人質とこの世界の力
リベラムの言った通り、書類は非常に簡単なものだった。しかも全部知らない言葉だったはずなのに、拓也はきちんと読み書きができた。
「はい、これで終わりです。これから許可証を発行するのでしばらく待っていてください」
入国管理局の人はそう言うと、部屋から出て行った。拓也はふう、と息をつく。すると腹が鳴った。この世界に来た朝から何も食べていないのだ。
しばらくすると許可証が発行されたので、拓也は入国管理局を出た。外ではリベラムが待っていてくれた。
「終わったか。な? 簡単だっただろ?」
「はい」
「じゃあ、そろそろ飯にするか」
拓也はその言葉に感謝したが……
「僕、お金とか一切持ってないのですけれど……」
拓也はとても言いづらそうに言った。
結局拓也はリベラムに奢ってもらうことになり、二人はそれからリベラムが行きつけだという店に来た。
「ただの定食屋だけどな」
拓也はリベラムに薦められるままに名前も知らない料理を注文する。しばらくしてそれが運ばれてくると、現実で食べているのと大差ないものだったので拓也はほっとした。
それから、この後どうするかの話になった。
「今日はこの街に泊まる予定だったから、宿屋にまずは行って荷物を降ろしてくるか。それからこの街を案内してやるよ。面白い街だぞ、ここは」
食べ終えると二人は予定通りに宿屋で荷物を降ろし、町の散策に出かけた。
「すごい、って言いますか。本当に多種族なんているんですね……」
拓也は街を歩いていると見かける、爬虫類じみた人や猫や犬のような人たちに驚いていた。
犬や猫のような頭をしているのは『キャニスタ族』。トカゲやカエルなどの爬虫類のような頭をしているのは『ラサータ族』。
リベラムのような一般的な人間の姿をしているのは『ユーモ族』と呼ばれる……ということだった。
「珍しいのも分かるが、こんなのは序の口だと思ってほしい。この国を飛び出せば気味の悪い生物もたくさんいることだしな」
リベラムはさらっと恐ろしいことを言う。
「それでな。この国は今でこそ落ち着いているが、十年ほど前までは部族ごとの対立が原因で戦争があった。それをトリス様が治められたんだ。トリス様はユーモ族とキャニスタ族の混血であるというのも国中の人から支持を得られた理由の一つだな。それに親類の中にラサータ族の人がいるという話もあるし、実際に部族間の差別を徹底してなくすように活動された。で、今の平和があるわけさ。といっても、まだ一部の人には差別意識が残っているようだが」
リベラムの説明を聞きながら、拓也は現実世界での人種差別問題などを思い出した。
(なるほど、自分の世界の人の心から出来ているというだけあって、現実世界での問題がこの世界でも発生しているということか)
そこで二人は広い公園のような場所に着いた。
「ここはルーシス広場だ。毎月、満月の日には『光の市場』が、新月の日には『闇の市場』が開かれる」
言っておくが、『闇の市場』とはいったって不法なものが出回っているわけではないからな? とリベラムは付け加えた。
「『光の市場』では主に国内の物が出回る。で、『闇の市場』では主に国外から持ち込まれたものが出回る。国外から持ち込まれたものは見たこともないものも多いからな。新月の日だからってだけじゃなくて、正体が分からない物が多いから『闇の市場』と呼ばれるようになったらしい」
リベラムが説明しながら、二人は広場の中を歩いていく。
「まあ、説明はそんなところだ。他に聞きたいことはあるか?」
「えっと……あ。あと、魔法のことについてもう少し詳しく聞きたいです」
実際の所、拓也はそのことをいつ聞こうかとうずうずしていた。ファンタジーの中でしかありえなかったものが、こうして実際にあるのだ。もしかすると自分でも使えるようになるかもしれない。そう思うとわくわく感が止まらなくなっていた。
「魔法は拓也が思っている通りだと思うが、俺がやったような呪文によるものと魔方陣によるものの二種類がある。さらに細かく言えば、属性と言うものも存在するし色々覚えることが多いから一朝一夕に身に着くものではないな」
リベラムは話す。
「とりあえず、魔物と遭遇した時のための話だけしておこうか。魔物はその名の通り、魔法を使う生き物のことだ。植物も動物もいる」
ちなみにウルフレストは魔物ではないぞ、とリベラムは付け足した。
「それで、魔物は基本的に一般的な生き物に比べると長生きだ。後は知性が高いとか、好戦的だとか特徴が挙げられるが、例外も存在するから一概には言えない。そもそも、あまり研究も進んでいないっていうのが実情だ。この街の専門家でさえな」
