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強襲者

(天空都市群グングニル最北島内陸部北側:プラト山村 プラト湖の凍結した水面上)


 ――その吹雪の向こうから、『奴』はやってきた。


 ――アウラに警告された、『黒い影』が、俺達を襲いに来たのだ。




 俺とキーロのリハビリ訓練は、すでに三週間目に入っていた。


 今日は、十一月十七日。三週間目の初日である。


 二週目の初日に飛行訓練を始めた俺達は、その後も順調に課題をこなしていた。


 飛行訓練を初めて、もう一週間以上である。


 ブリザード・ワイバーンの動きも、かなり滑らかになってきた。


 初めは、還ったばかりの空と、少しよそよそしい付き合いだったが、今では空は俺の帝国だ。この領域で、変身後のワイバーンはもっとも真価を発揮する。


 絶対的な空の支配者に、俺は再び戻れるような気がしてきた。


 かなりいい感触だ。今日は、かなり天候が悪く、吹雪の中飛んでいるが、それでもここが俺の帝国であることに違いはない。もともと、俺の変身後の姿ブリザード・ワイバーンは寒さに強い。普通に吹雪くくらいの悪天候ならば、問題なく悠々と飛べる。


 反対に、地上のキーロは寒そうだ。今日なんか、ほとんど布団を巻き付けたような服装である。羊の二足歩行といってもいい。


「その雪雲の中を飛行し終わったら、今日は終わりよ!」


 天空術で声を拡張し、キーロが俺に指示を伝える。飛行時間がそろそろ一時間を超えそうだ。


 あと数時間くらいならば問題ないくらいまで体は復調しているが、慎重に慎重を期しての判断だろう。


 俺も、異論はないので、その意見に賛成する。


「わかった。そこの雪雲の中を通り過ぎたら、そっちに戻る」


 雪雲は、湖の奥にある雪山の上空だ。初めは湖の上空だけだったが、今では周辺の山々の上空も、飛行区域になっている。怪我が順調に回復している証拠だ。


「気をつけてね!」


 そのキーロの言葉を背後に、俺は雪雲の内部へ入った。


 雪雲の中は、小さな氷片と雪、そして凍り付くまえの水蒸気が風とともに吹き荒れていて、視界が悪い。おまけに乱気流まで発生していた。


 それくらいで飛竜は墜落事故をおこさない。


 が、なんだか不気味な気配がした。雲の奥から感じる、牡丹雪のように鈍重な殺気。


 雪雲の奥から、邪悪な何かが俺を見ているような、薄ら寒い感覚。


 雲に入った瞬間から、そんな虫の知らせがしたのだ。


 俺は、飛竜の本能が警告するのを感じた。


 この巨大な雪雲の中に、何かがいる。凶悪で、俺に敵意を持つ生物が。


 俺は、できるだけこの空域から離脱しようと、何度か進路変更を試みた。しかし、どの試みも、雲の向こうにいる『そいつ』に先回りして阻まれる。奴は、俺より敏捷で、なにより目がいい。俺の動きに完全に着いてくる。もう一つ影があるようだ。不気味すぎる。


「……おい、キーロ。聞えるか」


 俺は、キーロにだけ伝わる通信天空術を使った。奴にこっちの挙動を気取られないため、そっとだ。


「なに? もしかして、翼に痛みでも……」


「――違う。いいから、俺の言うことを聞け。逃げるんだ。今すぐ、ロッジに戻れ」


「どういうこと?」


 キーロの声音は納得していない。だが、嫌な予感がする。もし、大型のアニマ―ガス同士が争えば、生身のキーロが最も危険だ。彼女を、なんとかこの場から逃がすしかない。


「いいから、早くこの場から逃げるんだ。いいな」


 そこで、雪雲の嵐に邪魔されたのか、通信が途切れた。


 灰色雲の向こうから、不気味な気配をまだ感じる。それは、徐々にこちらへ向かってくるようだ。


 茫洋とした灰色の霧からやってくる殺意が、心拍数のように大きく鼓動して伝わってくる。


 その気配は、まるで襲いかかる瞬間を待っている捕食者のように、微動だにせず俺の隙を狙っている。


 何物だろう。たぶん、『奴』は大型のワイバーンだ。しかも、知っている気配じゃない。現役時代、対戦したことのない気配だ。それも、かなり強い。七帝並みの波動を、雲の向こうから感じとることができる。


 奴は、決意を固めたようだ。徐々に、雲の向こうから風切り音が急接近してくる。


 どの方角から来る? 右、左、上、下、前、――――。


 ――――後ろだ!


