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決意表明

(天空都市群グングニル・中央島南西地区沿岸部:排水パイプ内)




「――――治りますよ。あなたの第一右翼支柱筋剥離」




 潜伏先の排水パイプで、俺はおかしな少女に話しかけられた。


 地味な苦学生風の彼女は、引退の原因となった俺の怪我を直せるという。


 天空獣医師協会の最高権威であるクローバー・クラウンですら匙を投げた、俺の怪我。


 それを、治せるだって?


「はっ。ははっ。馬鹿馬鹿しい。みたところ、あんたは学生だ。天獣師志望ってことは、まだ大学にすら入ってないんだろ? 卵ですらない奴が、何をいうかと思えば。時間の無駄だ」


 直径五メートルくらいの排水パイプの反対側にいる少女は、確かに怪我の正しい名称を知っている。


 だが、それがどうした?


 俺の怪我の名前くらい、連日新聞やニュースで取り上げられてた。


 それらに触れている人間ならば、誰だって怪我の名前くらい知っている。



 だが、本人はいたって真剣な様子で、こちらを凝視している。


「無駄じゃありません。天空獣医学に基ずいた、論理的な診断結果です」


 俺は噴き出しそうになった。


 診断結果ときた。


「ほう、それはすごいですな。センセイ殿。どうぞ、夢に向かって邁進なさってください」


 相手にされてないことが分かったのか、苦学生少女が憤慨する。


「ごっこ遊びじゃありません! 私、グングニル大学図書館の本、全部読んだんです! だから、分かるんです! あなたの第一右翼を支えている支柱筋は、剥離はしているけれど接着の可能性がある。また飛べるんですよ!」



 ずいぶんと手の込んだ詐欺だ。


 俺は、この表現以外に苦学生少女の熱演を評価する言葉を、知らない。


 それに、大学図書館の本を、全部読んだだって?


 作り話もここまで来ると噴飯ものだ。


 確かに、天空都市では市民教育理念のため、全大学の全図書館・全書物が国立・私立に関係なく一般市民にも開放されている。


 俺も、プロになる前はアニマ―ジュの勉強のため、グングニル大学の図書館に通ったものだ。


 だが、天空獣医師関連の本なんて、一度も手にとらなかった。


 ……いや、嘘だ。


 本当は、何回か興味本位で開いてみたことがある。

 

 だが、内容なんてさっぱり分からなかった。


 別に、俺が馬鹿な訳じゃない。(たぶん)


 天空獣医学は限りなく難解なのだ。


 成績最上位者しか天空獣医学部に入学できないのには、トップレベルの基礎学力が無いと留年を繰り返して退学になってしまうから、という理由もある。


 実際、全課程を最短の六年で修了できる学生は、天才・秀才揃いのメンツでも、僅かに半分だ。


 逆にいえば、半分ほどは六年以上の苦節を経て、天空獣医師になる。


 それだけ困難な学問なのである。


 ……それを、まだ入学もしてない奴が、関連の専門書を全て読破したって?


 ありえない。


 そんなこと現実に出来る奴がいれば、天空都市史上一番の大天才だ。


 ペテンは大きければ大きいほど、ばれないらしい。


 だが、流石にこれはやりすぎだ。


 もはや、滑稽ですらある。


 いらだちすら沸いてくる。


「おいおい、なんだよ。もしかして多浪生か? 張るにしても、もっとましな見栄を張れ。こっちが恥ずかしくなる。人生がうまくいかないからって、くだらない嘘はつくな。いつか、張った見栄に逆襲されちまうぞ?」


 諭すような口調で、苦学生少女に語りかける。


 だが、そんな俺の言葉に、彼女はますます意固地になった。


「……どうしても、信じてくれないんですね」


「証拠でも見せてくれたら、別だ。何かあるのか?」


 少し、苦学生が動揺した。


「今は…………」


 言葉を濁す黒ぶち眼鏡の苦学生。


「なんだよ。やっぱないのか。いいか、去年一月のバカロレアがどうだったかは知らんが、まだ十一月だ。時間が無いわけじゃない。家に帰って、参考書の相手をしてろよ。俺じゃなくて」


 俺は立ち去ることにした。


 馬鹿ばかしい。


 勉強に疲れた苦学生の戯言だ。


 こんなの相手にしてたら、日が暮れて本当に宿なしになっちまう。


 足早に、俺は排水パイプの出口へ向かった。


 だが、苦学生はまだ諦めていなかった。


「待ってください! 家に帰れば、成績表があります! 去年の成績表です! 去年のバカロレアの!」


 夕方入ってきたパイプの入り口付近でまた捕まる。


 もううんざりだ。


 返事はせずに、掴まれた腕を乱暴に振り払う。


 そして、より早い歩調で資源再利用施設を横切る。


「待って! ザザ選手! 本当なの!」


 まだ諦めてなかった。


 此処は、強くいってやろう。


 今晩ずっと付きまとわれるなんて、ご免だからな。


 声のトーンを一番低くして、黒ぶち眼鏡の向こうを睨みつける。



「帰れ。紳士的なのはここまでだぞ」



 殺気を感じた少女の瞳が怯える。


 当然だ。


 此処は人気のない場所だし、相手は長身の成人男性。


 華奢な女性が躊躇すべき理由は、いくらでもある。


 石像のように固まった苦学生少女を置いて、俺はこの場所をあとにする。




「……分かりました。ザザ選手に表明します。私の、決意を」




 が、そうはさせてくれなかった。


 苦学生は俺から離れ、島の崖の方へ向かっていく。


 何をする気だろうか?


 あそこには、外界、つまり本当の空が広がっているだけだ。



「ここから飛び降ります。そうすれば、信じてくれますか」



 一瞬、俺の頭はフリーズした。


 が、すぐに可笑しさに起因しない笑いがこみあげてくる。


 人は、呆れて怒りが頂点に達したとき、何故か笑顔になるのだ。


 俺は、個人的な事情で、命を粗末にする奴が嫌いだ。


 両親を事故で亡くしてからは、そういう奴は特に軽蔑する人種になった。



 ――ぶん殴ってやりたい。



 頭に血が上りそうになる。だが、相手にするだけ労力の無駄だと思いなおす。


 ああいう「かまってチャン」に、実行する勇気はない。


 実際に飛び下りれば、地上へまっさかさまだからだ。


 まず、助からないだろう。


 よし、最後に何か捨て台詞を吐いて、この場を離れよう――。


 そう思って、振り向いた。


 俺の口があんぐりと開き、塞がらなくなる。





 ――――いない。




 さっきまで、そこにいたのに。


 怒りが潮でも引くみたいに、全身から引いて行く。


 慌てて崖に駆け寄り、夕闇で薄暗くなった下界の空を眺める。


 いた。なんてこった。


 百メートルほど下の空に、人間の姿をした影がある。あの苦学生だ。


 本当に、飛び降りやがった。やりやがったのである。


 眺めている間に、苦学生の姿はどんどん小さくなっていく。


 俺は絶望的な気持になった。




 ――――どうする!? どうすればいい!?


 


 


 

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