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苦悩と挑発

(天空都市群グングニル・中央島南西地区沿岸部:資源再利用施設 廃棄されたソファの上)




 完全に日が暮れちまった。


 資源再利用施設に外灯はそれほど多くない、暗闇の中に点在する程度だ。


 俺が腰かけ苦学生少女が寝ている粗大ごみのソファの近くにも、一つの外套があるだけ。それ以外は、真っ暗闇になりつつある。


 参ったな。俺はワイバーンタイプのアニマ―ガスで、鳥型の連中とは違って夜目も利く。それでも、気温の下降はあまりいいものとはいえない。


 今は11月1日だから、夜になれば冷え込むだろう。


 天空都市の超大型環境装置によって、島全体の気温が低くなるよう気候条例によって定められている、というのが正しい方だが、この際何でもいい。寒くなるのは、一緒だ。


 俺の恰好は、下半身がヴィンテージジーンズに革のブーツ。上半身が紺色のシャツに黒い革ジャン。あと上着の胸ポケットに変装用のサングラス。ジーンズの中に財布や身分証明書(※天空人皆がもっているものだ。マイナンバーカードが発展したようなものだと思ってくれ)。正直、あまり温かい恰好ではない。


 はあ。こんなことになるなら、厚手の上着を一着、売却リストから外しておくんだった。そうすれば、かなり状況は違ったのに……。


 やっぱり、競技一筋の人生を送ってきたから、生活力に欠けるのだろうか。俺は。


 いや待て。こうなったのにはもう一つ、悪夢みたいな原因があったはずだ。俺の生活力だけの問題ではない。


 そう、あの小娘だ。


 こんな状況になった元凶は、まだリサイクルされるはずのソファで寝息を立てている。図太い奴だ。厚顔無恥の恩知らずめ。誰がレーザー銃の乱照射から、お前をここまで拾ってきたと思ってる。


 その大恩人を差し置いて、もこもこの温かそうな恰好で、幸せそうな寝息を立てるな。


 ああ、腹が立つな。こんな得体の知れない奴、平穏に寝かしておく道理はないんだ。


 頬を軽く叩いて、起こしてやろう。そう思って、利き手(俺は左利きだ)をリンゴほっぺに伸ばす。


 と、そのとき、間が悪く小娘の目が開いた。


 慌てて手を引っ込める。


「…………あれ? ここは……」


 状況を呑みこめていないようだな。飛び込んだあとの記憶が無いんだろう。


 当然かもしれない。アニマ―ガスでない人間は、ビルなどの高所から飛び降りると、数秒で意識を失うという。こいつも、俺が決死の救出劇を繰り広げている間、呑気に気絶していたに違いない。


「空の旅行は楽しかったか? 資源再利用施設だ。お前が飛び降りる前にいた」


 最大限の皮肉を込めた口調で言い放つ。


 小娘がこちらをしげしげと眺める。


「あっ! ザザ選手。もしかして……」


 緊張感のない驚きの声に、いらだちが募る。


「もしかしなくても、じゃない。お前ふざけてんのか。投身自殺なんて……。まあ、百歩譲って、死ぬはお前の勝手だよ。お前の自由さ。だがな、誰もいない所でやれ。特に、俺の見てないところでな!大馬鹿野郎!!」


 語尾に近付くにつれて、抑え慣れない憤怒が声に現われる。


 苦学生少女は、小さく縮こまってしまった。


 クソ、ここで泣かれたら、どうせ男が悪者になる。別にそれは否定しない。が、これ以上今日の俺に忍耐を強いるのは無理だ。堪忍袋の尾が切れちまう。


 泣きだされる前に、今度こそ立ち去ろう。


「いいか、二度とこういうことはするな。絶対に。未来永劫、禁止だ。いいな?」


 釘をさして、足早に立ち去ろうとする。これで何回目だろう。


 が、何度も邪魔されてきたように、今回も……。



「――――ザザ選手! 待って! 話はまだ終わってない!」



 終わってない? 何が終わってないっていうんだ?


