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第十一章 その2 はめる人はめられる人

「ねえねえ、新酒ってこんなにまずいものなの?」


 店頭で徳利に注いでもらってすぐに、俺は味を確かめたいと一口だけお猪口で酒を飲む。そして思いっきりしかめた顔を気前の良さそうな老店主に向けた。


「そ、そんなはずでは……」


 うろたえる店主が酒を汲んだ升から直接お猪口についで匂いをかぐ。


 目を見開き、急いで飲み干す。震える店主の額には、冬なのに汗が吹き出していた。


「なんだこれは、老香ひねかがひどいし、のど越しも悪い……古酒ではないですか!」


「でしょ、これって今朝届いたばかりの新酒なんでしょ? なんでこんな物が?」


「申し訳ありません。すぐに新酒に詰め替えますので!」


 店主は必死に怒りを抑え、俺に頭を下げた。一見気前が良さそうだが、意外と頭に血が上りやすいタイプのようだ。


「卸問屋が間違えて送って来たんじゃない? ちょっと文句言いに行ってきてよ!」


「は、はい、申し訳ありませんでした! おい、川辺屋に文句言ってくるぞ!」


 新しくついだ酒を俺に渡すと、店主は店の奥にいる妻に声をかけ、そのまま小走りで店を出ていった。


 その背中を見送ると、俺は深くため息を吐いた。


 本当、こういう役って胸が痛くなるな。




 店主が川辺屋に向かってしばらく経った後、俺も向かいの茶屋の軒先から川辺屋の様子を窺っていた。


「棟弥さん、棟弥さんはどこだ!?」


「一昨日仙台に向けて発ったじゃないですか!」


 慌ただしく出入りする店員たち。信用問題にも関わるとあって、今も昔も業務上の大きなミスは命取りなのだ。


「やっぱり大事になってるなぁ」


 茶を飲みながら大騒ぎする店を眺める。本人たちは必死でわからないだろうが、道行く人々も店の様子がいつもと違うのを怪訝に思っているようだ。


「あれ、昨日の人……だよね?」


 女性の声だ。


 振り向くと、いつの間にやら俺のすぐ隣に健康的に日に焼けた若い女性が立っていたのだった。


 そう、昨日浅草寺でおみくじ煎餅を売っていたあのあかねさんだ。


「茜さん! どうしたのですか?」


「ええ、利息分のお金ができたから、店に持ってきたんだよ」


 彼女はそう言って袖の下からちらりときんちゃく袋を覗かせる。


 彼女は先月分の返済をなんとか稼いだらしい。大ヒット商品とはいえ、煎餅だけではなかなかに大変だったろうに。


「騒がしいね、何があったんだい?」


 茜さんも怒鳴り声響く川辺屋のことが気になるようだ。


「よく分からないけど、棟弥さんがどうのこうのって」


 とぼけて無関係を装う。本当は俺も一枚かんでいるのだが。


 聞くなり、茜さんは眉間にしわを寄せて呟くのだった。


「棟弥さんかぁ……あの人はこの店の良心なのにねぇ」


 どうやら茜さんは棟弥さんと面識があるようだ。彼女はぽつぽつと語り始めた。


「この店は元々不穏な噂がたくさんあってね。でも身分問わず金貸しをしてくれるから、結局頼らざるを得ないのが実情なんだよ。煎餅屋の私の家も、父さんが死んで母さんが病気で倒れて、藁をもすがる思いでここに駆け込んだのさ。そしたら棟弥さんが出てきて、最初の3月は利息も返済もいらないからその間に新しい商品を作るなりして店を建て直してくれ、て言ってお金を貸してくれたんだ」


 俺は黙って聞いていた。下手に返事すれば俺の関与も疑われる。


 だがやはり棟弥さんは棟弥さんだった。本家での普段の振る舞いと同じように、支店でも利益を後回しにするほどのお人好しぶりを発揮していたようだ。


「おみくじ煎餅も棟弥さんがいたから作ることもできたんだよ。でも……棟弥さんがいないとこの店の連中は解き放たれた猛犬みたいに振る舞うんだ。本当、あの人がいないとこんなゴロツキ連中の店、誰も頼ったりしないのに」


