恐怖と迷走
そして、五大。地・水・風・土・空の五つの元素。
「五大には抽象的な性質があるって、藤沢さんは言っていたけど……あ、あった」
拓也はそのページを見つけると、大きく開く。
五大元素に対し、五大における『水』は『流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質』となっていた。つまり、何かの適応能力が上がる、ということなのだろうか。拓也には、あまりよく分からなかった。
最後に、五行。火・水・木・土・金の五つの元素。
五行における『水』は『泉から涌き出て流れる水が元となっていて、これを命の泉と考え、胎内と霊性を兼ね備える性質』となっていた。拓也にはさっぱり分からない。
「五行において独特なのは、『互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』という考えがあること、か」
それが、『相生』『相剋(相克)』『相侮』『比和』『相乗』といった性質だ。
五つの元素は互いに生み出し合い、うち滅ぼし合い、侮り、凌辱し、同じ元素の重なりはその元素をより高いものにする。
つまり、効果的に組み合わせれば相手の魔法を簡単に相殺し、仲間の魔法をより強力にできるかもしれない、と拓也は考える。そうすれば、もっと安全な防御ができるだろう(これ重要)。
それなら、あまり人を攻撃しなくてもいいかもしれないのだ。ここ数日の投影世界での出来事で忘れてしまいそうだが、拓也はもともと『臆病』である。好き好んで他の人間を傷つけたくはない。
このことは頭に止めておくことにして、拓也は図書館を出る。
このまま家に帰ろう、と思ったその時。携帯電話が鳴った。ポケットから取り出して画面を見る。そこに表示されていた名前は『藤沢亜衣』。昼休みのとき、互いの電話帳に登録しておいたので名前が出ることは不自然ではないのだが……なぜ今かかってきたのだろうか。拓也は今の亜衣の家の状況を思い出し、体をこわばらせた。投影世界のことが目新しすぎて忘れがちになるが、今の亜衣の家の状況は決して安全ではないのだ。その安全のために、どうしたらいいのかもよく分からない挑戦をしているのである。
拓也は電話に出る。すると、亜衣の震えた声が聞こえてきた。
『あの、滝川君……。えっと、今誰かに後ろからつけられていて……その、怖くて……』
拓也は亜衣の話を全て聞く前に走り出した。
亜衣が話すには、恐らくは元父親の関係者ではないか、ということだった。
『ごめんね、滝川君。アタシの家の問題にまで関わることはないのに……』
「いや、気にしないで。それで、今どこ?」
亜衣は、今日のダンス部の練習が早めに終わったので一度家に帰ったが、その後近所のコンビニに行くために出かけた。ただ、亜衣の家から最寄りのコンビニまでは少し離れているため、少々時間がかかった。そのタイミングで見つけられたのではないか、ということだ。
亜衣から場所を聞き出して、拓也はそこに向かう。ただ、ひたすらに走る。 どうするか、なんてことは考えなかった。拓也はただ、自分のやりたいようにする。
次第に息が上がってくるが、それでも進み続け――ついに、その影をとらえた。
「藤沢さん!」
十字路に立つ亜衣に向かって拓也は声をかける。
「滝川……君」
振り返った亜衣は、かすれるような声で応えた。表情がこわばっている。
「えっと……今はどうなの?」
拓也はどう言葉をかけようか迷って、正しいのかどうかも分からないまま言う。
拓也の言葉に亜衣は少し目つきを変えたが、その表情が悲しみなのか怒りなのかは分からなかった。
「あ、その……今もいる、かな。多分」
亜衣のその言葉に、拓也の額に汗が滲む。
「えっと、その、どこにいるか分かる?」
誰が、とは入れずに聞いた。亜衣は、拓也が来た方向とは異なる十字路の方をそっと指すと、すぐにそれをやめた。
「どう、しよう」