そこまで言ったとき、騒がしい声がした。
「まずいな……」
「どうしたのですか?」
先ほどから次第に大きくなっているその声に、少し怖がりながらも拓也は聞く。
「この国は平和だとは言ったが……犯罪が全くないわけではない」
リベラムはそう言うと、どのように携帯していたのかは分からないが、斧を取り出した。その流れで、拓也もなんとなくレイピアを腰から引き抜く。
「犯罪が起こったということですか?」
「ああ。声の大きさや聞こえてくる方向からして、それなりの規模の騒ぎだ。……気を付けてくれ」
声は次第に拓也たちに近づいてくる。いや、広まっていると言った方が正しかったのかもしれなかった。
そして、ついにその声で拓也とリベラムは事態を把握する。
「レベル4の警報が発表されている! 一般市民は急いで避難! ここは我々王室直属のミリタリスにお任せください!」
ミリタリス、とは軍隊のことらしい。
「な、何が起こったの!?」
「レベル4……恐らくテロだ! 急いで離れるぞ、拓也!」
リベラムが走り出すのに慌てて拓也はついて行く。
「テロ!? この街は平和だったのではなかったのですか?」
「いや、こんなこと九年前に建国されて以来なかったはずだ!」
パニックになっている市民にのみこまれそうになりながらも、二人は全力でその中を走る。しかし、辺りで悲鳴が起こり始め、拓也は泣きそうになるのを必死で我慢していた。
「くそ! どういうことなんだ!?」
悲鳴は次々と伝わるように近づいてくる。間近で上がったその声に振り返った拓也は、思わず立ち止まった。そこに一人の少女がいたからだ。
拓也よりも背が高い、スレンダーな体型。
ふんわりとした感じの、茶色いショートヘア。
可愛い、整った顔立ち。生気を失ったような顔をしてはいるが、元気になれば光るものであることがはっきりと分かる、美少女だ。
いつもの姿と比べると違和感を放っている、布地の少ないその服装と後ろに背負われている棍を除けば、彼女はほぼ毎日高校の教室で見ている姿だった。
「……ふ、藤沢さん!?」
彼女は確かに藤沢亜衣だった。
震えている亜衣は拓也を見ると驚いたように目を見開く。しかし、すぐに騒ぎ声とは逆の方向に向かって走り出した。
「藤沢さん!」
拓也はレイピアを腰に戻すと、急いでその後を追う。
あの屋上での会話を思い出す。彼女はこの世界と現実世界を行き来している人間だったのか。
亜衣は走りながら自分を追いかけている拓也を確認すると、まるで逃げるかのように走る速度を上げた。拓也は彼女を必死に追いかける。しかし日頃からダンス部で運動している亜衣と、図書委員で運動も得意ではない拓也のスピードは大きく違うために引き離される。
「はあっ、はあ……」
拓也は自分の足が次第に重くなっていく感覚にとらわれる。そしてついに、立ち止まってしまい、亜衣を見失った。
「おい拓也! 大丈夫か!」
リベラムが拓也の方へ近づいてくる。
「どうした? 何があった?」
「はい……。あの、僕と同じ世界から来た知り合いを見つけたのですけれど、走って逃げられました」
「拓也と同じ、オリジナル!?」
リベラムが驚いて言う。
「ええ……それで」
と、拓也が話しかけた時、悲鳴が再び上がった。その声は間違いなく、彼女のものだ。
拓也は重い足を引きずるようにしながらも走り、そして追いついた。リベラムもついてくる。
亜衣はそこにいた。謎の男たちに囲まれた状態で。
「藤沢さん!」
拓也は男たちの中に飛び込もうとするが、男たちの手に武器が握られているのを見ると足が竦んで動けなくなってしまう。
「滝川、くん……?」
亜衣はゆっくりと、かすれるような声ではあったが、確かにそう言った。
「おい、テメエはこっちに来るなよ。来たら……分かっているよな?」
男の一人がその手に持っている鉈を軽く振るって言った。
「王室の軍の連中は……」
リベラムはそう呟いた。だが周りの人たちも、見ているだけで何も動けはしない。王室直属の軍の人たちらしき立派な服装をした騎士たちがいるが、その人たちもひそひそと話し合うだけで動くことはできないようだった。拓也の歯がギリッ、と音を立てる。
怖い、と拓也は思った。
だが同時に、悔しい、とも拓也は思った。
助ける力が欲しい、と本気で思った。そのためだったのか。
拓也の頭に声が響いた。
“水の精の力を、あなたは授かる意志がありますか?”
