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「東洋亭」

(天空都市群グングニル・中央島南西地区内陸部裏路地通り:飯所「東洋亭」)


 のれんをくぐって、「東洋亭」の中に入る。「東洋亭」は小さな平戸の木造建築物の中にある。人工の強化軽量化石材でほとんどの建物が造られている天空都市で、木造の建物は珍しい。


 木造建築物は、すぐ劣化するし、燃えるし、頑丈じゃないし、自然林を伐採すれば環境破壊にもなってしまう。そんな効率の悪い建築材を、わざわざ好き好んで使う奴は天空都市には少ない。ほとんどいないといってもいいだろう。天空人は皆、何処の民族がルーツだろうと、合理性と効率性が好きなのだ。


 そんな木造建築物懐疑派の俺も、「東洋亭」の中に入った途端、その独特な雰囲気には目を見張った。壁が全て木材なのだ。岩の荘厳な感じとは違って、柔らかい癒しの空間が演出されているようだ。


 天空都市建築物の壁というのは、ほとんどが石材だ。金持ちなら大理石、一般家庭なら花崗岩など。


 無論、これらの石材は、天然ものではない。天空都市の科学技術と天空術を駆使して生みだされた、大理石や花崗岩のような物質だ。詳しい名称などは専門家ではないから知らないが、天空都市は上空十万メートルにある人工浮遊島である。重い天然岩を天空都市中に使っていたら、天空都市が地上界に墜落してしまう。


 さて、そんな天空都市の建築事情はさておき。


 東洋亭は柔和な感じのする、小さな飯所だった。レストラン、というよりは、飯屋といった方がよさそうである。


 よくある改良型のLEDではなく、骨董品のような白熱電球で店を照らしているせいか、とこか懐かしい感じがする。店内には、七人席のカウンターが一つ、テーブルは四人席が二つだ。入り口の引き戸からしてこじんまりしていたが、やはり店内もそう多くの客を収容できる訳じゃない。


 隠れ家的飯屋、とでもいえばいいのだろうか。兎に角、俺が今まで来たこともないような傾向の店だ。


 苦学生の奴は、そのこじんまりした店内を勝手知ったる様子で歩く。そして、丁度二つ並んで空いていたカウンターの奥席に陣取った。それ以外の席もちらほら空いていたが、俺もその席で異論はない。特にこだわりがあるわけでもないし。


 カウンター席に腰かける。椅子もカウンターも木製だ。特にカウンターは、一本の大樹を幹の中心でスライスしたような逸品だ。天空都市にここまで樹齢のある樹木は少ないし、存在しても伐採許可が下りないだろうから、これは移民の際に先人達が持ち込んだものだろう。


「おじさん、おしながきもらえる?」


 キーロは常連のようだ。シェフ、いや大将とも親しそうである。


 キーロに話しかけられた料理長は、黒髪を短く刈り込んだ体格のいい初老の男だ。カウンターの奥には、同じくらいの年齢の女性があと一人いるだけ。たぶん、あの女性は料理長の奥さんだな。夫婦で店を切り盛りしてるんだろう。


「おう。キーロちゃん、いつもありがとよ。そっちは、彼氏かい?」


 料理長は大きな威勢のいい声で、キーロに話しかけた。


 いや、様子はどうでもいい。それより内容だ。何か、良くない邪推が聞えた気がする。


「もう! からかわないでよ。彼氏じゃありません! それより、お・し・な・が・き!」


 そう。これだ。誰がこんなグラマーでも何でもないむしろ真逆の苦学生と、好き好んで付き合うのだ。ありえない。


 キーロの抗議を豪快に笑い飛ばして、大将(いまだにこういう店のシェフを、なんて呼べばいいのか分からないな。洋食じゃないからシェフじゃないだろうし、板前は確か寿司限定だし……。やっぱり、大将でいいのだろうか)がメニュー表を渡す。


「がっはは! そうか。悪かったな、キーロちゃん。まあ、そこのお連れさんも腹いっぱいになってってくれ」


 大将がこちらに人懐っこそうな笑顔を向けてくる。俺は一瞬、正体に感づかれたかと危惧したが、思い過ごしだったらしい。俺が曖昧な返事をしているうちに、料理の仕込みに戻ってしまった。


「まったく、もう。おじさんったら。失礼しちゃうわ。こんな女心の分からない人と、誰が突き合うのよ」


「失礼なのはお前だ苦学生。誰が好き好んで投身自殺が趣味の小娘と付き合う。心中志願者だけだろうな」


「はあ!? 今何ていったの? 信じられない!」


「騒ぐより、決断を迅速に行え。さっさとメニューを決めろよ。もう空腹で倒れそうだ」


「……ふんっ。おばさん、じゃあ私、サバの味噌煮サンド」


「俺は……この和牛照り焼き定食で。あと、赤ワイン」


 キーロが独占するメニュー表を横眼で見ながら、なるべくカロリーが高くて油が乗ってそうなものを選ぶ。もう選手時代のカロリー制限生活はしなくていいのだ。今日くらい、パーっと食べてやる。そして飲む。ワインもあるじゃないか。でかしたぞ。