亜衣がぽつりと呟いた。拓也はとりあえず、一旦深呼吸をして落ち着くことにする。
「こういう時には……とりあえず、警察に電話すれば……?」
「それも考えたんだけれど……でも、私の勘違いとかだったら困るし、それに、警察に電話していると気が付かれて何かされるのが、その……」
怖い、とは言えなかったようだ。それを言葉にすると、はっきりとした恐怖が襲い掛かってきてしまいそうだからだろう。
よく考えれば、亜衣が拓也に電話することができた時点で、誰に電話をかけているのかは分からないほど近づかれてはいないということだが、恐怖と混乱の中にいた彼女にはそれには気が付かない。
拓也も怖い。でも、黙って見ていて人が傷ついてしまうのもまた、怖い。迷うが、結局いつも通り助けることになる。
すると、拓也の視界の端で人影がちらりと動いた。思わずその方向を振り向く。
男は、まっすぐに立って拓也を向いていた。
拓也は男と目が合って――すぐにそれが失態だと気が付いた。今までならまだ、男の認識は彼女が知り合いに遭遇した、程度で済んだのかもしれない。
しかし、拓也は男の中ですでに『関わってきた人物』になっているだろう。暗いから完全に顔を覚えられたわけではないのかもしれないが、それでも危険であることには変わりない。
拓也は恐怖に全身が震えていた。嫌な汗が額を流れる。
男が動く。拓也に向かって歩いて来る。しかし、頭が混乱している拓也はまだ動けない。恐怖でその場に縛り付けられる。
ゆっくりと近づいて来て……そして、少しだけ、拓也の方に体を向けて近づいてきた。拓也はそれを待つことしかできない。
男がその横を通り過ぎて行った、と思った時、低い声が聞こえた。
「余計な真似、するんじゃねえぞ」
拓也はその言葉に何も言い返すことができず、そのまま立ち尽くしていた。
その夜はもやもやとした気分のまま拓也は床に就き、暗い気持ちで『投影世界』での朝を迎えた。
亜衣に頼られて、信頼されて行ったのに……何もできなかった自分自身に絶望していた。亜衣に対してどのような顔をして会えばいいのか分からなかった。特に、ここでは亜衣と同じ旅館に泊まっているのだ。つまり、朝食に行くときにはすぐに会うこととなる。
はあ、とため息をつく。
「どうした、拓也?」
隣のベッドで寝ていたリベラムに聞かれてしまったようだ。
「いや、『現実世界』のほうで……」
拓也は素直にリベラムに相談することにした。リベラムは『現実世界』での亜衣の事情を知っているから大丈夫だろう、と思ったのだ。
拓也の話を聞くと、リベラムは怒っているのか、困っているのか分からないような表情をした。
「うーん……この場合は、分からないな。昨日話した限りでは亜衣が拓也に対して怒ることはないと思う。でも、逆に亜衣を不安にさせてしまった可能性は否定できないぞ。彼女は俺たちに、特に拓也に頼ろうとしているんだからな。これから」
他人に任せることには不安もあるはずだ、とリベラムは言う。
「とにかく、これからの行動で示していくべきじゃないか? いつまでもめそめそするな」
リベラムは笑って拓也の背中を叩くと、部屋を出て行った。拓也は一人、部屋に取り残される。
拓也は部屋の洗面所で、顔をバシャバシャと何回も洗う。憂鬱になった気分を、無理矢理払いのける。
「行動で、か……。確かに、今できることをやるしかないのかな……」
立ち止まっていても何も変わってくれないという現実に拓也はがっかりとする。『投影世界』は、拓也の都合の良い想像までは投影してくれないらしい。
「ごめん!」
扉を開けた瞬間に、拓也は部屋の前にいた亜衣に謝られた。
「その、私の自分勝手で巻き込んじゃっているのに、危ないところにまで呼び出して……」
拓也はその言葉を聞いて安心するとともに――嫌な気持ちになった。
彼女は、すでに自分に絶望しただろう。当てにしていたのに、実際本人が危ないことに巻き込まれたら、拓也は何もできなかったのだから。