「お嬢ちゃん。あんたが何処の誰だか知らないがね、もう俺達が共同でできることなんて、何一つ無いんだ」


 振り向かずに手だけを軽く振る。グッド・バイ、苦学生少女。



「投身自殺を一件未然に防いだのが、最初で最後さ。まあ、ほとんど俺だけの働きだがな」


「変身後のあなたの姿をみて分かったことがあるの。あなたは、残り四枚の翼だけでも充分に空を翔けることができる。それに、治療で良くなった主翼二枚を加えれば、インペリアルリーグへの復帰だって……」


 まだ言ってやがる。


 ここまで来ると、ペテンも大したものだ。


「悪いな、センセイ殿。俺は、本物の天空獣医師しか信じない。つまり、お前は眼中にないってこった」


「成績表があるって言ってるでしょう! バカロレアの成績開示資料! どうして信じてくれないの!」


「仮に、お前が天才だとしても。まだ免許は持ってない。つまり、俺の診察や治療はできない」


「外科的措置は設備の問題で無理だけど、整体施術や天空医療術は可能よ! それに、まだアイディア段階だけど、あなたの凍結能力を使ったインナーマッスルの補強案だって……」


「ああ、そう。よかったな」


 適当に返事をして、俺はこの場を離れようとする。


 苦学生少女が最後の一言を放った。


「ファンの期待を裏切ってもいいの!? 氷息帝ザザ! ザザ・ムーファランド!!」


 足が止まっておいた。馬鹿げた停止だ。


 すぐに歩き出そうとする。


「あなたの復活を信じているファンが、まだいるのよ!? それでも、逃げ出すの? 臆病者!! この大臆病者!!」


 また足が地面に縫いつけられた。


 沈静化したはずの憤怒にまで、また火がつきそうになる。


 だめだ。乗るな、ザザ。きっとこれは、安い挑発だ。犬も食わない。こんなものに、わざわざ過剰に反応することはないんだ。落ち着け。冷静になれ。


 さあ、もう一度足を動かすんだ。そうして、何か温かいものでも食べに行こう。肉がいい。脂の乗り切った霜降り肉だ。現役時代は、赤身肉とささみした食べられなかった。今日くらい、そういうものを食べたって、バチはあたらない。そうさ、今日の夕飯は、霜降りサーロインのステーキと赤ワインで……。


「何も言い返せないのね。もしかして、本物の臆病者なの? 笑っちゃうわね。たかが怪我で引退するんだから、そんなものなのね。臆病者のザザ。このろくでなし! 悔しかったら何か言い返してみたら? でも無理ね。あなたは、臆病な小鳥さんだもの」



 おい、止めろ! ザザ、止すんだ。気の済むまであいつをぶん殴りたい気持は分かる。だが、下手をすれば牢屋いきだぞ。それでもいい? この、なんとか、抑えるんだ。堪えろ!


 とうに許容できる値を超えた激情が、俺の中で荒れ狂う。



 臆病な小鳥さんだと? 舐めやがって、ぶっ殺してやる!八つ裂きだ。いや、いっそ変身後の姿で、ゴリゴリと噛み砕いてやれ……!


 かなり凶暴で血なまぐさい欲求が、俺に押し寄せる。


 ……俺が、プロとして自分のサポーターを、どれだけ大事な存在だと思っていたかも、知らない癖に、奴は言いたい放題だ。本当に、腸が煮えくりかえる思いである。



 ――両親が死んだあと、俺を支えてくれたのは、天空闘竜とサポーターだ。その存在が無ければ、俺はここまでマシな人生を送ることは、なかった。



 現役時代の俺は、問題児プレーヤーだった。言動は尊大だったし、強さが全ての価値だと思ってた。氷息帝という現役時代のあだ名も、空気を読まない発言で記者会見を何度も凍りつかせたことに起因している。(それと、もう一つ。当然だが、俺は凍結ブレスを吐くワイバーンだった。これと、さっきの性格で、俺のあだ名が氷息帝に決まったらしい)



 だが、そんな俺にも、それなりの数のサポーターがいたし、俺がランク戦で順位を上げるたびに、応援団の歓声は大きくなっていった。自分のことを認めてくれる存在に、もっと大きな世界を見せたくて、俺は最高峰のインペリアルリーグまで駆けあがった。


 様々な人達と競技を通して交流を深めたことは、人生の宝物でもある。特に、俺は尊大な言動でアンチファンも多かったから、そういう連中にこっぴどく批判されたとき、支えてくれたサポーターたちの暖かさには感謝してもしきれない。


