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第十章 その1 商人お江戸でござる!

 寒風吹く師走の上旬。地球全体が小氷期であるこの時代の身を切るような冷たい空気は、21世紀を生きる俺にとってかなり堪えた。


 しかし町人にとってこんな寒さは屁でもないようで、それよりも今日の仕事に忙しく走り回るのだった。


 特にここ江戸の日本橋は大商人の店が居並ぶとあって、身分問わず多くの人が行き交っている。


「さあさあ皆様、此度遠き近江の地より、天下無二の名品が生まれたよ!」


 そんな商家街の一角で、威勢の良い声を張り上げる男がひとり。ここに店を構える食器の小売り商の男で、普段は飛騨の椀や瀬戸物を売っているが、今日はいつもと様子が違った。


「普段使いに最適だからと上方で大人気のこの日野椀が、京の名蒔絵師尾形光琳の技でと合わさって江戸にやって来たぞ! 朱の漆を彩る金銀の蒔絵、この美しさは紀州徳川様のお墨付きだ!」


 人々が足を止め、一斉に群がる。


「なんと、あの大名の? 親父、ちょいと見せてくれ!」


「あら、本当にきれいな形じゃないか。家族全員分買わなくちゃね!」


 光琳さんの日野椀はたちまち江戸で大ヒットした。


 江戸人の気質はどちらかというと見栄っ張りで流行に弱い。各地から人々が集まり肥大化しつつある大都会では、田舎者扱いされるのが何よりも嫌われた。


 よって自然と流行に敏感になり、多少無理をしてでも意地を張るようになってしまった。結果としてブランドを創出して流行を生み出せば、商人は大きな利益を得られるのだ。


 俺はこの「京の名工の作」と「紀州徳川家お墨付き」の二点を前面に押し出し、日野椀をプロデュースした。都民として生きた20年ほどの経験から、こういう風に売り出せば客も集まるのではないかと予測したのだが、それは大当たりだったようだ。


「いやあ、この日野椀が飛ぶように売れましてね」


 店主はホクホク顔で俺たちに茶を出す。


 江戸にはこれまでももぐさを卸していたが、艾では単価が低く堅実ではあっても大きな収益にはならなかった。その点日野椀なら強気の価格設定であってもブランドの力で売り上げは期待できる。


「武士はもちろん裕福な商人からも是非使いたいと注文が殺到しているのですよ。おかげでうちは創業以来の大繁盛です」


「いえ、旦那さんの口上のおかげですよ。お客さんの心をガッチリ掴むのは、日頃からお客に接しているからこそできる技です」


「はっはっは、うまいことを仰る。この日野椀自体が良い物だからこそここまで売れるのですよ。粗悪な品は一時の流行は作れても、長続きはしません。保証します、この日野椀は絶対に定番になりますよ!」


 その後しばらく話してから、俺は店を発った。


 八幡とは桁の違う通行人の数に町の規模。そんな江戸に俺は手代の若者数名といっしょに来ていたのだった。


 全員が日野椀を満載にした背負子を背負い、それぞれ手分けして各地の小売店に売り込んだ。


 俺が営業をかけた店もだが、彼らの協力のおかげでこんなにも早くブームが生み出せたのだ。手代を率いる番頭として、皆には感謝している。


「せっかくだし、今日はお土産を買って帰ろう」


 宿で落ち合うまではまだ時間もある。俺はちょうど目についた饅頭屋に入った。


「いらっしゃい!」


 饅頭売りにふさわしい丸々とした見た目の女将さんが俺を出迎える。店先まで蒸気が立ち込めていることから、奥では旦那さんが今まさに饅頭を蒸しているのだろう。


「この酒饅頭を8つ、持ち帰りで。ついでにもうひとつ、ここでいただきます」


 普段は倹約に徹しているのだ、これくらいの買い食い、許してもらえるだろう。


 女将さんが饅頭を包んでくれている間に、俺は店先に置かれた縁台に座る。買ったばかりの饅頭を一口かじると、あんこの優しい甘味がじわっと広がる。


「うーん、おいちい」


 この時代は甘味が大変貴重だ。俺はこの至福の時をゆっくりと味わった。


「すみません、お隣失礼します」


 他の客だろうか、不意に声をかけられる。少し自分の世界にトリップしすぎて周りが見えていなかったようだ。


「ええどうぞ……て、ああ!」


「へ、ああ!?」


 顔を合わせた途端、俺と相手は仰天した。


 爽やかなマスクの好青年。だがその顔はよく知っている。


「棟弥……さん? 川辺屋の」


「そういうあなた……白石屋の栄三郎さんじゃありませんか」

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