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第五章 その4 はじまりはいつも琵琶湖から

 八幡堀と琵琶湖は水路でつながっており、小さな船ならば町中まで船をつけられる。


 この水運の容易さが、八幡を商人の都として栄えさせた要因であることに疑いは無い。


「うわ、すごい量。サブさん、また何か企んでるの?」


 俺を迎えに船着き場まで来ていた湖春ちゃんは、満載された樽や袋を見て声を漏らした。


「うん、これを売りに長野……いや、信州まで行くんだ」


 角度を整えながら接岸する小舟から振り落とされないよう、俺は揺れる船体につかまりながら答えた。


「信州にお客様なんていたかしら?」


「いや新規開拓だよ。これ、漬物(つけもの)なんだ」


 船頭が縄を船着き場にくくりつけている傍らで、俺は木製の樽をこんこんと叩いた。


 俺の閃いたアイデアとは、山間部に各地の漬物を売り込むことだった。


 保存食として日本各地で発展を遂げてきた漬物だが、この時代はまだ商品として全国的な販路は整えられておらず、せいぜい大消費地の江戸へ運ばれている程度だった。


 ゆえに地方では自給自足がほとんどで、交通の遮断される山間部では限られた食糧で厳しい冬を乗り切っていた。


 そこに俺は商機を見出した。地方の人間だって漬物にバラエティを求めてもいいじゃないかと。


 一言に漬物と言っても、地域ごとに様々な種類があるのはご存知の通りだ。特に京、大坂は古くから漬物文化が根付き、その種類も風味もバリエーションに富んでいる。京都を訪れたことのある方ならば、千枚漬けにすぐき、さくら漬けなどその種類の多さに驚かれた経験もあるだろう。


 白石屋も最近はもぐさと反本丸の売り上げともに好調で、新たに何名か男手も雇うことができた。俺が店を空けても人手に困ることはない。


 そんな状況なので思い切って俺自身、ちょっくら遠くまで冒険に出てみようと意を決したのだった。


 店主から許可をもらい、大坂、京と遣いに出た帰りに大量の漬物を買い込んだ俺は、一旦八幡の町まで戻ってきた。


 ここから再び琵琶湖を北上し、美濃、信濃の山間部を歩いて漬物を売り買いしながら金を稼ぎ、顧客を増やそうというのが狙いだ。


 道中めぼしい品を買い足していけば、新商品の活路も開ける。


 問題は美濃も信州も、つまりは現代の岐阜県も長野県も内陸部の山がちな土地のため、大八車でも運搬が難しいことだ。


 その時には地元の運び手を雇いながら資金を切り崩しつつ運ぶしかない。


「漬物売りなんてよく思いついたわね」


「雪国じゃあ漬物が生命線だからね。ほら、こんなのも買ってきたんだ」


 俺は荷物の中から一本、野球バットのような見た目の物体を湖春ちゃんに手渡す。


「これって、お()じゃないの。これも売るの?」


 懐疑の目を向ける湖春ちゃんに俺は頷き返す。


 味噌汁にも使うあの麩だ。上方では麩も食文化に根付いている。


 実験的に、漬け物以外にも売れそうだと思った物は少量でも買い込んでおいた。もし好評なら次の機会に大量に持ち込めばいい。


「焼いてあるのは日持ちするからね。貴重なたんぱく質源だよ」


「たんぱくしつ?」


「いいや、こっちの話だよ」


 日本語だとついうっかり未来の言葉を口に出してしまう。会話には気をつけないとな。




 一旦積み荷を倉庫に預け、俺は白石屋に戻った。出発は明日、改めてぐっすり眠ってから長旅に出る。


「1ヶ月は見ておくべきでしょう。その間店のことは忘れて歩き回ってください」


 店主は俺に酒を注いだ。普段は食事も倹約しいているのに、今日ばかりは奮発している。


 今日はもぐさの件で医者の宗仁さんが訪ね、一緒に夕食をとっていたからかもしれない。


「いいなぁ、私も行商についていきたい」


 湖春ちゃんが羨望の目でこちらを見るも、それを父は笑って返す。


「行商は体力が第一だ、女子供には辛いぞ」


「あーあ、つまんないなぁ」


 むすっと頬を膨らませ、湖春ちゃんはご飯をかき込んだ。


 そんな店主の娘をずっと怪訝な様子で見ていた葛さんが、不意に口を開いた。


「湖春さん、女は家を守るものですよ。そう易々と旅に出ようと言うものではありません」


 湖春ちゃんが口一杯のご飯を一気に呑み込み、口をすぐさま尖らせる。


「だってぇ、みんなそこら中に行商に出ているのに私ってば近江から一歩も出たこと無いのよー」


「昔、京に行ったことあっただろ?」


「まだ5つじゃないの。もう忘れたわよ」


 父の言葉さえも軽くのけてしまう。彼女の旅に出たいという想いは相当だ。


 その時、黙々とご飯を少しずつ修行僧のように食べていた宗仁さんも口を開いた。


「その昔、斎王と女官たちは京から鈴鹿の山を越えて伊勢まで歩いたそうです。警護さえあれば女の方でも歩くことはできると思いますよ」


 何気ない呟き。だが湖春ちゃんが食いつくには格好すぎる餌だった。


「本当に!?」


 黄金色に輝く瞳に、宗仁さんは苦笑いして「ええ、私はそう思いますよ」とフォローする。


 葛さんは余計なこと言いやがって、とでも言いたげに宗仁さんを睨み付けていた。




 翌朝、船着き場に着いた俺は驚きすぎてそのまま堀に落ちてしまうところだった。


「遅かったわね、さあ行くわよ!」


 足袋を履いて竹製の小振りな葛籠(つづら)を背負い、旅の準備もバッチリな湖春ちゃんが船の前に立っていたのだ。


「ちょっとちょっとちょっとぉおおお! どういうことよ!?」


「昨日お父ちゃんを説得して、私もサブさんの行商に同行してもいいってことになったのよ。安心して、迷惑はかけないわ」


 既に不安なんですけど。


 それに説得って、明け方まで駄々をこね続けたあれのことか?


 たしかにあのままだと店主が神経症になってしまうところだったが。


 その後しばらく言い争いが起こったが、湖春ちゃんの押しに勝てる筈もなく、俺は渋々同行を認めるのだった。


「さあ、行くわよ!」


 既に荷物を載せた船に俺たちが飛び乗ると、船頭は縄を外して櫂を漕ぎ始めた。


 目指すは日本の屋根、日本アルプスだ!


 なおその後、思った以上に揺れる水面に四苦八苦している俺の隣で湖春ちゃんは終始爆睡しており、上陸の頃にはすっかりやつれ果てていた俺とは対照的にピンピンしていたのだった。

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