一輪の花
日本全国の、同じ様な不遇な境遇の家族の事を思い、書きました。
私達はごく普通の夫婦でした
ごく普通に恋愛をし
ごく普通に結婚をして
子供にも恵まれ
それまでは幸せな生活でした
今を思えば・・・・
トゥルルルルル、トゥルルルルル
ある日運命の電話が鳴りました
主人の帰宅が普段より遅いなと思い
半信半疑で受話器をとりました
「もしもし、奥様ですか?あなたのご主人が交通事故に遭って重体です!速く○×病院に来て 下さい!」
平和な家庭を引き裂いたあまりにも悲惨な楔
病院に到着した時
私はあまりのショックに
意識を失いそうになりました
昨日まで
今朝まで
あんなに元気だった主人が
まるで屍の様になって運ばれていくのを
緊急手術の結果
命だけは助かりましたが
哀れ(あわれ)にも主人は
95%植物人間になってしまいました
でも
私はこの人を永遠に愛し続けたい
この人であるこそ一緒に生き続けたい
その一心で介護を続けました
そしてある日
私は確かに耳にしたのです
医者からもう一生話せないと言われたはずの
主人のその口から
「イ・・・マ・・・デ・・・モ・・・ア・・・イ・・・・シ・・テ・・・ル・・・ヨ」
私はどっと湧き上がる感情を抑えきれず
声にならない声をあげました
そして瞳からポロポロと
「水」が零れ落ちました
そっか・・・・・これって・・・・・・
何年かぶりの・・・・・・・ナ・ミ・ダ
翌日
私は私自身の気持ちを落ち着ける意味と
主人が今でも私を愛している意思表示をしてくれた証として
一輪の花を
近所の花屋で買いました
名も知れぬその花は
わずかに開いた病室の窓から入る風に吹かれながら
さぞも気持ち良さそうに
私達の気持ちを汲み取ってくれている様なのでした
それから数ヶ月間
自宅では主人のいない生活が続きましたが
私はあの時の主人の言葉を心より信じ
日々の家事にいそしみました
しかし・・・・・・
またしてもある日
私の希望的観測を急転させる電話が鳴ったのです
「もしもし、奥さんですね。残念ですが、ご主人様が大変危険な状況におられます。急遽こち らに。」
嘘でしょ!?と思った
でもとにかく来いと言うのだから早く行かなきゃ
約35分後私は病院に着きました
愕然としました
これが言葉は話せないまでも
表情はいつもニコヤカにしてくれていた
主人の姿かと疑いました
そしてその数時間後
主人は静かに
息をひきとりました
しばらくの間私は放心状態で
何をしたら良いのか何を考えたら良いのか
全く分からずただ泣き崩れるだけでした
ただ主人が生きていた頃
残していってくれたもの
たったひとつあります
そうです あの「一輪の花」
私は主人が亡くなった後も
その花を糧に生き続けてきました
そうすると心が安らいだんです
しかしある冬の日
その私の希望だった 糧としていた一輪の花が
無情にも枯れてしまったのです
私はとてももの悲しく感じました
しかし
私は二児の母です
強く 強く 強く 強く生きなければなりません
今私は 主人の墓前に毎年
誓いをたてる為にお参りに行きます
あなたの死を決して無にはしないと
そしていつかは必ず
私と同じ様な境遇に遭い悲しみ苦しんでいる人達に
勇気や希望を与えてあげられる
そんな人になりますと
時は光の様に過ぎ去ってゆき
上の子供が小学生になりました
そして秋を向かえ運動会シーズンになりました
多くの子供が両親が迎えてくれているところに
私は もちろん
私だけでした
その頃私の子供はいじめにあい
悩んでいた時期でした
原因は・・・・・・
父兄参観にあったのです
実は両親同伴が基本義務でした
ですが私はそうはいきません
それを知った同級生が
我が子をいじめたのです
なんとかしてほしいと
PTAなどにもお願いしたのですが
不可抗力(交通事故死による単身親)にはなんの情けもなく
首を縦にふる事はありませんでした
リレーから私の元に帰ってきた子供は
泣きじゃくりながら言いました
子供「ねえママ、なんでボクにはパパがいないの?なんでいないの?なんで?なんで?」
我が子の涙を拭いてやりながら 私の涙をこらえるのにせいいっぱいでした
このままじゃ駄目だ
この子は私で育てよう!
そう決めた私はさっそくPTAに申請書を出しました
しかし あの頭の固い連中がイエスという訳がありません
仕方なく子供と途中帰宅した私は
子供の事で頭がいっぱいでした
ちょうど あの主人が私の全てだったかの様に
その時思ったのです
この子はまさにあの時の「一輪の花」なんだと
どんどんと育成し
いつかは必ず立派な花を咲かせる
あの「一輪の花」なんだと
そしてまた時は過ぎてゆき
二人の子供は立派に育ち 高校を卒業しました
そしてある日 上の子が私に向かってこう言ったのです
どこでとって来たのか分からない
名も知れない花を見せて
子供「俺、母さんにいろいろ迷惑かけたけど、これからは出来るだけ一人で頑張れる様に努力 するよ!そう、この『父さん』の様に・・・・・」
私「ア・・・・リ・・・ガ・・・・ト・・・オ・・・ウ」
まさか、子供が花の話を知ってたなんて。確かに、花が枯れた後も 決して捨てる事なく、日のあたる場所に置き続けたけれど
それを子供が意識して見ていたなんて
そして今現在
私はまさに
主人と一緒のところに行こうとしています
寿命という絶対的な束縛を受けた人間の常です
そしてわたしは あっけなく
急性心筋梗塞で
76年間の生涯をとじました
ただ棺の中に息子が入れてくれたもの
一つだけあります
そうです あの「一輪の花」です
いつかは枯れるかもしれません
でも 心の花はいつまでたっても枯れません
咲きます 咲き続きます 咲き誇ります
私と 息子二人と 同じ苦しみを味わう事のない様に
実は筆者私自身、交通事故に遭い、障害者なのです。でも、引け目は全く感じてません。それどころか、失って初めて分かる物に、気づかされる毎日です。