の長子、棟弥さんだった。背後にはお供の男たち十人以上を引き連れている。その中には白石屋の手代たちもいた。刀を持った浪人でも、この人数相手では手が出せない。


 棟弥さんが蔵に入る。そして拘束された俺と目が合った瞬間、叫びながら駆け寄った。


「栄三郎さん!」


 そして周りの男たちを突き飛ばし、縄や布を慌ててほどく。


 楽になった俺は全身に新鮮な酸素を行き渡らせんと何度も何度も呼吸を繰り返した。


「申し訳ありません、うちの者が……」


 血の滲んだ俺の腕を取りながら棟弥さんは言葉に詰まる。その目からはぼろぼろと涙がこぼれていた。


「気にしないでください、ここに戻ってきてくださると、信じていましたから。むしろ私から礼を言いたいほどです」


 ぜえぜえと息を切らしながらもにかっと笑って答えた。期待した通りの展開とはいえ、やはりここ数日の監禁は辛かった。


「本当に、申し訳ありません……!」


 棟弥さんは涙を拭き、唇をかみしめた。そして升衛門を鋭く睨み返すと、あまりの剣幕に部屋にいたお供の男たちも皆震えあがり委縮してしまった。


「升衛門、話は全部聞いているぞ。私を商いから引きずり下ろすために回りくどい策を巡らしていたそうではないか!」


「そ、そんな、私は……」


 升衛門は魚のようにぱくぱくと口を開くが、言い返す方法が見つからない。


「別にそれは構わない。だが! ここにいる私の友をこのような目に遭わせたのだけは断じて許せない!」


「ご、ご友人?」


「そうだ、この方は八幡が白石屋の伊吹栄三郎殿だ。この書状を私と、八幡の川辺屋本家と、それから仙台はじめ各地の支店に送り付けたそうだ」


 棟弥さんは懐から一枚の紙を取り出し見せつけた。そこには俺の字で江戸支店の升衛門が棟弥さんを嵌めようとしていること、そして本店の店主の座を奪おうとしていることまで事細かに書き連ねられていた。


 絶句する升衛門とその一派。書状を突き出す棟弥さんの手は怒りにわなわなと震えていた。


 こういう連中の考えることはある程度わかっていた。協力者から情報が漏れないよう、用済みとなれば始末するのが世の常だ。


 それを見越して俺は乗ったふりをした。一方で話を持ち掛けられたその日の内に、各店舗あての書状を作って飛脚で送りつけたのだ。


 飛脚は何人もで荷物を中継し、場合によっては夜通し走ることもあるそうだ。よって江戸から京まで通常なら2週間かかるところも、早ければ3日で荷物を届けることもできたという。


 前日に江戸を発った棟弥さんも、飛脚の足ならすぐに追い越せた。仙台に向かうとなれば通るのは奥州街道、その12番目の宿である小山宿おやましゅく(現在の栃木県小山市)に先回りして書状を渡したのだ。


 急遽Uターンした棟弥さんはほとんど休まずに歩き続けてきたのだろう、服は汚れ目の下には真黒なクマが浮き上がっていた。


「お前たちの企みは皆知っている。バレていると知らないのはお前たちだけだ!」


「そ、そんなぁ」


 放心する升衛門。自分が本家の当主となるはずだったのが、その計画もすべて水の泡になってしまった。それどころか商売の世界から追い出されるのは自分の方になってしまった。策士策に溺れるとはこのことだ。


 その後、解放された俺は棟弥さんたちと八幡に帰ることになったのだった。

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