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第四章 その4 ドラ息子段平

 俺たちは庄屋の息子、段平だんぺいに招かれて茶屋の一室に通された。


 彦根の町の大通りを行き交う人々を見下ろせる一等地、この場所を借りる金を段平さんは躊躇なく払った。


「親父はうちの反本丸へんぽんがんに自信を持っている。でもどういうわけか広く売り出そうとは思っていないんだ」


 段平さんが女将に「いつもの」とだけ注文すると、こいの洗いや大豆と小エビを一緒に煮詰めたエビ豆など、豪勢な料理が次々と運ばれる。


 俺も白石屋の店主も目を丸くしていたが、段平さんは下品に鯉の刺身を噛みながら話していた。


「それは何故です? 牛肉の流通は少ないのでうまくいけば大儲けもできるのに」


 俺は申し訳ない手つきでエビ豆に箸を伸ばし、ぱくっと一口飲み込んだ。


 甘辛い風味に柔らかい大豆とパリパリの小エビの食感が合わさり、絶妙な美味しさを演出している。


「獣の肉を食べるのに抵抗を感じない人間の方が少ないだろ。親父はそんな人が多い中で肉を売ることに疑問を持ち始めているんだ。いくら美味いから、仏さんの見ていない所ならいいからと言っても、ここ最近は自分で反本丸を作っても食おうとさえしない」


 段平さんはお猪口に酒を溢れんばかりに注ぐと、それを一気に飲み干した。


 未来なら俺たち現代人は全員地獄行きだな。


 そんなことを考えながら俺はこいの洗いも一切れ、口に運んだ。たいにも似た味と食感、酸味の利いた酢味噌が良いアクセントになっている。


 絶品のこいに頬を落としそうになっている俺の隣で、白石屋の店主は酒を一口飲んで尋ねた。


「しかし長いこと牛を飼っているのに最近になってそんな風に考えるとは、妙ですね。何か心変わりのある出来事でもあったのでしょうか?」


「直接的な原因はわからん。でもな、大昔から獣の肉は食べられてきたのに、今になって禁じるなんて馬鹿馬鹿しい、俺は反本丸でこの国の食生活を変えてやろうと思うぜ」


 くっちゃくっちゃと鯉の身を噛みながら段平さんがぐっと拳を固める。


 同時に、ふすまが開けられて女中が入ってきた。


「お待たせしました」


 女中は大きな皿を俺たちの前に置いた。


 それはじゅうじゅうと湯気を立てる牛肉、かの反本丸へんぽんがんだった。


 このサプライズには店主も「おおっ」と小さな歓声を上げ、段平も得意げに笑ってみせる。


「ここの茶屋も表立って謳っていないが、お得意様には牛肉を用意してくれる。親父は地元の客相手の店にだけなら卸すのだが、それだけではもったいない。あくまで薬として得意先にだけでも売り込めば、相当な儲けができると俺は思うんだけどなぁ」


「実は私も同じようなことを考えていたのです」


 俺が身を乗り出すと、段平は「ほう、どういうことを?」と尋ね返した。


「私たち白石屋は古くから各地の役人や有力者との付き合いもあります。今でもご愛顧してくださるお客様も多く、私たちの勧めるものならとすぐに買ってくださる方もいます。そういった方にのみお取り扱いしようと考えていたのです」


 段平はふむふむと頷く。


 さらに白石屋の店主も加わり、説明を続けた。


「私たちは基本的に卸売りが専門ですが、反本丸に関しては信用できるお客様が賞味する目的でのみ売り込むつもりです。幕府からお咎めがあっても、私たちが販売を自粛すれば全国への流通は抑えられましょう」


 段平はにたっと笑うと、その弾力のありそうな腕で徳利を掴み、俺たちの前にすっと差し出した。


「白石屋さん、是非とも一緒に反本丸をこの世に広めましょうよ!」


 俺は躊躇なく頷いた。


 だが白石屋の店主は「その前に」と一言付け加え、手で酒を拒んだ。

 

「私も賛同は致します。ですがお父上のご意向は決して損なわぬように。これは老いぼれからの忠告ですよ」


「当然ですとも。なぁに、親父だっていざ大金が入れば目の色変えますよ」


 そう言って段平は店主にも酒をすすめるのだった。




 その夜、俺と店主は近くの宿に泊まった。


 段平さんが宿代も払うと言ったが、さすがにそこまではと断わり、店主と布団を並べる。


「栄三郎さん、庄屋さんのことですがね、私はお父上が首を縦に振るまではこの話には乗らないべきだと思うのですよ」


 布団に寝ころんだまま、店主はぼそっと話しかけた。


 俺は「どういうことですか?」と身を起こして聞き返した。


「この歳になるとですね、死というものがすぐ近くまで迫っているようで、いかに合理的な理由があろうと譲れないものが出てくるのですよ。病にかかった我が身ゆえに、庄屋さんもどうも同じような理由があるんじゃないかと疑ってしまうのです」


「そうですね、あの段平さんじゃいささか不安です。お父上から許しをいただけるとはとても」


「それは私も同感ですよ」


 俺たちは互いに顔を見合わせて苦笑いした。


 あの段平という男、相当なドラ息子だろう。父親もかなり手を焼いているはずだ。


 しかし庄屋との頼れるパイプであることに変わりは無い、彼には悪いができる限り利用させてもらおう。


 店主は布団の中でさらに話す。


「だからこそ情報を集めましょう。床の間の掛け軸に書かれていましたが、あの庄屋は清凉寺を菩提寺としているようです。明日、訪ねてみましょう」

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