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第四章 その1 丁稚のサブさん!?

「ふふふーん、ふーん♪」


 上機嫌な鼻歌交じりで、湖春ちゃんは丁寧に茶碗を拭いていた。


 例の大越の茶碗だ。川辺屋に売り払ったものが、本日めでたく白石屋に戻ってきたのだ。


「川辺屋さんには感謝しないとね、あの時お金を貸してくれたから立ち直ることができたんだもの」


「う、うん、そうだね」


 俺は目を逸らしながらうそぶいた。


 湖春ちゃんは一連の裏事情を知らない。ただ水運商が積み荷を横領した、と知らされているだけだ。


「ところで栄三郎さん、あなたいつまでここにいるの?」


「うん、もう少しね」


 実は昨日の夜、俺は女神の許可を受けて白石屋の店主には事情を話したのだった。




 月も出ていない夜、座敷にて俺は店主さんにすべてを話した。


「なんと……栄三郎さんは300年後から来られたと?」


「はい、日牟禮八幡宮の比売神様のお力を借りて、この元禄時代に遡ったのです」


「そうですか……妙だとは思っていたのですが、これで合点が行きますな」


 意外とすんなり受け入れられた。


「私は病を患っていて、持ってもう2月。店と娘が何より気がかりです。毎日八幡様に祈っていたのですが、それが実ったのですね」


 店主は自分の死期を悟っていた。


 この町の人々は驚くほどに信仰に篤い。いかに経営が苦しかろうと、神仏への寄付には出し惜しみしないのだ。


「ええ、それでこれからこの白石屋は――」


「栄三郎さん、それ以上は言わないでください」


 店主は手で制した。


「本来の歴史ならば白石屋は無くなるのでしょう。おおよそのことは言われなくてもわかります。ですが結果を先に知ってしまえば私たちは慢心してしまいましょう。最善の明日を迎えるためにも、10年後100年後のことは知らない方が良いかもしれません。ですが栄三郎さん、今しばらく私たちにご協力お願いできませんか?」


「喜んで。私はそのためにここに来たのですから」


 そして俺はこの店に迎えられた。まずは下っ端、20歳の丁稚として。




「おう新入り、おいらよりも年上だからって威張るんじゃねえぞ」


 俺の先輩、11歳の丁稚の吉松が裏庭にてふんぞり返る。


 いるよなーこういう男の子。


 今年の春に修了した小学校の教育実習でもこういう子、クラスに一人は絶対いたよなー。


「よろしくお願いします、吉松さん」


 こういう生意気な子には表面上はノッてやるのが一番だ。


 それに第一印象が高圧的な人ほど味方になれば意外と心強いこともあるしな。


「お前、たしか名前は栄三郎だっけ? 長くて呼びにくいから、これからはサブって呼ぶな」


「ええ、何とでもお呼びください」


 サブ、か。なんだか下っ端ぽくてピッタリな名前じゃないか。


 さて、そもそもこの元禄時代の日本には庶民の通う学校はほとんど無かったと言ってよい。


 江戸や上方などの都市部では寺院が町人の子供に生活に必要な読み書きを教える寺子屋も生まれつつあったが、このような地方では基本的には存在していなかったと考えてよいだろう。全国津々浦々まで普及するのは19世紀を迎えてからだ。


 そこで町人や農民は長男を除く子弟子女は職人や商家に丁稚奉公でっちぼうこうに出て、住み込みで働きながら教養を身に着けることが多かった。


 そこでは見込みのある者はやがて手代、番頭へと出世して、暖簾分けを許されたり奉公先に婿入りする者もいたという。


 以上が教育史の教授が講義で語っていた内容だ。教育学部の初等教育専攻だった俺は1、2年生の時にこれら教職系科目を散々受けさせられた。


 なお丁稚の仕事は金には直接触らず、力仕事や雑用を任されることが多かった。周りで働く大人たちの動きをじっくりと観察しながら、やがて自分がある程度の年齢になるとその中に加わり、より重要な仕事を任されるようになるのだ。いわゆる徒弟制、教育学の用語を使えば正統的周辺参加に該当する。


 ……長々としたうんちくはこんなもので切り上げよう。


 晴れて(?)丁稚としてデビューした俺は荷物を運び、掃除もこなす。水道の無いこの時代、暇があれば庭の井戸から水を汲んで水瓶にたくわえておくのも大切な仕事だ。


 結構きつい労働だが、繁忙期のレストランの慌ただしさを経験しているこの身からすれば大した問題にはならなかった。


「ほっほっほ、サブさんは今日も精が出ますの」


 雑巾がけする俺に店主がにこやかに声をかける。


 俺は下っ端らしく「はい!」と元気に返した。


「ところでサブさん、きょうはひとつ頼み事があるのですが、よろしいですかな?」


「はい、何でしょう?」


「実は彦根の呉服店が注文した反物が今日届きまして、明日これを届けに発ってもらいたいのです」


 聞いて近くでほうきを掃いていた吉松が振り返った。


 彼はまだ商品を触らせてもらったことが無いのだ。

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