 が、ここで妨害が入った。


「おばさん、それキャンセルよ。代わりに、このササミサンド。あと水」


「なんだと! ちょっと待ってくれ……」


「注文確・定です!」


 注文を聞いていたおかみさんは、にっこり笑って承諾してしまった。


 この苦学生め。なんて奴だ。俺の和牛照り焼き定食を味気のないササミに変えやがった。


 怒り心頭で、キーロに抗議する。


「おい! 満足かよ。嫌み言われた仕返しができて。本当に陰険なやり口だな」


 俺の怒りなど露知らず、キーロはおかみさんが運んできた水のグラスに口をつける。


 そして、優雅にグラスから口を放してから、潤った唇で単語を吐き出す。


「カロリー制限」


「は?」


「現役の天空闘竜選手が、食べ過ぎてはだめ。それに、アルコールも駄目よ。アニマ―ジュの精度が下がるじゃない」


「勝手なことばかり言いやがる。いいか? 俺はもう引退した身だ。俺が何を食べようが、泥酔しようが、天空闘竜なんざ知ったこっちゃないんだ。寧ろ、今まで我慢した分、好き放題食って呑んでやるのさ。悪いかよ?」


 俺の言葉を聞いた後、奴はアメジストの両目で俺を射る。


「――――本当に、そう思ってるの?」


 キーロは、俺の胸の奥にある真意を見透かすように、こちらを見つめる。


 その鋭さに、俺はたじろぐ。


「あ、ああ。そうとも! そう思ってるさ!」


 ようやく出た声は、少しかすれていた。畜生。何故、ちゃんと声が出ない。


 今のが、強がりだからか?

 

 癪なのは、それを苦学生に見抜かれてることだ。


 はあ、と軽蔑まじりのため息を、小娘がつく。


「失望したわ。元インペリアルリーガ―だから、怪我をしてももう少しメンタルが強いのかと思ってた。なのに、その五歳児みたいな言い分はなに?」


「五歳児だと。いい加減に――――」


「――――するのは、あなたよ。心の底から現役に未練がないなら、好きなだけ飲んで食べればいいわ。でもね、苦境を忘れたいがために馬鹿をするのは止めて。こっちまで、恥ずかしくなるわ」


 こういうとき、女の冷酷さには、俺の凍結ブレスの何倍も凍えさせられる。本当に気に病んでいることを、ピンポイントで突かれている。


 苦学生の言っていることは事実だ。事実として、引退しても、俺はまだ返り咲けると本気で信じている。


 怪我さえ治れば……。そんな確証のない可能性の中に、生きていた。


 こいつは、それを見抜いてる。そして、それが何にもならないことも。何の役に立たないことも、承知している。


 それが、どれだけ恥知らずで惨めな行為なのか、彼女は承知している。


 だから、目の前にある両目は、これほどにも俺を固まらせているのか。何も反論できないでいさせるのか。


 俺は、言葉を失ってしまった。何も言い返す語句が出てこない。


 代わりに、脇にあったグラスに口をつける。水を一気に飲み干す。この場合、沈黙は敗北を意味する。


「……水のお代わりくれ、おかみさん。あと、注文はササミサンドでいい」


 それだけ言うのが精一杯の反撃だった。


 それほど、苦学生のいうことは正しい。俺は、自暴自棄になるあまり、三ヶ月間も、そのことから都合よく目を反らしてきた。だが、あの冷酷な両目が、俺に現実を突きつけた。


 感謝はしない。だが、俺は負けず嫌いだ。ただ言われるだけで終わるつもりはない。


 いつか、この賢しげな小娘をぎゃふんと言わせてやる。


 そのためには、和牛も赤ワインも我慢してやる。欲しがりません、勝つまでは。


 それまでは、ササミで充分だ。


「おい、苦学生」


「何よ。言わせていただきますけど、今の言葉を謝罪する気は……」


「……そんなつもりじゃない。ただ、目が覚めたぜ。少しな」


 これが俺の精一杯の誠意だ。こういうとき、頑固な自分の性格にうんざりしたりもするが、天性の負けず嫌いはアスリートの宿命だ。今は、この言葉が落とし所なのである。


「……ここのササミ、美味いのか」


「ええ。美味しいわよ。自宅で飲むプロテインより、ずっとね」


 静かな話声があるだけの店内で、キーロと微妙な空気になる。


 うわ、気まずい。


 どうしようか。


 とりあえず、話題を変えよう。



 というより、早くササミが来ないかな。食べてれば、喋る必要もないし……。


 それに、本当に腹が減った。きっと、これだけ腹が減っていれば、和牛もササミも同じようなもんだ。


 そう思おう。早く来い、ササミ。


 

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