 俺は素早く、左旋回ロールしてその一撃を避けた。


 そして、空を裂いて通り過ぎたその黒い影に、凍結ブリザードブレスをお見舞いする。


 周辺の雲が一瞬で凍結し、その部分だけが地面に墜落し、バラバラに砕ける。


 やったか!? いや、違うようだ。だが、奴は間違いく俺を襲った。


 つまり、奴の狙いは間違いなく俺だ。


 その後、三回同じような方法で、奴は俺を襲った。


 どの攻撃も、予想だにしない方向からやってくる。俺は辛うじて、全てをかわした。


 だが、かなりひやりとした場面もあった。


 しかも、奴は俺の怪我をしている第一右翼ばかりを執拗に狙ってくる。


 間違いない。雲に紛れたこの襲撃者は、アウラの忠告していた『黒い影』だ。


 俺の怪我をした翼を狙っているということから、狙いは俺を選手として潰すこと。


 かなり卑劣な襲撃者だ。しかも強い。卑劣な襲撃方法に似合わず、かなりの腕だ。まだ、こちらの攻撃が一度もあたらないし、正確に位置すら俺に掴ませない。


 どうすればこいつに勝てる? このままじゃじり貧だ。さっきの一撃なんて、奴の鋭い後ろ足の鈎爪が、俺の羽毛を散らした。このままいけば、致命的な一撃をくらうのは、こっちの方だ。なんとかせねばなるまい。


 これは、怪我をした翼を庇って飛んでいる場合じゃないようだ。


 キーロを救ったときのように、渾身の動きが必要だ。


 一か八か。賭けてみるしかあるまい。


 俺は、雲から離脱するふりをして、急速に下降した。


 奴は、誘いに乗る。それも、俺より早い速度で飛んできた。矢のような速度だ。


 あっという間に、俺に肉薄した襲撃者は、俺に止めの一撃を加えにかかった。


 右旋回ロールしても奴は振りきれない。俺の第一右翼に、奴の凶悪な牙が迫った。


 だが、その瞬間こそ、俺の待っていた好機だ。奴の顎が閉じられる直前、俺は上方へと『燕返し』し、上方に留まった。奴の凶悪な顎が、空を切る。


 そのまま、俺と襲撃者はすれ違った。一瞬すぎて、風貌までは分からない。瑪瑙のような黒い鱗だけが確認できた。


 攻守が逆転した。奴の後ろを一瞬で俺はとる。マウンティングポジションだ。好機到来。


 奴は、俺を通り過ぎたことに気づき、ようやくブレーキをかける。だが、もう遅い。


 奴の真上に、俺はいるのだから。


 凍結ブレスのエネルギーを全開放し、奴の胴体に見舞う。


 奴に避ける暇はなかった。直撃した凍結ブレスが、襲撃者の身体を固める。


 黒い襲撃者は、雪雲に姿を隠しながら、雪山の方へ墜落していった。


 俺は追いかけようとしたが、キーロからの通信が、そのとき丁度回復する。


「――ねえ、どうしたの!? いきなり逃げろなんて」


 周囲を見渡すと、俺は雪雲から離脱していた。最後の攻防のあと、雪雲が襲撃者の逃げた方面に流れっていったようだ。


「襲われたんだ。敵は大型の飛竜。黒かった」


「襲われた!? 無事なの?」

 

 雪雲を出たことで、通信天空術がまた繋がったらしい。


 湖の方を見ると、キーロは湖からロッジに向かっているところだった。まだ湖面の上にいる。


「ああ、なんとかな。だが、また襲ってくるかもしれない。天空警察に連絡したほうがよさそうだ」


「そうね」


「すぐにロッジに戻るぞ」


「う、うん。でも、すぐって?」


「こうするのさ」


 海水面近くにいる魚を、そのすれすれに飛んで捕まえる海鳥のように、俺はキーロを後ろ足で捕獲した。

 