そんなことを考える自分自身に拓也はさらに嫌気がさした。
「いや、藤沢さんは気にしないでよ……。僕は、結局何もできなかったんだから」
拓也はそれだけを言うと、旅館の食堂に向かった。亜衣はしばらくその場に立っていたが、すぐに拓也の後ろについて行く。
三人は朝食を済ませた後、とにかく出かけることにした。(『投影世界』にとっての)昨日の事件について、彼らは情報を集めておこうと思ったのだ。亜衣が巻き込まれたということは、『現実世界』と何か関わりのある出来事だった可能性が大きい。
初めに訪れたのは、ビギルと呼ばれる組織の場所だった。ビギルというのは簡単に言えば『警察』のことであるらしい。
前日の騒ぎはビギルとミリタリスによって速やかに収束に向かったらしい。ただ、結局下っ端を捕まえたにすぎず、黒幕は全くつかめなかった。
捕まった連中も金で雇われたに過ぎないらしく、依頼主に関する情報らしい情報は持っていなかった、とのこと。結局捜査はそれ以上には進まず、実行犯だけを牢屋に閉じ込めてこの件は終了、ということになったらしい。
「まあ、当事者だからここまでは教えられるけれど、彼らの個人的な素性までは話せないね。例えオリジナルの世界から来ようが、君たちは一般人なのだから」
キャニスタ族なのであろう、犬の顔をしたビギルの上官が話す。
「いや、ありがたかったよ。拓也、亜衣、行くぞ」
リベラムに連れられて、二人もビギルの建物を出た。
「たいした収穫はなし、か」
リベラムは言うが、拓也は先ほどの言葉が引っかかっていた。
(『金で雇われた』……もしかして、『現実世界』での藤沢さんの一件がここで『投影』された……? とすると、テロの日、『投影世界』に来る前か後にはあのストーカーは同じように『金で雇われた』可能性が高いということ?)
拓也は二人と歩きながらも、今日の『現実世界』であの惨めにも逃げてしまった出来事を思い出しつつ、推測する。
(だとすると……その『依頼主』を追いかけて行けば、藤沢さんが巻き込まれている事件が『投影』された出来事に関わることができるかもしれない。それを解決すれば、その結果が『現実世界』に反映される?)
そう考えると、少し拓也は前向きな気持ちになることができた。
「やっぱり、依頼主をなんとかして探そうよ。それしか手がかりはないんだし」
拓也は言うが、リベラムは難しそうな顔をした。
「しかしなあ、ビギルでも分からないものをどうやってやればいいのか……あ、そうだ。重要なことを忘れていたよ」
リベラムは言葉の途中で、何かを思い出したかのような表情になった。
「何か……いい方法があったの?」
亜衣が聞く。
「簡単な話さ。占ってもらうんだよ」
この世界では予知能力というものもあるようで、そのような天賦の才を持った人たちが占いをしていることも多いらしい。
そんな訳で、拓也たちは評判の良いとされる占い師のところへ訪ねてきた。
「じゃあ、この紙にできる限り多くの情報を書いて頂戴」
恰幅のいい、ラサータ族の中年女性に渡された紙に拓也たちは羽ペンで書き込みをする。ファンタジー系のゲームやアニメだと、こういう時には筆ペンが使われる描写が多いが、この世界の筆記用具は現実世界と同じようにボールペンやマジックペンがあった。
しかし、なぜかシンナーのにおいが強い。昔の、まだあまりそのようなことに人々が危機感を募らせていなかった時代の物のようだ。恐らく、人々の心の『負』の部分がこういう細かなところでも出てくるのだろう。建物の材質を調べればアスベストとか出てきそうな気がした。
鼻につくシンナーのにおいを気にしながら、拓也、亜衣、リベラムの三人は渡された紙に必要事項を記入する。事件の発生した場所とか時刻とか、ビギルでも聞かれそうなこと以外には、そのときの日の傾きだの、事件の起きた時に向いていた方角だの、そういう一見無関係そうな事柄ばかりだった。
三人が記入を終えると、いよいよ占いに入る。




