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Trace Heart  作者: nozomu
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急展開

「アタシが……強い?」

「うん」

「他のみんなから人気があって、周りの人の中心に立っている?」

「そうだよ」

 拓也が答えるたびに、亜衣はその声を震わせていった。

 彼女の心が温かくなっていくのを表すかのように。まるで、冬が春に変わっていくときに雪解けの水が大地を濡らすように。

「そもそも、コミュ障……っていうのかな? 僕がこんな風に二人だけで話せるような人なんて、あまりいないよ? 僕はクラスでも、瞬と陵太以外の人とはほとんど話さないんだし」

 拓也はそう言って笑った。

 でも正直なところ、拓也は感謝してもいた。読書ばかりで、あまり人とのコミュニケーションが取れない自分。人の中心に立つことができない自分。そんな人間も、亜衣のような人気者と接することができると教えてもらった。

 たとえ輝いて見える人でも、所詮は同い年の人間なのだと教えてもらった。

「だから、ありがとう。そして、これからもよろしく」

 拓也が最後にそう言って右手を差し出すと、亜衣はその場に崩れ落ちるように両手で顔を覆い、下を向いた。

 嗚咽が聞こえるが、それは悲しみを表すものではなかった。

 拓也が来てくれた。目の前の少年に認めてもらった。

 ずっと『投影世界』で、『現実世界』で、孤独に戦っていた自分。無力感に襲われていた自分。

 元父親に対しても、母親が日々やつれていくのを見ても、何もできずにいた自分。

 だけど、今まで自分が何かを築き上げてきたというのなら。

 もう一度、自分は立てるのではないか?

 それに、今は一人ではない。目の前に、高校生とは思えないほどに優しくて純粋な少年がいるではないか。

 そこまで考えた亜衣は、自分の家族に思いを馳せる。

 日々家事とパートを頑張って、自分を育ててくれる母親。

 遠くの土地で家族と離れて仕事を頑張ってくれている、今は単身赴任中の父親。

 何があっても。どんなに今が辛くても。絶対に、この家族をあの男の好きなようにさせるわけにはいかない。

 なぜなら、そこは自分の帰る場所なのだから。

 きっと亜衣は、心のどこかではそのことを分かっていた。しかし、拓也にもう一度それに気が付かせてもらえた。

 亜衣はもう一度決意する。

あの家族は、自分の帰る場所は、自分の手で絶対に守り抜く。

 この思いを『現実世界』に投影する。

 亜衣はようやく顔を上げた。

「他の人と戦うのは、傷つけあうのは、怖いことだけれど」

 亜衣は拓也に言う。

「それでも、私が守りたいものはあるから。だから、戦うの」

 その眼には、彼女の眼には、強さが宿っていた。拓也はそれを感じる。

「戦うよ。この世界で。そして、『現実世界』でも……『あの人』と、戦う」

 亜衣は拓也の右手をしっかりと握ると、言い切った。宣言した。

 彼女は、ただ守られるだけのお姫様であることをやめた。自ら戦の最前線に立って戦うことにした。

「そうね。ただ嘆いているだけじゃ、何も変わらないわ」

「「ひゃっ!?」」

 突如として現れた声に驚いて二人が振り向くと、そこにラクスとリベラムが立っていた。

「い、いつから!?」

「拓也が『ありがとう。そしてこれからもよろしく』って言った辺りからだな」

「最後の方はほとんど!?」

 二人は驚いて顔を見合わせる。二人とも、全く気配を感じなかった。

「……で、いつまで手を握り合っているつもり?」

 ラクスがにこにこしながら言うと、二人は自分たちが握手したままであることに気が付き、顔を赤くして慌てて手を放す。

「いいわねー、この青春って感じ」

「あんまりからかってやるなよ。それにお前だってまだ若いだろ?」

 ラクスの言葉にリベラムが返すと、ラクスはそうね、と笑った。

「そ、それで何のために来たのさ?」

 拓也はなんとか話題を変えようと二人に尋ねる。すると、リベラムは少し声を落として言った。

「実はさ、この街のミリタリスがミノタウロスの討伐隊を編成するらしいんだ」

 二人の表情が変わる。

 繰り返すが、この世界は人々の心が投影されたものである。そのため、この世界で何かが起こるということは、逆に『現実世界』の誰かの心に変化が生じたということを示しているのだ。

 つまり討伐隊の編成は、亜衣の一件に関わっている可能性が高い。

「そ、それで!?」

「討伐隊の出発は、明後日の正午になるらしい」

 状況の突然の変化に対して、どうすればいいのか分からなくなる二人。だが、先に口を開いたのは亜衣だった。

「ど、どうして!? この街に実質的な被害が出ないことには、ビギルもミリタリスも対処してくれないんじゃなかったの?」

「それがな……貿易商人たちが襲われたらしいんだ」

 この日の正午ごろ、隣の国から来た貿易商人たちがミノタウロスと遭遇、襲われるという事態が発生した。本来ならばそのような道は避けるはずなのだが、なぜかミノタウロスは今までには現れなかった場所に出現したらしい。

「それで、王室の方も対応をせざるをなくなったということさ」

 王国では、中隊を二つ編成するとのことだ。他にも、王室に所属している中でも特に優秀な騎士と魔術師が派遣されるらしい。

「これで解決……すれば良いんだけどね」

 だが、亜衣の表情は優れなかった。

「だけどそれって、お母さんが何か行動を起こそうとしているってことなんじゃ……」

 その言葉で拓也は気が付く。

『投影世界』でこのようなことが起きたということになると、『現実世界』で何かしらの行動が起こされたという可能性が高い。しかし、それは失敗する可能性もあるのだ。

 つまり、亜衣の母親が危険にさらされているということでもある。

「今日寝るまではあまり変わったところがなかった……つまり、明日お母さんは何かをしようとしている?」

 そう呟いた亜衣が、その表情をより暗くする。

 どうすればいいのか、二人とも分からない。いや、分からないのは二人だけではなく、リベラムとラクスにしても同じだった。彼らにしたって、オリジナルと会うのは拓也と亜衣が初めてなのだ。