 そのまま、ロッジの上空まで飛ぶ。


 キーロが捕まえた後ろ足の中で、怪鳥に攫われた幼子のように悲鳴を上げていたが、それに配慮する余裕はなかった。


 俺は、ロッジ上空でアニマ―ジュを解除し、失神状態のキーロを抱え、ロッジの玄関まで辿り着く。


「ふう。なんとかなったな」


 俺はこの時、油断していた。


「しかい、あいつは、何者なんだ……?」


 勝手にロッジ付近を安全地帯と思いこみ、アニマ―ジュまで解除してしまったのだ。



 ――その隙を、襲撃者は見逃さなかった。



 奴が墜落したはずの雪山から、黒い影がこちらに迫る。俺の一瞬の油断をついて。


 しかも、気づいたときには、奴との距離が数百メートルとなかった。


 俺は虚をつかれて激しく動揺する。


「何だと! まだ動けるのか!?」


 絶望的な気持だった。今からアニマ―ジュしても、変身が間に合わない。


 しかも、キーロは気絶状態だ。彼女に打開策は期待できない。


 アニマ―ジュ前の姿――貧弱な人間の姿では、数十メートルある巨竜に、太刀打ちできるはずもない。


 俺は、なんとかキーロだけは守ろうと、彼女を腕に強く抱きしめた。


 襲撃者の黒い竜は、それをあざ笑うかのように、こちらに突撃してくる。


 勝ち誇った咆哮が、ロッジを振動させた。


 万事休すだ。これまでか―――。




「ザザだけに執着しすぎたね、襲撃者!」




 聞きおぼえのある声が、ロッジの上空から聞えた。


 そして、灼熱の火炎槍が迫る襲撃者を貫く。


 襲撃者は、憎悪と激痛による怒りの咆哮をあげた。


 だが、灼熱の吐息を見舞った本人は、それだけで終わるつもりはない。


 真紅と黄金に包まれた太陽のような飛竜が、襲撃者に肉薄する。


 襲撃者は、怒りとともに真紅の飛竜に噛みつこうとした。だが、それの攻撃は虚しく空をきる。


 攻撃を当てたのは、真紅の方だった。華麗に避けた赤と金の飛竜が、返し技で尻尾を振り下ろす。


 軽い一撃に見えるが、襲撃者が地面にめり込むほどの威力だった。墜落の衝撃波で、雪の津波がロッジにまで広がる。


 加勢にきた飛竜の攻勢は止まない。今度は、翼膜から光があふれ、それが沈んだ襲撃者へ火砕流のように、殺到する。


 その威力は凄まじかった。雪が瞬時に水となる間もなく沸騰し、辺りに水蒸気と焦げたにおいが立ち込める。


 ロッジの周辺に、沸騰する雪の音だけが残される。


 だが、奴はまだ生きていた。上空をホバリングしていた赤と金の飛竜に体当たりし、その一瞬の隙で、黒い襲撃者は雪山の方へ飛んで行ってしまった。


「……逃げられたな。なかなかしぶとい」


 真紅のワイバーンが残念そうに独白して、水蒸気の昇る地面に着陸した。またロッジが軋む。俺達のすぐそばに、その飛竜は着陸したのだ。


 真紅と黄金のプロミネンス・ワイバーン。太陽のように燦然と君臨する飛竜。


「……助かったぜ、アウラ」


 その正体は、現インペリアルリーグの皇帝カイザーアウラである。


「不用心だね、ザザ。敵の無力化も確認しないで、アニマ―ジュを解除するなんて。実践の勘がかなり鈍っている」


 う。痛いところをつかれた。だが、こいつの言う通りだ。


「お前の言う通りだ。すまない」


「少しは成長したんだね? 謝るようになったのかい」


「これでも元・七帝だ。感謝くらいする」


「そう。でも、間に合ってよかったよ。危なかったね」


「なあ、アウラ。あいつは一体何者だったんだ? あの襲撃者、見たことない飛竜だった」


「詳しいことは、ロッジの中で話そう」


 アウラが、アニマ―ジュを解除する。



「――僕らの敵について、話すときが来たようだ」




 ――俺達の敵? 




 


 

 



 


 


 


 


 

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