第十章 その3 浅草寺名物? おみくじ煎餅
江戸を発つ前日、俺たちは浅草まで足を伸ばしていた。
「おい、こっち来てみろ、おいしそうな団子があるぞ!」
「なんだこのからくり? 京でも見たこと無いぞ!」
多くの人が行き交う中、白石屋の若い手代たちは美味そうなにおいと豊かな色彩にあっちこっち目移りしていた。
浅草寺前の参道には商店や屋台が立ち並び、大いににぎわっている。近隣の住民は寺に世話になる代わりに、この広い参詣道で商売を行うことを特別に許可されていた。これが後に規模が大きくなり、やがて世界中から人の集まる一大観光地へと変貌したという。
「ここは今も昔も人が多いな」
先を行く手代たちの後を、俺はのんびりとついていった。時代は違うとはいえ現代でもなお同じ雰囲気を醸し出すここは、東京生まれ東京育ちの俺にとって故郷のような郷愁さえも感じさせる。
「雷おこしは……まだ売っていないのか」
例の超有名銘菓を探すものの、それらしいものはどこにも売っていない。この時代はまだ考案されていなかったのだろう。
そもそもこの時代、雷門にはあの提灯さえも下げられていないのだ。あの大提灯が最初に奉納されたのは1795年、さらに100年も後のことだ。
現代では古くからの情緒あふれる下町の代名詞のような場所だが、元禄時代は遊郭も置かれ、身分問わず多くの人でにぎわう熱気にあふれた町だった。
「わあ、おもしろい!」
境内の一角に子どもたちが集まっていた。どうやら小さな屋台のようで、青い着物の若い女性が切り盛りしているようだ。
「ひとつください!」
「僕も!」
子どもたちが惜しげもなくなけなしの小遣を屋台の女性に突き出すと、女性はよく通る威勢の良い声で「はい、いつもありがとうね!」と言って商品を渡すのだった。
片手でつかめるサイズの小さなお菓子のようだ。煎餅のように硬いもののようだが、外見はおにぎりのような膨らんだ三角形をしていた。
「変わったお菓子だなぁ」
「お兄さんも買っていくかい?」
売り子の女性が俺にウインクを送る。俺と同い年くらいだろうか、湖春ちゃんより大人らしく社会の荒波もなんのそのといった気概に溢れていた。
「旅の人かい? うちの煎餅は他とちょっと違うから是非食べておくれよ」
「へえ、どんな風に?」
せっかくだしな。興味半分で俺は子供に混じる。
「ふっふっふ、それは買ってからのお楽しみ」
「商売上手だなあ。じゃあ1枚」
「はいよ、8文だよ」
現代価格に直すと300円以上、少し高いな。子どもにとっては痛い出費だろうに、どうしてこんなに集まるんだ?
受け取った菓子は外見は硬い煎餅のようだが、中は空洞のようで意外と軽い。
だが気になることは他にあった。
「なんか音が鳴ってるね」
振ってみると、中から乾いた音が聞こえる。そこまで響きはしないが、硬い煎餅がこれまた硬い別の何かを包んでいるのは明らかだ。
「一口いってみなって」
「じゃあ、いただきまーす!」
女性にすすめられ、俺は一口茶色の煎餅をかじる。
結構な量の砂糖を使っているのだろうか、小麦でつくった生地には優しい甘さがあり、噛みつけばすぐにパリパリと崩れた。
そんな煎餅に穿たれた穴から、親指の先ほどの小さな物体が顔を出す。俺は煎餅のカスと一緒に転がり落ちそうになっているそれを慌てて受け止めると、じっと目を凝らして確認する。
「木彫りの……人形?」
煎餅から出てきたのは小さな仏像のような木製の人形だった。一流の職人の掘ったような精密さは無い粗削りなものだが、小槌を持った福の神のような人形だ。
「あ、それは大黒様じゃないか! 大当たりだね」
途端、子供たちが「いいなー」と羨望の眼差しを俺に向けた。
「え、大黒様って、七福神の?」
俺は訊き返す。
「そうだよ、うちの煎餅はおみくじ煎餅。大黒様や恵比寿様、七福神の人形がひとつ煎餅の中に入っているのさ」
「そうか、それでコレクター魂がくすぐられて大人気なわけか」
「これくた? どこの言葉だい?」
「いえ、地元に伝わる古い言葉ですよ」
射幸心をあおっているな。男の子は特にこういうコンプリート要素があるのは好きだろう。
そして同時に思い出す。そうだ、これは庄内名物のからから煎餅の前身なんだと。
かつて煎餅の中に木彫りや粘土製の小さなおもちゃを入れて販売することは広く行われていたらしい。いわゆる食玩によく似ている。だが昭和時代にはその風習も廃れ、今では山形県の庄内地方でからから煎餅が作られる程度だという。
「お姉ちゃん、俺にもちょうだいよ!」