 拓也は考える。

 今回の討伐隊の編成と出発、これが亜衣の一件に関わっている可能性は大きい。もしこれが成功すれば、亜衣の家の問題は解決する可能性がある。

 だが失敗すれば、亜衣に何かしらの犠牲が伴う場合もある。

 そのことを考えた上で、自分たちがとるべき行動は……

「ねえ、その討伐隊について行くことはできないの?」

 拓也の案に、他の三人は驚いて彼を見る。

「本気か、拓也!? オリジナルであることを明かせば可能かもしれないが……危険なんだぞ!?」

 リベラムが言う。

「そうよ、それに討伐隊が倒してくれる可能性だってあるじゃない! わざわざ自分から危険の中に飛び込んでどうするの?」

 ラクスも反対のようだ。しかし、拓也は言った。

「じっとしているだけではダメだ、って思ったんだよ」

 今までの拓也だったらこんな決断は絶対にしなかった。威張ることではないが、それは決して間違ってはいないはずだ。

 しかし『投影世界』に来てからまだ数日だが、ここでの生活は拓也を少しずつ、だが確実に変えていった。

「確かに、ミノタウロスの討伐について行くのは危険だよ。はっきり言って、それを考えるだけでも僕は怖くなってくる」

 拓也ははっきりと言う。自分が怖がりであることを。

 しかし、それだけではなく。

「だけど、このまま何もしなかったら何も変わらない。僕たちが何のために動いているのか分からなくなってしまうよ。『現実世界』の藤沢さんの状況を変えられない。僕にとっては、そのことの方が、怖い」

 そう、拓也が恐れるのは、目の前に迫りくる恐怖だけではない。彼の眼には見えないが、それがどこかで誰かを襲っていることを知っている、その恐怖でさえも彼の臆する対象なのだ。

 彼は他の男子高校生に比べれば純粋な性格をしている。そのために、亜衣を見捨てて自分が逃げ出すことすらも“恐れる”。利己的な行動を拒む。

 だから、拓也は行動を起こす。

 『投影世界』の時間軸にしてあと一日半。それが彼らに残された時間だ。




 拓也は『現実世界』で起床した。

 この世界ではレイピアも魔法もないので戦闘に関連した訓練はできない。そのため、今日はミノタウロスに関する情報を集めておく予定である。

 そしてもっとも重要なのが……亜衣の母親が何かをする可能性がある、ということだ。それがプラスになるのかもしれない。だが、そんなに簡単に解決するとは思えない。

 だから、動く。亜衣とそう決めた。

 拓也は少し疲れを感じながらも、朝食の席に着く。

 拓也の家庭は四人家族である。

 両親に加え、高校一年生である拓也、そして小学校六年生である妹の静菜。一般的な核家族だ。

 父親は朝早くに仕事に出かけてしまうため、一緒に朝食を食べるのは基本的に静菜と兄妹の母、静音の三人である。

「おはよー。お兄ちゃん、疲れた顔しているけど大丈夫?」

 拓也の表情を見た静菜が言った。

「そうね、この間も急に『友達に借りたものを返しに行く』って、夜遅くに出かけて行ったし。睡眠はしっかり取らないとダメだからね?」

 母親もそう言う。ちなみに、『この間』というのは亜衣が電話をしてきたときのことだ。

「うん。ちょっとね……」

『投影世界』での疲れが現実にも影響を及ぼしているのだ。肉体的な疲労は反映されないのだが、記憶を持っている以上は精神的・心理的負担というのはさすがに蓄積されてしまうようである。

「お兄ちゃんのことだから、本を読んでいたら遅い時間になっていたとかじゃないの?」

 拓也の曖昧な返事を聞いた静菜がそう言った。

「まあ、そんなところだよ」

「だよねー。お兄ちゃんに夜遅くに長電話する相手がいるとは思えないからね」

 静菜は小学校六年生という年齢であるためか、最近生意気な発言が多くなってきた。最も、口下手な拓也と口だけは達者な静菜では口喧嘩は成り立たないし、それに第一、拓也は小学生の軽い挑発に乗るような性格はしていない。

「はいはい」

 静菜の言葉を適当に受け流すと、拓也は味噌汁のお椀を右手に持ちながら(拓也は左利きである)はあ、とため息をついてしまう。

「またため息をついて……そのくせ、直した方が良いわよ?」

「はーい」

 拓也は母の小言を適当に流しつつ、学校に間に合うように食事を再開した。

 今日はやることが主に二つ。一つは、ミノタウロスに関する情報を集めること。そしてもう一つは、亜衣の周り(恐らくは彼女の家庭)で発生する『何か』に対処すること。

 前者に関しては図書館やインターネットを使えばいくらでも情報が得られるだろう。伝説の内容について調べれば済むのだから。

 しかし、後者に関しては難しいところだ。何しろ、どんなことが発生するのかが予想もつかない、手がかりすらもない状況なのだから。今分かっているのは、『何か』が起こる、というだけの非常に曖昧なものだ。拓也は、自分たちがそんな曖昧なもののために、闇の中を手探りで歩くような状態で進んでいることを確認する。

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