 ファンの期待に応えないから臆病者だって? 期待に応えられない苦しみを、考えたことはないんだろうな。俺はこの三カ月、ずっとそれに苦しめられてきた。


 できることなら、一日でも早く復帰したかったさ。


 だが、診断結果は残酷にも復帰不可能。一人だけの診察結果じゃない。セカンドからサード、はてはフォースからフィフス・オピニオンまで、同じ診断だった。天空世界の中でも、屈指の名医たちに、そう判断を下された。


 かかり付け天獣師には内緒で、空を飛んで見たこともある。だが、やはり第一右翼の痛みは残ったままだった。


 俺は絶望した。酒びたりになり、付き合っていた女性とも別れ、今日は住居すら失ったのだ。


 俺は殺気だった眼光を、振り返ってあの小娘に向けた。


 ――こいつに何が分かる。俺の苦悩の何が! 


 何も知らんくせに。インペリアルリーガーだったことも、アニマ―ガスですらないコイツに、何が分かる! 何が!! 


 批評家気取りで、誹謗中傷まがいの勘違い発言を連発。こんな大馬鹿野郎に、俺の競技人生を、とやかく言われる筋合いはない。


 少なくとも、これ以上、黙って聞いているつもりはない。


 だが、奴はまだ何か言うつもりらしい。大きく息を吸い込んでいやがる。


 そうはさせるか。


 これ以上、俺のこれまでの人生をけなす言葉は吐かせない。


 変身後の姿をイメージする。頭部と首だけ、部分変身すれば充分だ。


 閃光が俺の首から上を包む。数メートルはある首と頭部が、夜の人気のない施設に具現する。


 その口から、手加減なしの冷気が小娘の方へ殺到した。


 小娘のいるソファの周辺以外が、全て氷漬けになる。資源再利用施設周辺の温度が、一気に二十度以上低下した。吐く息の白くなる氷点下の世界が、刹那の間に訪れる。


 資源ごみの山は、巨大な一つの氷河のように固まっていた。街灯もほとんど壊れ、生き残った幾つかが、瀕死のように頼りなく点滅している。


 当の小娘は、腰を抜かしている。流石に、人間は氷漬けに出来ない。(本当はしたくてたまらなかったが)


 髪の毛と服に霜がついたくらいだろう。せいぜい風邪も引いて、寝込めばいい。ふん、いい気味だ。さまあみろ。


 ……だが、俺の思うようにはいかなかった。


 けたたましい警報が、耳をつんざく。


 放火や自然災害のときに作動するセンサーが、作動したのだろう。こういう防犯・防災的装置は、天空都市のいたるところにある。


 何か、異常事態が起こったからこそ、こういう警報装置が作動してしまったのだ。


 原因は分かってる、さっきの一撃だ。頭に来ていて、警報装置と加減の必要を忘れてた。今日は、とことんついてない。ただの厄日じゃなくて、大厄日だったようだ。ちくしょう。


 無論、逃げるほかない。この現状を見れば、犯人は限られてくるが、なんとかしらばっくれるしかあるまい。賠償金や罰金を払う財力の余裕は、もう俺には無いのである。


 少なくとも、現行犯で捕まることは避けたい。マスコミのいい餌になっちまう。


 よし! 逃げるぞ!


 そう思って、小娘に視線をやる。立ち上がれないようだ。まだ、腰が抜けているのだろう。


 置いていってもいいかもしれない。だが、こいつが俺のかわりに警察に連れていかれたら? それに、こいつが今のことを話すかもしれない。そうなれば、俺は逮捕? マスコミの餌食? 法廷画?


 それらだけは、さけなければ。


「あー! もう! 最悪だ!!」


 悩んでいる暇はなかった。小娘に駆け寄り、奴を俵みたいに抱えあげて、肩にかける。丁度、へそのところが肩の真上、頭が俺の横腹付近、足が背中にあたる。


 そして、一目散に駆けだした。防犯カメラとかが、さっきの一撃で潰れていることを祈ろう。というより、一つもこの施設になければいいのに。


 逃げる場所は、駆けだすときに決めていた。排水パイプの中だ。


 パイプをつかって、街の中心部まで逃げれば、ここへやってくる警備員や天空警察とも、はち合わせることがない。


 最善の逃走経路だ。


 それにしても、左肩に背負ってるこの小娘、変身して、夕飯の肉にしてやりたい。


 それは、このパイプを通りきって、無事に逃げ切ったあとにしよう。



 ―――覚えてろよ、苦学生!


 


 


 


 


 

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