「えっ?」
拓也は突然聞こえた声に驚く。声はただ繰り返された。
“水の精の力を、あなたは授かる意志がありますか?”
さて、この世界は人の心から生まれた世界だ。だから、拓也の『亜衣を助けたい』という心も当然一部は投影される。
そして、今亜衣を囲んでいる人たちの心、具体的に言えば|少女を助けられる力を持った人がいるのではないかという不安《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》も例外なく投影されるのだ。
つまり。
この瞬間、拓也に『亜衣を助けられる力』が備わっても不思議ではない。
「あります。藤沢さんを助けたいから」
拓也は迷わず答えた。
“契約がされました。ではあなたに授けましょう、ウンディーネの力を”
すると拓也のレイピアの、刃と柄の境目の杯のような鍔の部分が青く光り始める。
拓也はただ、心に浮かんだ言葉を言った。
「“水の精よ。守るべき者をその慈愛に満ちた恵みで包め”」
変化はすぐに起こった。
突然、亜衣の周囲から水が出てきた。しかもその水は地面から湧き出たのではなく、何もない場所から発生した。そして、その水が亜衣を包む。
「くそ!」
亜衣を囲んでいる男の一人がその手に持った棍棒を叩き付けるが、水の膜に優しく受け止められる。
「今だ!」
辺りに居た騎士たちが一斉に男たちを抑えにかかる。
唯一の人質を失った男たちは、なす術もなく騎士たちに取り押さえられた。
「よかった……」
その場に崩れ落ちるように座り込み、呆然としている亜衣を見て拓也は安堵のため息をついた。
拓也とリベラムは、亜衣とともに旅館に戻ってきた。
「で、あんたは拓也と同じオリジナルなのか?」
「うん」
亜衣は話す。
「でさ、藤沢さん。やっぱり今日……と言えばいいのか分からないけれど、あの時言っていたことってやっぱり……」
「うん……この世界、『投影世界』のことだよ」
人間の心が投影された世界、ということで亜衣はこの世界のことをそう呼んでいるらしい。
亜衣が初めてこの世界に来た時は訳が分からずとも普通に暮らしていた。しかし、しばらくすると元父親の問題が発生し、それをきっかけに『投影世界』での亜衣の生活に変化が生じた、ということだ。
初めは弱い敵やちょっとしたトラブルで済んでいたが、亜衣が現実世界の生活の中で心労がたまっていくうちに大きなトラブルに巻き込まれることも多くなり、次第に亜衣を追い詰めていった。
そして、あの屋上での一件が起こった。
「そう、だったんだ……」
部屋の雰囲気が暗くなる。だが、リベラムの一言がその空気を吹き飛ばした。
「でも原因を突き止めることができれば、なんとかなるぜ。なにしろ、この世界は『投影世界』なんだ」
「どういうこと?」
拓也は聞く。
「この世界が人の心から生まれているのだったら、逆もまた然り。この世界での行動が、現実世界の人々の心に影響を及ぼすことも可能と言われているのさ」
リベラムは言った。
『投影世界』の住人にとって、『オリジナルの世界』に関する情報は基本的に『ある程度信じられる噂』程度の情報でしかないが、全く役に立たない嘘だらけの情報、という訳ではないらしいのだ。