 今は亡き湖春ちゃんのお父さんがかつては白石屋を支えていたように、川辺屋は棟弥さんあってこそ持ちこたえられているのだ。


 同業者としては正直問題ありだ。だがその人柄に惹かれた人々のおかげで店は存続している。


 そんな彼を店から追い出したらどうなるか、あの狐目の店主は気付いていない。


「そうだ、あなたのお煎餅、本当に美味しいし発想も面白い。実は私、こういう者なのですが」


 居たたまれなくなった俺は唐突に話題を変え、懐から折りたたんだ書状を見せた。役人に発行してもらった商人用の通行手形だ。身分証明書の代わりにも使える。


「白石屋……なんだ、近江の国の商人の方だったのかい」


「ええ。そこであなたのおみくじ煎餅、うちの販路を使って日本中に広めませんか?」


 俺の提案に茜さんはぽかんと口を開けた。思いもしなかった誘いに、思考が途切れてしまったのだろう。


「そんな、小麦で焼いただけの煎餅だよ。ただ物珍しさで売れているだけなんだからさ」


「いえ、おみくじ煎餅はどこに出しても流行ります。これは私が保障しますよ」


 実際に21世紀になってもよく似た商品が残っているのは、その魅力が普遍的なものであることの表れだ。


 おみくじ煎餅が当時としては画期的な発明であることは俺も理解している。食玩という文化の無いこの時代に、子供はじめ大人の蒐集心をもくすぐるアイデア。単価は安くとも中の玩具を変えるなどして継続的に売り続ければ手堅い収入源になる。


 さらにおみくじ煎餅を白石屋名物にできれば、新たに支店を出す際、知名度を利用して身分を問わず強いアピールにもなる。原料も小麦なので地域ごとに極端に手に入りづらいということにもならない。


 しかし同時に浅草の茜さんが本家であるという宣伝も忘れてはいけない。著作権や特許という概念の無いこの時代だからこそ、考案者の生活を守ることが大事だ。ここのあり方についてはこの場で即決せず、より深く話し合うことも必要だろう。


「それに、あなたの家が背負っている借金。これもすべて白石屋が肩代わりします」


 茜さんはぱちくりとまばたきする。


「いいのかい?」


「当然です。その借金以上の利益を生み出せると、私は信じていますから」


 しばしの間、彼女はうーんと考え込んだ。だが、やがてくすっと笑うと「わかったよ」と言って背を向けた、


「母さんに相談してくるよ。うちの店は浅草寺のすぐ近くにあるから、また来ておくれ」


 そう言うと茜さんは川辺屋の暖簾をくぐっていった。しばらくしてやり切ったような笑顔で店から出てきたので、無事に今月分の返済は終わったのだろう。




 その夜、昨日と同じ茶屋に行くと例の面々が待ち構えていた。


「吉松さんのおかげだ、準備は万端、本家と仙台支店にも書状を送った。あれだけのことを書いたんだ、親父さんでも見過ごすことはできない。これで終わりだよ」


 俺は升衛門とサシで酒を交わしていた。さすがはなだから運んできた新酒、喉を通った瞬間の焼けつくような感覚がまったくくどくない。


「升衛門さん、あんた本当に根性腐ってるよ。是非俺にも良い働き口を用意してくださいよ」


「ええ、もちろんですとも。だって……」


 上機嫌に笑っていた升衛門さんが意味深に言葉をためる。


 俺が「……ん?」と顔を近づけると、彼は狐目を大きく見開き言い放った。


「最高の働き口を見つけましたからね!」


 そして極めて悪魔のように笑うのだった。


 直後、ふすまが勢いよく開けられ、大勢の男たちが部屋になだれ込んだ。


 連中はすぐさま俺にとびかかり、俺は抵抗する間も無く簡単に組み伏せられてしまった。


「升衛門!」


 頭を押さえつけられながら、俺は吼えた。


 畳にこすりつけられる目から見た奴の顔は、笑いに歪んでいた。


「あんたは俺に協力してくれた。それについては心から感謝している。お礼に伊豆大島の塩浜(塩田)に連れて行ってやろう」


「なるほどね、最初から俺も口封じするつもりだったんだな。あんたに力を貸した俺が馬鹿だったよ」


 へへっと笑って返してやった。気に入らなかったのか、升衛門はむっと口を曲げる。


「人聞きが悪いな。俺は約束通り、あんたの働き口を用意してやったんだぜ」


「それはご苦労様、食いっぱぐれることは無さそうだね。ところで伊豆大島には面白いものはあるのかい? 遊郭とか」


「あそこは法に反した連中の流刑地だ。そんな華やかなものはないが、まあ死なない程度に面倒は見てもらえるだろうよ」


「船はいつ出るんだ? せめて優雅な船旅を所望したいところだね」


 一向に減らず口を繰り返す俺に升衛門は徐々に本心を露わにする。口調が荒くなり、表情は一切変えないものの、こめかみがぴくぴくと脈打っていた。


「3日後だ。それまではおとなしくしといてもらおう。おい!」


 升衛門がそう言った途端、俺の後頭部に脳みそを揺らすような衝撃が走り、俺の視界はそのまま暗転したのだった。

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