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第六章 その4 信仰の村

 皆が静まり注目する中、田助は強く話し続けた。


「いいかい、切支丹キリシタンの使う道具をよく思い出してみなよ。連中は十字架クルスを仏様のように崇めるんだが、その細工をよく見てみなって。どこにも十字が無いじゃないか」


 肥えた役人が手に提げたシルバーアクセサリーを指差し、田助は言い放った。


 確かに俺のシルバーアクセサリーは一見わかりづらいが、鳥の羽をモチーフにした形状をしている。一見すると何の形かはわからないが、少なくとも十字には見えないはずだ。


「ふん、それならばこれは何だ? 誰か説明できるのか?」


 役人は鼻息を荒げ訊き返した。


「それは私がオランダ船の知り合いから長崎でもらった銀の飾りです」


 俺はすかさず名乗り出た。目を真っ赤にした湖春ちゃんが、乞うように俺を見つめる。


「私は近江の商人です。それは長崎へ行った時に知り合いからオランダの工芸品だと言われて頂いたものでして、それを彼女にあげたのですが、ずっと持っていただけなのです」


 だが役人はさらににたにたと笑う。


「異国の品だと? 余計に怪しいではないか、きっと切支丹を増やそうと企む者どもの策略だな」


「お待ちください、オランダは切支丹を広めようとしない純粋な貿易をしたいからと徳川様も貿易を認められたのでしょう? それでは約束を違えることになりますし、もしそれが明るみになれば最早藩だけの問題ではありませんよ?」


 俺は一歩、前に進み出た。脇に控えていた武士が刀に手をかける。


 怖い。いつ斬られてもおかしくない。


 でも湖春ちゃんはもっと怖いんだ、これくらいで下がっていられるものか。


 そこに田助さんも助け船を出す。


「そもそも切支丹の連中がバレたら殺されるかもしれないというのに、わざわざ大切な物を持って歩かないでしょう?」


 役人は言い返す言葉が浮かばないようで、「うむ」と小さく頷いた。


「大体お侍様、その娘は近江、それも八幡の者だそうではありませんか。あそこは幕府の直轄地、藩がその地の人間を捕まえて取り調べて、もしも違ったらどうするおつもりですか?」


 他の農民たちも加わる。


 そして役人は残念そうに農民たちを見回すと、髷を結った頭をポリポリと掻いた。


 藩としても農民の作る米は大切な収入源であり、無闇に処刑して回ればその分だけ生産力が落ちてしまう。ここで村人たちをまとめて捕まえて、後で損をするのは自分たちなのだ。


「……どうも分が悪いようだ。では簡単にこれだけさせてもらおう」


 そう言うと肥えた役人は足で地面に絵を描き始めた。


 やがて完成したのは大きな十字架だった。


 単に土を掘り返して描かれただけの簡易なものだが、でかでかと広場の中央に切支丹の祈り拝む依り代が現れる。


「娘、これを踏め。そして自分の信ずる寺社を名乗りながら、これを足で消すのだ」


 役人はくいくいっと指で示すと、湖春ちゃんは強くつかまれていた腕を離される。


 そして描かれた十字架の前にゆっくり立つと、泣き叫びながら強く踏みつけたのだった。


「わ、私は八幡の日牟禮ひむれ八幡宮はちまんぐうに毎日お参りに行っているのよ、切支丹なんて、全く関係ない!」


 土埃を上げながら掻き消えていく十字。


 そこに見ていた村人も駆けつけ、一緒になって踏み始めたのだった。


「そうだそうだ、何が十字架クルスだ。ここは日本だぞ、変な教えを持ち込むんじゃない!」


 田助が叫ぶと皆が「そうだそうだ!」と声を揃えた。


 ほんの短い時間だったが、バカ騒ぎが山に響く。そしてついには元の十字架は完全に消え、広場は村人たちの足跡ですっかり覆われてしまった。


「ふうむ、どうやら本当に切支丹ではないようだな」


 役人は吐き捨てた。


「まったく、あやふやな情報を寄せる者もいたものだ。ほら、これは返そう」


 そう言ってシルバーアクセサリーを地面に投げて返すと、彼らは何も言わずに帰って行くのだった。


 その背中が見えなるまで村人たちは「切支丹なんかこの村にいるか!」「俺たちを疑うんならまずは自分のお仲間から疑ってみろってんだ」などと口々に騒ぎ続けていた。


「湖春ちゃん、大丈夫?」


 拾ったシルバーアクセサリーを手に、地面に座り込んでいた湖春ちゃんに俺は駆け寄った。


 相当怖かっただろう、湖春ちゃんはガタガタと震えながら俺に抱き着いてきたので、俺は内心ドキッとしたものの安心させるよう背中を軽く叩いた。


「サブさん、巻き込んじまってすまなかったな」


 そんな俺たちに田助さんが近寄り、なんと頭を下げたのだった。


「いえ、むしろ僕たちの方が謝るべきですよ。本当にご迷惑をおかけしました」


「違うんだ、あいつらは俺たちがいつか尻尾を出さないかと見張っているんだ」


 田助さんはちらりと後ろを振り返る。


 ふと見ると村人たちは足で消した十字架をもう一度書き直していた。そして手を組み、祈り始めたのだ。


「主よ、お許しください……」


 その姿を見て俺は雷に打たれた気分だった。


「まさか?」


「ああ、勘の良いあんたならもう気付いただろ。俺たちは切支丹なんだ」


 隠れキリシタンと言えば九州が有名だが、こんな信州の山奥にも生活していたのか!


 意外に思うかもしれないが、長野県内にはマリアを象った地蔵や観音像など、隠れキリシタンの存在を思い起こさせる遺物が多く残されている。思い通りにならない厳しい自然環境に囲まれた人々は、異国の新たな教えにすがったのかもしれない。


「そんな、なぜ湖春ちゃんを助けてくれたのです? 下手したらあなたたちも危ないのに」


「俺たちは切支丹だ。バレて死んでしまったらその時はその時、来世では救済される。だから無関係の人間が巻き込まれるのを見て、黙っていられなくなったんだ」


 言い返す言葉も無かった。


 ただただ、「ありがとうございます」とそろって頭を下げるしかその意に応えることはできなかった。


「いいんだ。その代わり俺たちの蔓細工を広めてくれ。そうしてもらえると俺たちも助かる」




「このぬか漬けって本当に美味しいのね」


「でしょ? あと20日もすればぬか床も熟成されるはずだから、その時になったらたくさん野菜を漬け込んでね」


 すっかり元気を取り戻した湖春ちゃんは村の女にぬか床の作り方を伝授していた。


「京の麩もいいな。越後からたまに麩を売りに来る行商がいるが、それとはまた味が違う。本当にこんなのもらってもいいのかい?」


「かまいませんよ、皆さんは命の恩人なのですから」


 ここまで持ってきた焼き麩も料理にして村人たちに振る舞う。残った物は冬場の食糧として村の共有倉庫にしまってもらった。


 正直ここまで運んできた米ぬかと焼き麩を手放すのは惜しかった。だが彼らに受けた恩は商品どころでは代えられない価値があるし、これから良質のアケビ蔓を売ってもらえるのだから長期的に見れば村との関係が構築できただけでも十分お釣りがくるだろう。


「ありがとうよサブさん、これで今年の冬は楽しく過ごせそうだ」


 田助は麩の汁物をすすりながら笑った。


「ええ、これからも長いお付き合いをよろしくお願いしますね」

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