「はいよ、待ってな」
別の子どもたちも次々に煎餅を買い求める。中には良い年の大人も混じっていた。
「大人気だね、これは景気も良さそうだね」
煎餅屋という小売りではあるが、これを考案した人は相当なアイデアマンだ。白石屋に招き入れたいくらいだ。
「うーん、そうとは限らないんだけどね」
苦笑いする女性。その時、男の声が群集のざわめきを黙らせる。
「茜ちゃん、こんな所にいたのか!」
煎餅売りの女性の手が止まる。人を掻き分けてやって来たのはやたらと体格の良い男たち3人。そしてその後ろには上質の染め物を着込んだ狐のような目の若い男。
一見して良い人々ではないと直感的に分かるほど、典型的な悪人面の一行だった。
「ちょうどあんたを探していたんだ。家にいないと思ったら、ここで商売していたとはなあ!」
屋台に集まる子どもたちを手で払いながら、大柄な男が茜と呼ばれた煎餅売りの女性に詰め寄る。
「茜ちゃん、師走に入ってもう何日経つ? 先月分の利息、まだ返してもらった記憶が無いんだが?」
茜さんは手にした煎餅を置き、慌てて頭を下げた。
「そ、それは申し訳ありません。ですが先日お話ししたように、明日には利息分は売上もたまるはずです。どうかもう一日だけ、お待ちください」
「おいおい、冗談はよしてくれよ。俺たち金貸しだって苦しいんだぜ。約束の期限は絶対、こんなの子供だってわかることだろ?」
茜さんが目を丸くした。思考がストップした、まるで不意を突かれた表情だ。
「ですが、ついこの前そうお許しをしてくださったではありませんか?」
「はて、そんな話し、聞いたかな?」
体格の良い男たちが道を開け、狐目の若い男が前に出る。
「て、店主さん!?」
店主と呼ばれた若い男は狐目だけを笑わせながら、懐から一枚の紙を取り出す。
「この証文には毎月月末までに利息分は払うと明記されているのに、おかしいですな。あなた直筆の署名もありますのに。いやあ、毎日忙しいせいで、文書で残してもらわないとすぐ忘れてしまうのですよ」
「そんな、騙したのですか!?」
茜さんは震えながら尋ね返す。男たちは噴き出しながらも必死で笑いを堪えている一方、狐目の店主は表情ひとつ変えず茜さんの目の前に証文を突き付ける。
「騙していたなんて人聞きの悪い、口約束じゃ俺たちも困るって言ってるんだ。さあ、今すぐ払ってもらおうか!」
口調が一変した。茜さんは多くの人の目の前で何度も頭を下げる。
「お許しください、今は手持ちもありません、明日になればなんとか……」
「それじゃあ煎餅焼きの型をもらおう。売れば結構な金にはなるからな」
「そんな、それが無ければ明日を生きることもできません!」
「知ったことか、約束を破ったあんたが悪いんだ。川辺屋を舐めるなよ」
え、川辺屋だって?
男の口から出た名前にびっくらこいて、俺は硬直してしまった。
川辺屋って、八幡の悪徳商家のあの川辺屋のことか?
たまたま同じ名前なのか、それとも江戸支店の連中か?
そんな俺の視線を感じたのか、取り巻きの3人の男たちは一斉に俺を睨んだ。
「なんだ兄ちゃん、文句あるか?」
ぎろりと視線を向ける男たち。
普通なら無関係を装いたいところだが、これは川辺屋の内情を探る良いチャンスかもしれない。
「大ありだよ、そんなせこい商売して。表向きは了解したようにして、返せないであろうギリギリの日まで待ってから、借金を残しながら少しでも多く奪い取ってやろうと考えていたんだな」
最近店の会計を任されていたせいで、こういう悪いことを考える奴の思考がなんとなくわかってきた。
当てずっぽうだったが、どうやら大正解だったようだ。男3人は目を見開くが、狐目の男はにたりと笑って俺を向きなおす。
「何を知った風に。これ以上調子に乗ると痛い目に遭うぞ」
「よしな!」
太い腕を振り回す大男たちを、狐目の男は一言で制する。
立ち止まる男たちの脇をすたすたと歩み出て、狐目の男は俺の真正面に立った。
「兄さん、肝座っている上に良い勘しているね。この女はあんたに免じて見逃してやるから、どうだい、酒でも一杯」
「いいぞ」
俺は頷き返した。
「よし、じゃあ来てくれ。良い店を知っているんだ」
背を向ける男たちに、俺は黙ったままついていった。
「ありがとう……」
すれ違いざまに茜さんが小さく礼を言う。俺はさらに小声で「気にしないでください」とだけ返した。
「サ、サブさん!」
騒ぎを聞きつけて手代たちが駆けつけたが、俺は指を口に当て「しーっ」とサインを送った。




